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次に目が覚めた時には、なんと、王太子殿下のご下問のあった日から丸二日たってしまっていた。サザランド先生のお話では、わたしの頭が負担に耐えかねて、休息を必要としていたからで、少しも異常ではないとのこと。まあ、眠いので眠っていた身としましては、目がさめてから異常だとか異常ではないとかいわれても、ご心配おかけして相済みませんとしか申し上げようもないのだけれど。
そうですね、今起きていることも、まるで他人事のように、ちょうど本の中の物語をよそながら見ているというか、はっきりした夢を眺めているというか、そういう感じがつきまとう。もっとも、こんな隔てのある感覚も、自分の頭を守ろうとする無意識のしわざとのことで、頭というのはまことにやっかいなものなのですね。
現実といえば、やっとスワニーが鏡を見せてくれた。これはおかあさまがお命じになって、スワニーが泣く泣く承知した、というしだい。
まあ、なんとなくわかっていたことを、鏡に映して確かめた、というほどのことで、スワニーが心配するような、衝撃を受けるということもあまりありません。もともと、美貌を誇るというような顔立ちでもありませんでしたしね。これでも目がさめた頃に比べれば、腫れやむくみもおさまってきて、落ち着いているのだと思う。
鏡の中には、青白い顔。とがった顎と目じりの上がった猫目。右側は肩まで、左側は顎先までの長さの銀色の髪。うん、生え際から頭頂にかけてはまるで芝刈り跡のように短いわね。縫い目も見ることができました。ふむふむ、例の額のあざもあります。
ずきずきと脈打つような痛みも、今はずいぶんとよくなってきた。起きているだけですぐに首や肩がこわばって痛んだのも、少しずつ長い時間に耐えられるようになり、ものがしっかりと持てなかった手も、両手で注意深くすれば、食事くらいは自分でできるようになりました。寝台から立って歩くことはやはり不自由ではあるけれど、家具につかまりながら数歩は歩くこともできる。車椅子のお蔭で、部屋を移動することも困りませんしね。
目がさめてからのわたしは、ちょうどみどりごが日々成長するように、すこしずつすこしずつ動けるようになっていったのですね。
目はどうも治らないようです。右の目は生まれつきの瑠璃色でも、傷ついた左目は真っ黒。でもこれも、見えないというわけではないので、不自由ながらさほど残念でもないかも。
このごろは右とは違うものが見えるような気さえする。
気のせいとばかりは言えないのが、シプリス公爵家に生まれた女の子の宿命。わたしの前代は、おばあさま。おばあさまも少女の頃から、とても勘のいい方だったそうです。おじいさまを婿に迎え公爵家を継いでも、こどもは男児ばかりで、女の子は生まれなかったので、おばあさまは巫女の家系もご自身で終わりかと、残念にも思い安堵もなさったそうだけれど。わたしが生まれて、目を見た時に、ああ、まだ血筋は途絶えていないのだ、とわかったそうです。
「見ればわかるのですよ。言葉では言えないわね」
わたしが小さい頃からおりにふれ、おばあさまは二人きりで、いろいろお話ししてくださった。
「あなたが、グウィディオンを継ぐのですよ」
グウィディオンはシプリス公爵領の西の一角を占める大きな森の名前。太古の森とも、迷いの森とも言われているのですが、シプリス公爵家の直系のものは、この森を自由に歩くことができました。グウィディオンはシプリスの血筋の者には優しかったのです。わたしたちは、この森では本当に心からくつろげましたから。とりわけ、女の子はみんな、グウィディオンに守られてきたのです。直系の女子については、外へ嫁ごうとも、一生守りはついていました。この特典は、産んだ子どもには受け継がれては行きませんでしたが。なので、シプリス公爵家の娘は、外に嫁いだのち夫を失うと、この森へ戻ってくることが珍しくはありませんでした。おばあさまも、最後の数年はグウィディオンの森屋敷でお過ごしでした。
