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無言夜曲  作者: 星水晶
第1章 目覚める時
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3

 おかあさまにうちに帰っていいと言われた日の翌日、診察の時間にサザランド医師から、わたしに話を聞きたいという申し入れがある、と言われた。


「実は、あなたが目覚めた日からずっと、申し入れはあったのです。ですが、担当医師としてあなたの容体が安定するまでは許可できないとお断りしていました」


 うん、これは、断りにくい向きからの申し入れを、サザランド先生の尽力で時間の猶予を頂いていたということね。先生は王室の侍医のおひとりだから、申し入れは王室か、それに近い向きからでしょう。患者のためとはいえ、よくお断りしてもらえていたこと。先生にはご迷惑をかけていたんですね。


「申し入れは王太子殿下からでございます」


 うーん。王太子殿下といえば、今上陛下の第一王子シュテファンさまのことね。でも、いったい何をご下問になるのかしら。いぶかしげな顔をしたせいか、サザランド先生は苦笑した。


「まだお気持ちが落ち着かないなら、もうすこしお待ちいただくこともできますし、もちろん、私も同席させていただきます。当然ご夫君や父君の公爵閣下のご同席もお願いできます」


 はい?

 「ご夫君」とおっしゃいましたね。びっくりしてついスワニーを見返ってしまいました。動揺をあからさまにするのは、貴族の女として大きな失態ではありますけど。なにしろ病み上がりで、頭の中身もぐちゃぐちゃですから、そこは大目に見ていただきたいものです。


「妃殿下のご容体とお記憶が万全でないことは、王太子殿下はじめみなさまも重々ご承知おきのことでございますので、今ありのままの状況で、耐えられるだけでもかまわないとの仰せです。事情はあまり時間の猶予を許さないものですから」


 現在のわが国では「妃殿下」という呼称は、王太子殿下のお妃か、第二王子さまのお妃か、今上陛下の弟君お二方の配偶であられる方しかありませんよ。外国はともかくわが国では、今上陛下の王妃さまは「王妃陛下」、母君は「王太后陛下」ですからね。

 はて、王太子殿下には隣国グランダリクの第一王女殿下というご幼少よりの許婚がおいでになります。王弟殿下の配偶はお二方ともりっぱな淑女でご健在のはず。となると、なに?わたしは第二王子ロタール殿下と婚姻しているっていうこと?

 ない……

 それは絶対にない。

 というか、ありえないですし。

 大丈夫。おとうさまもおかあさまも反対なさるはず。そして王太后さまがお許しになるはずがないですもの。

 期待を込めてスワニーを見つめると、かすかにうなずいている。え?

 ぽかんとあいた口がふさがらない。なんともおまぬけな顔つきにちがいありません。サザランド医師も不安そうに脈をとりはじめた。ごめんなさい。あんまり…びっくりしたので。


「やはりもうすこし、時間をいただきましょうね。明日公爵閣下がお見舞いに伺候なさいますので、よくご相談なさってください」


 む。夫ではなく父親と相談せよと。

 そして、ご夫君なる方は一度もおいでになってはいませんが。

 わたしはかろうじてうなずいた。

 あ、うーん。頭が痛い。ずっと無理に考えたり思い出そうとしたりしないように、って、サザランド先生にも言われていたのに。頭が熱くて、ずきずきする。めまいがして、吐き気も……。


「奥さま、もうおよってくださいませ」


 わたしを寝かしつけるひんやりとした手。しっかりした手。おだやかな声。スワニーってば、きっと先生をにらみつけたりしてるんでしょうね。ふふ

 しばらく眠ったらしい。額には濡れ手巾がのせられていた。みじろぎをしたのか、寝台の垂幕のそとから、スワニーが声をかけてきた。


「おめざめでしたら、軽くなにかおあがりになりませんか」


「オレンジ水……ほしい」


 頭を起こそうとしたら、枕がぐぶぐぶとおかしな音をたてた。氷枕をしていたようだ。わたしは熱を出していたのだろう。そう、わたしは病気で寝付いていたのではなくて、どうも大きなけがをしたらしい。たぶん、頭をけがしたために、ずっと眠り続けていたのだろう。意識がない、というのかしら。記憶が落ちているのも、そのけがのせいに違いないと思う。このごろやっと手をあげて顔や髪をさわれるようになった。髪が短いのは前から気づいていたけれど、頭の形がおかしいのには、どきっとした。右と左が同じでないなんて。

