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無言夜曲  作者: 星水晶
第3章 王国の光と影
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 ヴィーラントと国境を接しているグランダリクは文化的に洗練の進んだ国で、王権はさほど強くなく、国政は貴族の合議制で進むことが多い。王家はむしろ有能な貴族を官僚として登用して、実績を上げている国だ。ヴィーラントはグランダリクより王権が強いが、グランダリクの文化にあこがれも強い。そこで、第一王子シュテファンの婚約者として、早くにグランダリクの王女を選定した。グランダリクの方でも、隣国のヴィーラントの農産資源は魅力的だ。有利に輸入が確保できれば、国情が飛躍的に安定する。この婚約はどちらにも十分有益だった。

 第二王子の婚姻もまた国事であるゆえに、別の厚誼を結びたい国の王女を娶る予定だった。いくつかの国へ聞き合わせをしているうち、南方のバクランより打診がはいった。バクランは海に囲まれた島嶼国だ。船舶を使っての機動力は並びない。実は、このバクランこそ、シプリス公爵夫人の実家を破滅に導いた権謀術数の国だった。その暗躍を知ればこそ、バクラン王家の姫など断じてヴィーラントに入れるわけにはいかない。しかも、打診の相手は王妹で、ロタールより五歳年上だった。しかし、バクランの打診を円満に断るには正当な理由が必要だった。そのため、シプリス公爵家に王家より申し入れて、急遽イリスが婚約者となった。シプリス公爵家の娘がバクランの陰謀で断絶させられた旧伯爵家の血を引いていることも、暗にバクランの専横を阻む一助となった。

 だが、大陸に野心を燃やすバクランがあっさりあきらめるわけはない。グランダリクもバクランを警戒して、その隣国であるレネンシアと姻戚となり同盟を結んでいる。レネンシアは武断国家で王権が強い。その軍事力には目をみはるものがある。この際、ヴィーラントとしてもレネンシアと直接よしみを通じておきたかった。グランダリクの王女との婚姻式にレネンシアの王女が列席したことを奇貨として、接近を図ることとした。これは王太子の提言を国王が入れた形で進んだ。

 不幸にも、そこにオイフェーミアの恋が重なってしまった。

 レネンシアはヴィーラント訪問を希望するオイフェーミアの言を入れ、彼女を窓口としてくる。ヴィーラント側は、オイフェーミアの望みでロタールを窓口とする。イリスフィールとの婚約は対バクラン政策のため急遽とりきめたもので、王太子の婚姻の時点ではまだ公式にされていなかった。


「ロタール殿下の婚約を取りやめ、レネンシアの王女殿下と婚約を結ぶことが、国のために一番よい道ではありませんか」


「貴女はまた他人事のように」


 王太子殿下はわたしの質問にため息をつかれた。ちらっとロタール殿下を見やる。え?でも、それで八方丸くおさまるのではありませんか。公爵家との婚約もバクラン対策だったわけですし。


「ともかく」


 王太子殿下は続けてお話しになりました。


 王太子は第二王子に、レネンシアの王女をもてなし、レネンシアとの友好を取り付けるように命じた。王太子妃からそのまた従姉妹の王女の情熱的な性格を聞いていながら、王太子もまたレネンシア王女の恋慕の強さを見誤ったといえる。冷徹な政治家である王太子は、ほかの王家の子女にも暗黙の裡に同じ態度を求めていたわけだ。その命により、第二王子は公式行事でレネンシア王女と親しくするだけでなく、私的にも交際を深めていった。それは第二王子の婚姻後も続いた。公爵家の娘との結婚は、王家としての旧伯爵家への償いの意味もあり、グウィディオンという土地の特殊性を考慮しつつ公爵家の血を王家に取り込むためであって、政略結婚なのだと強調した。けっして王女たる貴女より公爵家の娘を、王子妃にふさわしい者として上に見たわけではないのだ、と、王女の乙女心をくすぐりながら。


「オイフェーミア姫はロタールの誕生祝いに来訪した。その夜会の席で、王女は貴女に、明日東翼のテラスで会いたいと申し入れたそうだ。二人だけで内密に話したいと」


 なるほど、それでわたしはあの日、誰にも言わず、誰も連れずに、東翼の三階に行ったのだわ。


「王女は貴女に『ロタールは自分を愛しており、妻の貴女を愛してはいない。この結婚は政略のためで、今やレネンシアとの同盟のためにも、貴女との婚姻を取り消して、自分と結婚すべきである』と言ったそうだ。貴女に自分から身を引くように申し出た。代償はレネンシア王家が公爵家に支払うと」


 そこまで言うのは、なんといいますか、内政干渉?オイフェーミア姫は個人的な感情と国事を混同しておしまいのようです。わたしに申し出るのは筋違い。同盟は国同士で話し合うことであり、婚姻関係は当事者(ロタール殿下とわたしですか)が話すことですから。


