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無言夜曲  作者: 星水晶
第5章 グウィディオンへ
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 前に離宮に出かけた時に乗った馬車と同じく、揺れが少なくなる改造をほどこした、長距離用の大型馬車に乗って、王都から七日ほどかかる距離にあるシプリス公爵領に移動することになっていました。おとうさまが西宮まで迎えにきてくださり、わたしとスワニーとサザランド先生の四人で戻るのです。荷物は先に送ってありますので、移動に必要な身の回りのものだけを積んでいます。西宮で使っていたあの便利な車椅子は、離宮に預かってくださることになりました。ジョンストン卿がにこにこと「来年までちゃんとしまっておきます」と約束してくれました。グウィディオンでは、新しい車椅子が用意してあるそうです。

 両陛下には、この日の朝、おとうさまといっしょに拝謁し、退出のご挨拶を申し上げました。お二方からは「体を大事に」「戻ってくるのを待っている」と、もったいないお言葉を賜りました。王太子殿下とマリエル妃殿下、キルデア男爵夫人、西宮の女官や侍従、侍女の方が、わざわざ馬車まで見送ってくださいました。ロタール殿下はおられませんでした。ご公務で他出なさっているよし。


「昨夜のうちに戻る予定だったのだがね」


 王太子殿下が気の毒そうにおっしゃいました。ご公務ならいたしかたありませんね。

 わたしたちは何度もお礼申し上げて馬車に乗りこみ、馬車は静かに出発しました。これから七日、いえ、わたしの体調を見ながらなので、十日ほどの旅程です。王都の石畳や公街道では、馬車はほとんど揺れませんでした。王都の門を出てすぐに、御者席にいるおとうさまの侍従から「騎馬の一団が追って来ています」と、おとうさまに報告がありました。おとうさまがうしろの窓掛を上げて見てみると、なんとロタール殿下のご一行です。おとうさまは急いで馬車を止めさせました。

 ロタール殿下は先頭で馬を止め、馬車の扉をあけました。


「出立に間に合わず、申し訳ありませんでした」


 わたしはおとうさまの隣で、奥に座っていましたが、おとうさまが馬車の外におりて殿下にお礼を申し上げましたので、ロタール殿下を拝見することができました。


「イリス」


 スワニーがなぜかあわてて馬車を降り、おまけにサザランド先生を押していっしょに下ろしてしまいました。いれちがいに、ロタール殿下が馬車に乗っておいでになりました。


「道中気をつけて」


 わざわざ追いかけてくださって、申し訳ありません。わたしは黙って頷くほかありませんでした。殿下は微笑むと、座席の枠囲いの中でクッションに埋もれたわたしの体を抱き寄せました。突然のことにわたしはあわあわするばかり。殿下のお胸元に包み込まれた態で、お手が後ろ髪を何度もなでてくださいます。すみません、いびつで、縫い目があって、髪もふぞろいで……。さぞ手触りもよろしくなかろうと思うのですが。


「また会える日を楽しみにしている」


 こうして、最後にロタール殿下にお目にかかれて、実はうれしかったのです。殿下に見送っていただいて、馬車はふたたび公爵領を目指しました。


 いささか遠回りになっても、道路が整備されている公街道を行くことになっているので、宿場の旅館に泊まります。先ぶれを送って予約をとってあるのですが、行程によって、どうしても宿場でない場所で泊まらなくてはならない所が二カ所ほど出てしまいました。これはわたしの体に負担の少ないように組まれた日程のせいです。この二カ所はどちらも、所領持ちの貴族のお屋敷にお世話になるのです。こういう便宜は、貴族同士お互いさまということで、それほど親しくない場合でも一晩くらいは問題なくお願いすることができるのです。

 馬車を下りるときはいつも、例の面紗付きの頭巾をかぶりまして、おとうさまに抱き上げていただきます。小さな子どものようで、恥しいのですが、わたしのおぼつかない歩行では、宿の部屋に行きつくまでに日が暮れてしまいそうだからです。


「ごめんなさい。重くて」


 おとうさまはりっぱな体格ではありますが、もうお若くはありません。わたしのような成人した娘を抱えて歩くのは、さぞ重いことでしょう。今は旅行用ということで、体に楽な簡素な衣服でいますので、盛装ほどの重さはないかもしれませんが。


「いやいや、お前は軽すぎる。もっとしっかり食べなくてはいけないね」


 まあ、確かに、眠っている間にかなりやせてしまったのです。体力をつける意味でも、できるだけがんばってお食事を頂くようにしてはいるのですが。やはりまだ、なかなかたくさんは頂けないのですね。サザランド先生も、栄養のあるものを少しずつ、と勧めてくださいますし。

