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そしてここは王太子殿下のお住まいの東宮のお居間。お居間とはいうものの、内々にお客様もお通しすることがあるため、室礼はかなり豪華。金茶と深緑が基調の内装です。
正面には王太子シュテファン殿下。並びには法務官と外交官のみなさま。それぞれ、簡単な自己紹介を頂きました。横の机にはロタール殿下とおとうさまが席につきます。その向かいはまだ空席のまま。わたしは正面にむいた机に、車椅子のままつきました。サザランド先生とキルデア男爵夫人が両側から介添えしてくださいます。
王太子妃殿下マリエルさまが侍女を従えてご入室になり、もったいなくもお手ずからお茶を配ってくださいました。つややかなチョコレートがお茶うけです。侍女は退出し、妃殿下は王太子殿下の後ろにご同席なさる様子。こころなしか、わたしにほほえみかけてくださったようです。
ややあって、廊下がざわめくと、扉が開いて一人の貴婦人と付き添いが入室なさいました。黒髪に深紅のドレスも豪奢な、圧倒されるほどの美しい女性です。付き添いの騎士も大柄で厳めしい表情ながら、たいへんな美丈夫。さすがに御前で帯剣は許されていないので、お腰元がやや寂しそう。女官もおふたり同行です。
王太子殿下はじめみなさまご起立で会釈なさいました。わたしは立てないので座ったままお辞儀をいたします。思うに、外国よりおいでの賓客の方なのでしょう。だから、ここに外交官も同席なのですね。なっとくです。
ご一行は空いた席におかけになります。
法務官のおひとりが「これより二月に王宮東翼で起きた転落事件について、王太子殿下開催のもと、調査会を開きます」と宣言なさいました。初めての公式な場なので、どきどきです。
「今年二月七日の朝、王宮東翼の庭園、噴水横の大理石の石畳の上に、第二王子ロタール殿下の妃イリスフィール妃殿下が倒れているのを、複数の衛士、侍従、侍女が発見しました。妃殿下は重篤な怪我を負われてすでにご意識もなく、そのまま医務官が治療にあたりました」
このイリスフィール妃殿下がわたしのことなのです。実感がないので、まるで他人事ですが。
「妃殿下の当日のご予定を、西宮担当の女官長キルデア男爵夫人に尋ねます」
男爵夫人が立ち上がって、正面、右、左と会釈し、最後にわたしの顔を見てうなずきました。
「当日はご夫君ともども午餐のご公務がございました。それまではお自由な時間でした。おそば付きの侍女頭マクタヴィッシュに確認いたしましたが、朝食はいつものようにご自室でお取りになり、その後お庭におでましになりました」
「東翼においでになるご予定はなかったということですね」
「はい」
法務官がうなずき、男爵夫人は腰をおろしました。
「ご気分が悪くなったら、すぐにお知らせください」
サザランド先生がわたしの方に身をかがめて、小声で話しかけました。男爵夫人も気づかわしげにわたしを見ています。わたしはこっくりしてみせました。
「妃殿下を発見した者のうち、近衛騎士ニールセンを召喚しております。ニールセンをここへ」
法務官の声に従って扉が開き、近衛騎士の服装に身を包んだ男性が入ってきます。まず跪いて騎士の礼をしました。
「近衛騎士ニールセン、二月七日の朝について述べよ」
「私はその朝、半夜直あけでございましたので、引継ぎの者が来るのを待っていました。東翼一階の勤務でしたので、庭園への降り口に立っていました。庭には、花を切りに来た侍女が数名、廊下には通過していく侍従も数名おりました。そこへ上より女性の悲鳴が聞こえましたので、即座に庭に出て上を見ました。足もとには石材のかけらが散乱し、三階のテラスの崩れた床と、宙に釣り下がった女性が見えました。駆け寄りましたが間に合わず、女性は力つきたように三階をはなれ、二階のテラスに体を打ち付けて頭が下になり、噴水の縁石にぶつかり、石畳の上で動かなくなりました」
「テラスにはほかに何者かいたか」
「その時には落下する女性しか目に入りませんでしたが、あとから思い出すと、最初見上げた時、テラスには黒っぽい人影がありました」
法務官は騎士にうなずきました。そして王太子殿下に向き直り、書類を提示しました。