「貴女は王女に『ロタールが申し出て、国が承認するなら婚姻は解消してもいい』と答えたそうだ。王女はそれまで、貴女がロタールを恋慕しているため離さないのだ、と思い込んでいたらしい。『グウィディオンの魔女が王子を縛り付けている』とも言っていたから。自分は恋着している相手と結ばれず、その妻は夫を恋慕していないという事実が、彼女を打ちのめして、盲目的な怒りに呑み込まれた。道ならぬ恋も王女としての誇りも、女性として貴女より自分の方が勝っているという思い込みもすべてが一度に吹きだして、騎士に貴女を攻撃させた」


「あの護衛騎士のロドリックは、オイフェーミア王女の乳母の息子だそうだ。幼少より彼女に扈従し、護衛騎士となるために研鑽をつんで、その地位を得た。彼女とは一心同体。むしろ本人以上に王女を大切にしてきたのだろう。あるいは彼こそ王女を恋慕していたのかもしれぬな」


 王太子殿下は立ち上がると、わたしにむけて深く頭をお下げになりました。あ!それ、お許しください。一国の世継ぎの君が軽々しく頭を下げるなど。いえいえいえ、わたしが困ります。


「攻撃が貴女個人に向けられるとは考えなかった、わたしとロタールの浅慮が招いたことだ。責はわたしたちにある。貴女には取り返しのつかない苦痛を負わせてしまった。申し訳ない。貴女の希望はできるだけかなえたいと思っている」



 私的な場ではあっても、王太子殿下より明確な謝罪を頂いてしまいました。わたしは、オイフェーミア王女の心情と騎士の行為に、ひとまず納得がいったので、このことはこれで忘れてしまおうと思います。レネンシアにとっては公にできない秘事。ヴィーラントへの負債。自国の王女を内密に罪に問わなくてはならない。そして護衛騎士の処分をどうするか。悩ましいことでしょう。そして、その裁定を待つ王女と騎士の心情を思うと、お気の毒としか思えないのです。

 あの艶麗な深紅の薔薇は、もう他国にはお輿入れできますまい。国内での婚姻があったとしても、それは普通のものではなく、監視と行動の制限を伴うものでしょう。心はロタール殿下に残したまま、他の男性と婚姻する苦しさを別としても。あるいは、病気ということにして、修道院などへの幽閉もありえます。姫の罪を問わずに護衛騎士を裁くことはできませんから、騎士は別の罪名を着せられて処罰されてしまうのではないでしょうか。姫の意を受けたとはいえ、実際に手を下したのは騎士ですから、無罪放免とはできますまい。

 ええ、たぶん、わたしは記憶をなくす前、王子妃であった時でも、ロタール殿下をお愛し申し上げることができなかったのでしょう。マリエル妃殿下がおっしゃった「婚姻の後でどれだけお相手と心を繋げられるか。国ぐるみその方をお愛し申し上げることができるか」という覚悟が、公爵令嬢のわたしにはなかったということです。ロタール殿下にも大変申し訳ないことをいたしました。自分の恋人の妻が「夫を愛してない」と言ったなら、「愛してないなら婚姻をやめて、自分に恋人を渡せ」と思うのは、人の情念として当然だろうと思います。悩み苦しんだ時間のすべてを、あっさり否定されたような、虚しさもみじめさもあったことでしょう。記憶をなくす前のイリスは、オイフェーミア姫の恋を知らなかったとは思えず、だとすれば、大変心無い言葉を吐いたとしか申せません。

 イリスは自業自得。ほんとうにわたし、何をしたのやら。

 お詫びをしなければならないのは、実はわたしなのではないでしょうか。

 こうなれば、一日も早く王子妃の座を下ろさせて頂いて、グウィディオンに隠棲したいと思います。王家のみなさまはじめ、王宮にお勤めの方々の同情と慰謝のまなざしが、わたしの身にはかえって痛いばかりです。

 おとうさまにこの気持ちをお知らせすると、間もなく、両親とアーサーが部屋に来てくれました。王太子殿下より、事件の決着についてはすでにお知らせがあったそうです。


「お前のその体では、王子妃の責務は果たせまい。お子を授かることもできまいと思う。公爵家としても、離縁を願い出る所存だ。お前の望みもそれでいいのだね」


「はい。よろしくお願いします」


 おとうさまは深くうなずいてくださった。おかあさまはほっとした様子で、なぜかアーサーだけ怒っている。あれ?なぜでしょう。


「イリスは本当にそれでいいの?こんな目にあわされて、当事者からは何の謝罪もないなんて。イリスは、もう少し違っていたら、ほんとうに、死んでいたかもしれないのに……」


 アーサー、アーサー泣かないで。優しい正義感の強いわたしの弟。わたしにも非はあったのよ。命はあったのだし、わたしはもともと表舞台には向かない人間だったのよ。わたしはアーサーに手に持ったハンカチを差し出した。


「イリスは!……おひとよしすぎ」


 離縁が正式に認められれば、国王陛下にお目通りして、王太后さまにご挨拶して、ここを引き払うことになります。スワニーは公爵家からついてきてくれた侍女ですから、すでに西宮に辞職願を出したそうです。王宮の女官は重職ですから、責任もやりがいも報酬もけた違いなのですが、スワニーはきりっと「イリスさまのおいでになるところがわたしの居場所です」と断言しました。うぅ…ありがたくて、申し訳なくて。

 わたしはほんとうに周りのみなさんに恵まれているのだな、と思います。


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