 お昼ごはんは宿場や町の食堂でとることもあれば、宿でお弁当を頼んでおいて、ピクニックのように野外で頂くこともありました。牧場でウシやヒツジを見ながら食べたことは、楽しい思い出になりました。

 貴族のお屋敷にお世話になるときは、略式でもきちんとした衣装でなくてはならず、お見苦しい頭は薄いストールでかくして伺いました。二カ所とも、ご当主とご夫人がお迎えくださって、過分のお心遣いを頂きました。ゆったりとしたお風呂と、広い寝台と、余分の人目のないことが、宿場の旅館にないくつろげる点ですね。


 このように日を重ねて、わたしはシプリス公爵領の本館に帰って来ました。先に帰領なさったおかあさまが出迎えてくださいました。王都の大学寮にいるアーサーを除けば、子どものころのままの顔ぶれですね。本館の家令バークレーも、髪こそ白いものが増えましたが、いかめしい顔の中でも目はいつも笑っている、そのままでした。わたしとアーサーが小さい頃、世話係ナニーだったマギーも元気そう。マギーはスワニーの叔母にあたり、今では本館の家政婦を勤めています。てきぱきとした所がそっくりです。侍女や侍従、下働きのみなさん、料理長はじめ厨房のみなさん、懐かしい顔が総出でお出迎えですね。みなさんの温かいいたわりの目が、西宮にいたときとは段違いに、わたしの気持ちを安らかにしてくれました。

 自分の部屋にはいると、たぶん結婚前まで使っていたままになっているのでしょう、見覚えのないものもちらほらありますね。室礼も、わたしの記憶にある自分の部屋より、少し大人びているようです。でもやはり自分の部屋なので、好みにあうものばかりで、懐かしくほっとできます。

 移動の疲れを取るために、さっそく寝かされてしまいました。スワニーが離宮のファーリー男爵夫人に頂いた、薔薇精油で頭をそっとマッサージしてくれ、目はこれもいただいたヘチマ水で湿布です。気持ちよさにうとうとして、気づけばぐっすり眠ってしまいました。眠っている間に、おとうさまがみなさんに、勅令にそった説明(表向きの、わたしが事故にあった、という方ですね)をして、サザランド先生を紹介してくださったそうです。

 目がさめると、マギーがわたしの衣裳を戸棚に片付けてくれていました。マギーは家政婦なので、そんな仕事はしなくてもいいのですが。


「イリスさま、お目がさめましたか」


 マギー、マーガレット・ガーランド夫人ですね。わたしたちの世話係ナニーだった時は、まだ独身で、マーガレット・マクタヴィッシュといいましたね。スワニーのお父さんがマギーのお兄さんです。そしてご主人のジョエルは、ガーランド爺やの息子さんで、今ではあとをついで主馬頭となっています。明日お天気がよかったら、厩舎にも行ってみなくては。

 マギーはわたしが起き上がるのを支えてくれて、そのままぎゅっと抱きしめてくれました。小さい頃、悲しいときにはいつもしてくれたのと同じに。マギーは昔と同じ、いいにおいです。糊のきいたリネンのエプロンとラベンダー石鹸とバニラのにおい。


「イリスお嬢さま、お帰りなさいませ。お目にかかれて本当に……マギーは…もう」


 うん、涙声ですね。マギーは気丈な性格なので、めったに泣かないのですけど。たいそう心配をかけたのですね、わたし。


「マギー、これからもずっとお世話してね。グウィディオンで暮らすけど、本館にも来るから」


「はいはい。もちろんでございますよ。お嬢さま、あ、いえ、イリス妃さまとお呼びしなくては」


「いやだ、イリスがいい。さすがにお嬢さまはやめてね」


 子どもの頃にもどったように、マギーに着替えさせてもらって、晩御飯をいただきました。新しい車椅子は前のものから改良されて、座面もゆったりと広く、肘掛もつかまれるようにしっかりしています。新しく足台もつきました。車輪もなめらかで、前のものより押す力が少なくて済みそう。本館の侍女や侍従たちが珍しそうに見る中を、わたしを乗せたサザランド先生が押して見せました。敷居の段差を越える時や左右に曲がる方法などこつを伝授。サザランド先生は二輪馬車をヒントにした外用の車椅子も考案中だそうで、そちらは厩の係が興味津々の様子でした。

 食堂ではみなさんいれかわりでお給仕に立って、わたしの食べる姿を見てはほっとした様子。サザランド先生の指導で、わたしの分はみんな量が少なく、小さめに切ってありました。昔ながらの料理長の味は懐かしく、思った以上に食がすすんで、おかあさまもマギーも満足そうにうなずいています。