「ここに、当日その場にいあわせた庭師、侍女三名の誓約付き証言書がございます。騎士の見た位置よりずっと庭の中央におり、テラスもよく見える角度でした。四人とも、黒い人影、大柄な男性と思われる人影を目撃しています」
「当日、東翼には数組の来賓がご宿泊でした。三階にはレネンシア王国のオイフェーミア王女が随行とともにご滞在でした。前日の二月六日は第二王子ロタール殿下のお誕生祝賀の夜会があり、王女はそのためにご来駕ありました」
深紅の貴婦人はまったく動じることなく、かすかにうなずきました。この方がレネンシアの紅薔薇と誉れの高いオイフェーミア姫なのですね。名にしおうお美しさ麗しさです。艶麗並びなき、という言葉はこの姫君のためにあるようなものです。
そういえば、レネンシアの王妃さまはグランダリクのご出身で、この姫君と王太子妃マリエルさまはまた従姉妹の間柄にあったと思います。まあ、すっかり忘れていたのに、どこからその知識が出てきたのでしょうか。わたしの頭も回復している、ということですね。うれしいです。
「三階の廊下に居合わせた侍従が二名、テラスから廊下にもどる貴婦人と随行の騎士を見ています。それは悲鳴が聞こえた直後だと、誓約付き証言書にございます」
王太子殿下はレネンシアの姫君にお顔を向けると、口を開かれました。
「オイフェーミア姫、その時なぜテラスにおいでだったのか伺いたい」
「もう何度も申し上げましたわ、シュテファンさま。わたくし、東翼の朝食の間で食事をいただいて、自室に戻る途中でした。悲鳴が聞こえたのでテラスに出たのですわ」
オイフェーミア姫は真摯な顔でおっしゃいました。
「誰でも、悲鳴を聞いたらそのようにいたしますでしょう」
「危険だとは思わなかったと?」
「もちろん護衛も同行しておりますわ」
姫君の後ろに立った大柄な騎士が胸に手をあてて礼をしました。たしかに一騎当千のつわものという感じで強そうですが。あら、なんだか頭がずきずき痛いです。疲れてきたのでしょうか。
「テラスが崩れていたので、護衛のロドリックが止めました。わたくしは廊下からすぐの場所に立って、ロドリックが端まで確認に行きました。テラスの手すりが崩れて女性が転落したようだ、と報告がありました。たぶんその時、庭からロドリックが見えたのではないでしょうか。でもあくまでも、悲鳴のあと、そちらの妃殿下が転落なさったあとですわ」
なるほど、姫君のおっしゃることには毫も不自然さはございません。ではなぜ、このご下問があるのでしょう。
王太子は次にわたしの方をごらんになりました。
「イリスフィール妃、まずは回復してよかった。けして無理はしないように。具合が悪くなったら遠慮なく申し出てほしい」
王太子殿下のおことばは心がこもり、その表情も大変思いやりにあふれたもので、わたしは深く頭を下げました。でも、ちょっとくらくらしたので、残念です。
「貴女は当時のことを何か覚えているだろうか」
「もうしわけございません。何一つ覚えておりません」
オイフェーミア姫の片方の眉がかすかにぴくりと動きました。
法務官が医務官の報告書を読みはじめました。
「イリスフィール妃殿下のお怪我は主に頭部に重く、転落より先日まで、四カ月にわたって昏睡状態であられました。回復著しいとは申し上げても、まだまだお体のご負担は重く、ご記憶もかなり失っておいでとのことです」
おとうさまはレネンシアのご一同が入室してから、ずっと対面の護衛騎士を凝視なさっています。そしてロタール殿下は姫君を。こちらは哀しげに見つめておいでになります。うん、オイフェーミア姫ほど、殿下のお好みにぴったりの方はないでしょう。
「貴女の記憶があれば、真相が明らかになったのに。残念だ」
ほんとうにすみません。なにしろ、当時の記憶どころか、ここ数年の記憶もすっかりなくしてしまって。妃殿下と呼ばれても自分のことだなんてぴんとこないほどです。
王太子殿下は少しため息を漏らされました。
ああ、ほんとに、お役にたてなくて申し訳ないです。わたしは車椅子の中で体を縮めました。その時、王太子殿下の後ろにお座りのマリエルさまと目があって、そのお目がいたわしそうにわたしをご覧になっているので、胸がぽっと温かくなりました。王家のみなさまはこんなにもわたしを思いやってくださる。ありがたいことです。
オイフェーミア姫の護衛騎士はおとうさまの凝視に口元をゆがめました。ちょっと嫌な感じの笑いです。せっかくの渋い美丈夫がだいなし。