 見えにくい目も左側だけど、まったく見えないというわけではないのよ。焦点があうのに時間がかかるせいで、ものがくっきりとしないだけ。頭の形がいびつなのも左側。つまり、けがも左側だということ。スワニーにないしょで、上掛けの下にかくれて、手でさわってみると、額の生え際も左側は乱れている。というか、剃られていたらしい。そこの髪は三センチくらいしかないから。そこにさわると頭皮も腫れているように熱いし、鈍く痛む。そして、なんと、自分の頭に縫い目があるのを発見した。まるでできの悪いぬいぐるみのように。

 初めて気づいた時はあっけにとられて「あららら」と思った。うーん、だからスワニーはわたしに鏡を見せないようにしているのね。指でそっとさわると、縫い目は何本かあって、一番ながいのは生え際から頭のてっぺんまでたどれる。短いものもいくつかあり、一番下のは耳の上までで止まっている。四センチくらいね。いったい何をしたらこんなけがを負うのかわからない。その時のことは全く記憶にないので、かえってよかったと思う。きっと死ぬほどこわかったり痛かったりしたはずだから。


 アーサーが泣きだしたのもわかるわ。あの子は本当は心の優しい泣き虫さんだったから。

 小さい頃乗っていたポニーのアスターが、足を折って、うちの主馬頭のガーランド爺やがアスターを死なせなくてはいけないと言った時、わたしたちは泣いて抗議したけれど、爺やの説明を聞いて先にうなずいたのはアーサーのほうだった。二人で横になったアスターにきれいにブラシをかけ、やわらかい人参とトウモロコシをあげ、たてがみとしっぽに一番きれいなリボンを編み込んで、厩でいっしょに寝た。ガーランド爺やが痛みを感じないで眠ったまま死ねるお薬をアスターに飲ませて、アスターは足が痛くなくなったので、起き上がろうとしたけど、二人で両側からなでて寝かしつけた。たくさん、ありがとう、大好き、って話しかけて、アスターは優しい目で笑いながら眠っていった。

 次の朝目がさめたらわたしたちは自分の部屋にいて、アスターの厩はからっぽだった。爺やは「アスターは幸せな馬の行く天国の牧場に行った」と話してくれたけど、アーサーはあのあと何日もごはんが食べられず、夜になると泣いていたっけ。

 アーサーは目が覚めないわたしを見て、きっとその時のことを思い出して、こわくなってしまったのね。


 それにしても、ロタール殿下とは。どう考えてもあり得ない組み合わせ。それというのも、王太后であられるアリステアさまはわたしのおかあさまの名付け親で、わたしも小さい頃よくおそばに呼んで頂いてかわいがって頂いたわ。そのころは王孫だった、シュテファン殿下とロタール殿下も、よくアリステアさまのお部屋にご挨拶に来ていたの。年齢は少しはなれていても、子ども同士だからと、よくおやつを一緒に頂きました。

 あれは、シュテファンさまがご用事があって、ロタール殿下がおひとりだった時よね。おやつを頂いて、お庭で遊んでおいでと二人で出されたんでしたっけ。もちろん、侍女や侍従は付いていたはずですけど。

 たぶんなんでもない、子どもっぽいきっかけだったと思うの。わたしがロタール殿下より暗算が早くできるとか、何とか。それが、ロタール殿下をすっかり怒らせてしまったのね。なにしろ殿下は王子さまだし、わたしは年下の公爵の娘ですもの。ロタール殿下がわたしを突き飛ばして、わたしは運悪く池に落ちてしまった。お庭の池なので、浅くて、けがもしなかったけど、髪までびっしょり。ロタール殿下はおばあさまの王妃陛下にきつくお小言を頂いたの。