「イリス、お前が帰ってくるというので、領内の町や村から、お前に会いに来たいと言ってきているのだよ。一週間ほど、本館で静養して、みんなに会ってはどうかね」


 シプリス公爵家は地元密着型の領主貴族ですから、わたしもアーサーも、子どもの頃から領内あちこちへ出かけて行って、お世話になっています。わたしもみなさんに会いたいです。グウィディオンはちゃんと待っていてくれますし。夜寝る前に窓をあけて伝言しておきましょう。

 御飯のあと、台所へ行ってキャボット料理長においしかったとお礼を言いました。料理長は赤毛の陽気な人で、公爵領の出身ではないのですが、もう三十年も本館で料理を作ってくれているのです。わたしは生まれた時から、料理長の作る御飯を食べて大きくなったわけですね。料理長はマギーの目を盗んでこっそりマフィンをくれました。こういうところ、昔とちっとも変ってないです。台所猫のガッシュも元気でした。ガッシュは何代目になるのかしら。キャボット料理長が飼っているのではなくて、台所を縄張りにしている猫の頭です。座敷猫のアマリリスほど人懐こくないので、めったに撫でさせてもらえないのですが、今日はかわいい声でわたしの手に頭をすりすりしてくれました。「お帰り」って言ってるみたい。たぶんガッシュは「夜の眷族」なのでしょう。代替わりしているはずなのに、いつも黒い天鵞絨のような毛並と、緑の炎のような目なのです。


 翌日から、朝はゆっくり散歩。お昼御飯をいただいてから、領内の訪問客に会う毎日です。自家製のチーズやジャムをお土産にもらったり、この春とれた羊毛をクッションにでも、と持ってきてくれたり、手刺繍のストールをもらったり、自家製ハムやソーセージ、果物や野菜もどっさりもらいました。子どものころいっしょに遊んだ子が赤ちゃんを連れてきたり、とにかくにぎやか。そうそう、昔の家庭教師エリザ先生も遠くから来てくれて、エリザ先生はわたしの怪我を見て、マギーと意気投合してかなりお怒りでした。エリザ先生も王都出身で、ご実家は下級貴族だったのですが、身寄りがなくなって家庭教師になったそうです。おかあさまの知り合いのご夫人から紹介されて、公爵領に来てくださったのですが、わたしが大きくなって先生をおやめになると、かねてより熱烈に申し込まれていた牧師さまと結婚なさって、北の方の教区に引っ越していかれました。シプリス公爵領が居心地がいいからよ、と真っ赤になって弁解していらっしゃいましたが、今はお幸せそう。

 おおぜいの人が顔を見に来てくれたなかでも、とりわけ、シルヴェスターの山館からオスカー兄が下りてきてくれたことが、うれしかったです。今のわたしの体力では、ちょっと山館には自力で行けそうにありませんから。オスカー兄は蜂蜜をたくさん持ってきてくれました。山のお花畑でとれたもので、味と香が濃いのです。オスカー兄と呼んではいますが、実はおかあさまの一番下の弟なので、叔父さまです。おかあさまがおとうさまと結婚してすぐに、こっそり呼び寄せて、それ以来ひっそりと公爵領に住んでいるのです。事情が事情なので、人嫌いになってしまって、おとうさまが山館の管理をおまかせしているのです。めったにシルヴェスターから下りてきてくれないので、本館で会うのは珍しいのでした。

 オスカー兄もわたしの頭をそっとなでながら、お顔はコワイです。伯爵家が冤罪でとり潰しに会った時、オスカー兄はまだほんの幼児だったそうですが、そのあとの苦労もあって、ヴィーラント王家にはよい感情を持ってはいません。わたしが結婚する時も実は反対だったそうです。


「イリスを、こんなひどい目にあわせやがって、さっさと離縁しやがれってんだ」


 うん、世間にもまれて苦労してきたオスカー兄は口も悪いです。

 わたしはいただいた蜂蜜をヨーグルトにたっぷりかけて食べながら、オスカー兄の憤慨をじっと聞きました。オスカー兄はあいかわらずだなあ、と懐かしく思いました。シルヴェスターの山館もグウィディオンほどではありませんが、そこに暮らす人を選びます。もっとも、山暮らし自体が、あうあわないがでる暮らしですけどね。人間不信で疑い深い、でもその実とても熱い情の持ち主のオスカー兄には、山の暮らしがあったのでしょうね。

 本館に勤めているみなさん、領内から会いに来てくれた知り合いのみなさんに共通だったのは、イリスの怪我を見ても、少しも嫌がらなかったことです。いえ、怒ってくれたり、いたわってくれたりはしましたよ。でも、気持ち悪いと顔をそむける人はひとりもなかったのです。それが本当にわたしを慰めてくれました。公爵領にもどってから、頭の痛みも薄れていったように思います。


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