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無言夜曲  作者: 星水晶
第3章 王国の光と影
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 それからまた三日たって、マリエル妃殿下からお茶事のお誘いがありました。妃殿下はお子さまがまだお小さいので、王太子宮である東宮へご招待いただきました。キルデア男爵夫人とスワニーほか数名の侍女が付き添って、おじゃますることになりました。けっこう大事おおごとなのです。まあ、いちおうは第二王子妃が王太子妃をお訪ねするわけで、しかもわたしは不自由な体ですから、その介助もあって、あちらにご迷惑をおかけしないように、という配慮もあります。お見苦しい、下ろしたままの不揃いな髪と頭の傷を隠し、目の負担を避けるため、特別に作ってもらった面紗ベールのついた頭巾をかぶります。

 車椅子を押してもらって、東宮まで参りました。東宮の女官長であるソールズベリ子爵夫人みずからお出迎え頂きました。恐縮の極みです。この方も以前王太后さまの女官でいらした方ですので、お顔見知りです。ご無沙汰のお詫びを申し上げますと、ほんとうにうれしそうに微笑んでくださいました。

 王太子妃のお居間に通されると、すでに妃殿下はお待ちくださっていました。妃殿下ご自身のお居間なので、王太子殿下のお居間とちがい、室礼はもっとやさしい色合いです。ご実家のグランダリクの洗練とヴィーラントの重厚さが融け混じったような、ほかに類を見ない様式美に圧倒されました。卓を見れば、これまたさすがにすばらしいお茶道具で、これはグランダリクからお輿入れの際にお持ちになったお嫁入り道具のうちなのだそうです。ヴィーラントのものより、ずっと繊細で華麗。女性的といいますか、たいへんかわいらしいお茶道具です。カップを落としたりしないよう、いつも以上に注意してしっかりと持たなくては。

 わたしの体調をお気遣い頂いてから、王宮の噂などをうかがっているうちに、自然と若君の話になりました。「会ってみたい?」とおおせなので、もちろん「はい」とお答えしました。妃殿下は女官に声をかけ、続き部屋から乳母さまにだっこされた若君がおいでになりました。ヴィーラントの世継ぎの君のその世子ですから、いずれ国王となられる御方です。でも、まっしろいおくるみにくるまってうとうとしておいでのピンク色のほっぺは、もう食べてしまいたいほど愛くるしい。髪の色は王太子殿下より淡い金色、おねむなので今はわかりませんが、お目の色は妃殿下と同じ緑褐色なのだそうです。ハニーゴールドの髪にヘイゼルの瞳とは、きっと大きくおなり遊ばしたのちには、多くの女性の胸を焦がすような美青年になられることでしょう。


「ミカエルという名前は、王妃さまにつけていただいたのだけれど、王妃さまは貴女が提案してくれた名前だとおっしゃっているのよ。だから、イリスフィールさまもミカエルの名付け親のひとりなの」


 すみません、すみません。ぜんぜん思い出せなくて。王妃さまには、子どもの時からなにかにつけてお心にかけて頂いているのに、わたしのぽんこつ頭の恩知らずときては、どうしようもありません。


「よろしいのよ。覚えていないのは全部お怪我のせいなのですもの。ほんとうに、お目が覚めてくださってよかった。あのままお目が覚めなかったら、公爵家になんとお詫びすればよいか」


 若君がお隣にお戻りになってから、妃殿下はしみじみとおっしゃいました。


「オイフェーミアはわたくしのまた従姉妹です」


 マリエルさまのせいなのでは全然、もうこれっぽっちもございませんから。


「わたくしがこちらに嫁ぐ時、オイフェーミアを式に招待したのが、オイフェーミアがロタールさまを見た最初でしたの。ロタールさまはまだ婚約者もお決まりでなかったので、オイフェーミアは思いをかけたのでしょうね。でもそのあとすぐに、ロタールさまと貴女の婚約が調って、わたくしはオイフェーミアの思いの強さを見誤ってしまったのです」


「王家に生まれた者の婚姻はすべて、国政のためにあるのですもの。自分の思いなど抱いては苦しむだけと、みな最初からわかっているはず。婚姻の後でどれだけお相手と心を繋げられるか。国ぐるみその方をお愛し申し上げる。それができるかどうかで、王家の子の幸せが決まるのですから。王子、王女とはそういう者」


 マリエル妃殿下は悲しそうに眉を曇らせました。可憐な外見とは異なり、たいそう思慮深い方です。わたしより一歳年下というのが、信じられないほど。さすがに一国の王女であられる方は覚悟のほども見識も段違いです。そのあたり、オイフェーミア姫も同様だったのでしょうけれど、器の違いか、国情の違いかわかりませんが、オイフェーミアさまは王女の立場より女性としての情念を優先させてしまったのでしょう。まあ、それでも、既婚男性に恋慕してその妻を殺害に及ぶというのは、一般人であったとしてもダメなのですけど。