 年下のしかも女の子を突き飛ばしたことで。

 ロタール殿下は「僕は悪くない!イリスなんて○○○○の子どもじゃないか!」って叫んだの。わたしは小さすぎて「○○○○」も聞き取れなかったし、どんな意味かわからなかったけど、王妃さまは真っ青になってお怒りになったの。

 あとから耳にしたり、思い出したりしたことを合わせると、「反逆者」とか「死罪人」とかだったんじゃないかしら。

 実は、おかあさまの実家は今は家系が断絶してしまった伯爵家。おかあさまが小さかった頃に、伯爵家は外国の裏工作によって、王家転覆の陰謀を企てた「反逆者」に仕立てられ、ご当主、わたしの母方のおじいさまと世子の伯父さまは処刑されておしまいになった。それがまったくの濡れぎぬだったとわかったのは、処刑から数年後。その時にはもう、一族はみんな国を出てしまっていたので、伯爵家は断絶したまま。王妃さまはとてもお悲しみで、せめて名づけ子だけでも、とおかあさまをお手元にお引き取りになったそう。おかあさまは王妃さまの元でお仕えしながら、おとうさまに出会ったのね。熱烈なロマンスだったそうで、うらやましい。

 ロタール殿下が口にしたことは、王妃さまには絶対にお許しになれないことだったの。それ以後、アリステアさまのお部屋でロタール殿下にお会いすることは、一度もなかったから。

 だから、どう考えても、わたしがロタールさまの王子妃になるはずがないのよね。おとうさまもおかあさまもお望みにならないし、王命ならお断りできないけれど、王太后さまがお許しにならないはず。


「イリス、やはりいったんうちに戻って来ないかね」


 翌日の午前にいらしたおとうさまがおっしゃった。王太子殿下のご下問についてお話を聞く前。開口一番にそのおことば。


「わたし…記憶が……」


 ここ数年分なくなってしまって。サザランド先生からご説明があったと思うのですが。

 おとうさまは悲しそうに何度もうなずいてくださった。


「わたし、ロタール殿下の……?」


 おとうさまはわたしから目をそらすと、しぶしぶうなずいた。


「一年ほど前に婚礼を挙げたのだよ。王家のたってのご懇望で、公爵家としては謹んでお受けするほかなかった」


 ロタール殿下の女性のお好みとは、わたしはまるっきり違っているんですけど。あちらは妖艶な大人の美女がお好みのはず。


「すまない、イリス。こんなことになるとわかっていたら、お受けするのではなかった」


 おとうさまがいきなり娘のわたしに頭をお下げになったので、もうびっくりしてしまった。もちろんあわててお止めしましたとも。


 王太子殿下のご成婚の儀があったのが三年前。婚約のとおり、グランダリクのマリエル姫が王太子妃におなりだそうです。マリエル姫はわたしより一歳下のお若さながら、さすが由緒ある王家の姫君。やや奔放のきらいのあるシュテファン殿下を、表では立てつつ、内方ではしっかりと支えておいでになるよし。つい先ごろ、待望の第一子をご出産。王孫にあたるミカエル王子ですね。ごりっぱに王太子妃のお勤めを果たされて、欣快に堪えませんわ。

 ご成婚のあと、次はロタール殿下のご結婚と、貴族社会は盛り上がったというか、熾烈な戦いに突入したそうです。なにしろ、王太子殿下は早くにご婚約でしたが、ロタール殿下は婚約者が決まらないまま、ご成人となったのですから。年頃の娘のいるお家は色めきたったのも、貴族の家としてはいたしかたないことでもありましょう。それまでも、内々にお話のあった家もあるとのことですが、いずれもご婚約には至らなかったそうです。外国の姫君とのご縁談もあったことでしょうに。

 その騒動が目に余るようになって、王家から公爵家へご要請で、おとうさまはお受けしたそうです。王太后アリステアさまには、直々おかあさまにお話しがあって、決して公爵家や伯爵家を貶めるようなことはさせない、とお約束いただいたそうで、かたじけなかったとおとうさまはおっしゃいました。それやこれやで、どうしてもお受けするほかなかった。ロタール殿下もわたしを大切にして下さるようだったのに、と。


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