森屋敷はグウィディオンの森をはいって、すこし道を進んだ所に立っています。その背後から本来の太古の森が始まります。人の歩く道は森屋敷で終わっているのです。そして、その道を外れない限り、害意のない者であればみな、無理なく森屋敷にたどりつくことができました。公爵家の使用人であれば、一度は森屋敷へ使いに出されるのが習わしでした。中には森屋敷に気に入られて、そこで働く者もいたのです。ええ、そこで働くには、森屋敷に気に入られることが必要でした。公爵家に忠節を捧げ、仕事に誠意を持ち、グウィディオンを畏れかしこむ心を持った者だけが、森屋敷の気に入られるのです。機転がきいたり、手先が器用だったり、姿がよかったり、そんなことは森屋敷にはどうでもよいことだったのです。
森屋敷の背後の森に入れるのは、シプリスの血筋の者だけでした。使用人はもちろん誰も足を踏み入れようとはしません。裏庭の柵囲いの外には出ないように、言わなくても自分たちで計らっていたようです。たまに、飼っている家禽や家畜が迷い出ても、誰も探しにはいきませんでした。必要なら森が返してくれると言い合って。そして本当に、家畜は自分で帰ってくることが多かったのです。
血縁でない者、たとえば嫁いできたおかあさまは、森に入ることを止められています。わたしやアーサーが入れる範囲であっても、おかあさまは柵囲いの内側からわたしたちを見守っておいでになりました。ええ、森の浅いところなら、シプリス家のこどもには遊び場所でした。森屋敷の表より裏の森の方が、ずっと、大きなベリーや木の実が摘めたのです。静かにしていれば、野生の動物もたくさん見ることができました。動物たちは、他の森に棲むものよりりっぱで、賢く、おだやかでした。決してシプリス家のこどもを害することはなかったのです。
森屋敷での思い出は、わたしにとって楽しいことばかりでした。
だから、家に帰っていいなら、グウィディオンに行きたい。そう思ったのです。
王太子殿下のご下問の結果が気にならなかったと言えばうそになりますね。あの日も思ったように、オイフェーミア王女を恨む気持ちにはなりませんでしたが、一国の王女が友好のための訪問先で、その国の王家に連なる者を害そうとした、という外交の問題は残ります。わたし個人としては、ヴィーラントとレネンシアの間の紛争の種になるのだけは避けてもらいたいと願うばかりです。
戦争は、どんな大義名分があろうと、悲惨な結果を生まないではいられない愚かな行為です。戦争になって一番犠牲になるのは普通の民でした。戦争突入に何ら決定権を持たない者ほど、まっさきに、そして一番悲惨な犠牲を強いられるのですから。
戦争への道を極力避け、それ以外の道を必死に探すことこそ、利益損得を越えた、外交の一番の要諦ではありますまいか。
シプリス公爵家では、男も女も関係なく、子どもも大人もそれぞれの立場で、国のこと社会のことを考える、という姿勢が浸透していました。それは使用人のすべてにも、望まれ、奨励されていたのです。シプリス公爵家が「変わり者」と言われるひとつの原因であったかもしれません。
単なる一公爵家の娘が、国の外交を憂えても、あまり影響はないのですけども。当代のグウィディオンを継ぐ者であるわたしには、それなりの責任はあると思っています。
頭部の外傷性損傷、というのですか、サザランド先生が両親とわたしを前に説明してくださいました。わたしの失った記憶は、怪我によって傷がついた場所にしまわれていたのかもしれない、というお話しです。引き出しが開かないのではなく、引き出しそのものが壊れ、失われてしまった、とでもいいましょうか。このままずっと、目が覚める前の四、五年の記憶が欠けたままらしいです。頭のことなので、断言はできないが、記憶が戻る可能性は低い、と覚悟してほしい、とのこと。体の不自由さもどこまで回復するか保障できないそうです。怪我は先生の責任ではないので、そんな申し訳なさそうにおっしゃらなくてもいいのに。
周囲を見ているうちに、自分が十七歳ではない、ということは感覚としてわかってきました。今は二十一歳だそうです。しかも、知らないうちに人妻ですよ。まあ、こんな不自由な体ではとうてい「妻」の役目など果たせるはずもなく、ましてや、王子妃ともなれば、無理のひとこと。そのうえこの「おいたわしい」外見です。社交どころか、人前に出るのも気後れです。ロタール殿下には一日も早く離縁していただき、わたしは公爵家にもどって、グウィディオンで余生を送りたいなと思います。