 心にひっかかっているのは、そこなのかもしれません。仮に思いをかけた相手の妻を排除できたとしても、自分の思いがとげられる保証などないのです。まして、オイフェーミア姫はレネンシアという外国の方。毎日憎い恋敵(あ、わたしのこと)の顔を見なければならないわけでもないですし。衝動的というには、実際手を下したのが護衛騎士となれば、そこにはある程度前もって、主従の意思の疎通があったはず。

 もしかして、わたし、よほど心得ちがいのご無礼を働いたりしたのではないでしょうか。護衛騎士がはからずも剣をふるってしまうほどの。

 騎士という方々はもとより、武器を持たない相手には直接攻撃をしないものです。まして相手が女性や子どもなど弱者であれば、歯向かってきても素手で取り押さえれば十分です。騎士というのはそれほど誇り高いものです。それを、テラスの床までも破壊するほど、渾身の一撃をくらわすなど。いったいわたしは何をしたのでしょう。


 わたしが黙り込んでしまったせいでしょうか。マリエル妃殿下は痛ましそうな困ったような顔をなさっています。ああ、社交性皆無ですね、わたし。


「今日お誘いしたのは、ミカエルをお目にかけたかったのと、もうひとつ」


 妃殿下の後ろの扉が開いて、王太子殿下がはいってこられました。そのうしろにはロタール殿下が続きます。マリエル妃殿下は申し訳なさそうなお顔です。


「いや、マリエルを責めてくれるな。わたしが彼女に頼み込んだのだ」


 あいかわらず車椅子に座ったままお辞儀をするわたしに、王太子殿下がお声をかけてくださいました。妃殿下を責めるなどとめっそうもございません。ただ、ちょっとだけ、びっくりしただけですよ。ああ、心臓に悪い。

 卓についたお二方の殿下に、侍女がお茶をお出しして、それから人払いがされました。お居間には卓についた四人のほかは、東宮女官長と西宮女官長だけ。しかもお二人とも入口近くの壁際に下がっておいでです。


「あのあと熱を出したそうだね。負担をかけてすまなかった」


 王太子殿下にはあいかわらず優しいお言葉を賜ります。


「貴女には結果を話しておかなくてはならない。そのためにマリエルに無理を言った」


 過分のお心遣い痛み入ります。


「結論を言う。ヴィーラントはオイフェーミア王女の罪を問わない。その護衛騎士であるロドリックの罪もまた問わない。二人はすでにレネンシアに帰国頂いた。国としてもレネンシア王国に賠償を求めることもない」


 戦争の火種にだけはならないですんだようです。とりあえず、ほっとしました。でも、王太子殿下は大変苦しそうにお見受けします。


「貴女ひとりに苦痛を負わせた。その責めはわたしとロタールが負うべきものだ。このことはすでにシプリス公爵家には通知してある」


 わたしの右隣で、ロタール殿下はうつむいておいでになります。卓上に置かれたお手が拳となって堅く握りこまれています。


「ヴィーラントはレネンシアに何ものも求めない。が、ことの顛末はすべて公文書にしてレネンシアに渡した。王女と護衛騎士の罪を問うとしたら、レネンシアの法がそれをなすだろう。現在、王女は謹慎中で、護衛騎士は投獄されているそうだ。あちらの王家も政府も頭を痛めているらしいが、公文書になっているものをうやむやにはできない。これは国の威信の問題でもある。わが国にとっては、はからずも、重要な外交手札カードを握ってしまったわけだ」


「穏便におさまってなによりでございます」


「貴女は、憎んでいないのか。恨んでいないのか。貴女をこんな目にあわせた相手を」


 ロタール殿下がお言葉をはさみました。うーん、ご下問の時にも思ったように、当時の記憶のないわたしには、むしろ、オイフェーミア姫をお気の毒にさえ思えるのです。かなわぬ恋の沼に墜ちて苦しんだだろう、あの誇り高い姫君を。そしてこれからも、その罪の結果を背負っておいでになるだろう、あの艶麗な深紅の薔薇を。


「ロタール」


 王太子殿下がお手を差し伸べて、弟君の拳にのせました。


「聡明な貴女には疑問があるだろう。答えられるものなら答えたい」


 わたしはうなずき、王太子殿下に伺うことにしました。


「オイフェーミア姫はなぜわたしを落とそうとなさったのでしょう。あの日わたしはなにをしてしまったのでしょう」


「その話をするには長くなるが、貴女に負担をかけるのは本意ではない」


 わたしは大丈夫だとお伝えしました。ずっと休んで体調も回復しています。休んでいる間、いろいろ考えてしまって、むしろ、この疑問を解いていただけるなら、それはすっきりすると思えるのです。


「では、途中で加減が悪くなったら必ず言ってほしい。それは約束してくれ」


 王太子殿下はそう前置きしてお話しだしました。


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