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無言夜曲  作者: 星水晶
第4章 薔薇の封印
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 お湯を上がって、きちんと着替えると、そろそろ晩餐の時間です。おかあさまがお迎えに来て、いっしょに小さい方の食堂に行きました。王太后さまもご機嫌よく、手招きなさいます。主菜は、女官長がおっしゃっていたように、マスのパイ包み焼きでした。離宮の裏の川でとれた新鮮なマスは、ほどよく脂がのって、たいそうおいしゅうございました。デザートはイチゴのムースで、これもわたしの大好きなもの。あとで料理長にお礼を言わなくては。


「ごちそうさまでした。たいへん結構なお味でした」


「うむうむ、料理長じいもよろこぶじゃろう」


 たんとは食べられないのです、と前もってお話ししていたので、量は少なくしていただきました。お残しは申し訳ありませんから。


「実は、イリスに頼みがあるのだが」


「まぁ、なんでございましょう」


 アリステアさまは珍しくためらっておいでになります。おかあさまもいぶかしげ。


「どうしてもそなたに、な。会わせてくれと申すのじゃ。大馬鹿者のヘタレめが。大の男のくせに、この祖母ばばに泣きついてきおって」


 ああ、まさかの展開です。直接のお話がないまま、王太子さまのお約束通り離縁願いが通ると思ったわたしがうかつでした。そうですね。ぜんぜん覚えがないとはいえ、夫婦でしたものね。

 あ、でも、侍従長も女官長も、アリステアさまの「ヘタレめ」のところでそろって頷くなんて。ちょっとロタール殿下がご不憫。


「そなたはのう、われらにとって、仕込まなくてはならぬ侍女や侍従ではなく、叱咤激励しなくてはならぬ王子でもなく、手放しで慈しみ可愛がることのできる、いとしい子どもだったのじゃよ」


「あざとく媚びたり、こちらの顔色を窺ったりすることなく、のびのびと、天衣無縫、というのかのう。小さいころより賢くてな。優しい子であった。われらはみな、そなたが遊びに来てくれるのが楽しみでならなかったのじゃ」


 扉をノックする音に侍従長が応え、アリステアさまに耳打ちをなさいました。


「ヘタレのくせに気短かな」


 アリステアさまが「ふん!」と鼻を鳴らします。


「セシリア、そなたにも黙っておってすまぬことをした。わたくしも寄る年波に気弱になったものよ」


 おかあさまは静かに頭をお下げになりました。アリステアさまのご懇望に、承ること以外ございましょうか。

 扉が開き、ロタール殿下がおいでになりました。

 お顔を間近に拝見するのは、マリエルさまのお居間以来です。あの時は、王太子殿下のご説明を承るので精一杯でしたが、こうして改めて拝見すると、お顔の色がすぐれません。ご下問の際より一段とおやつれになったご様子。あの時の、オイフェーミア姫と見つめあっていらした哀しみのまなざしが、わたしの胸にも迫ってきます。せめて、わたしのことでは、ご心労をおかけしないようにしなければ、と思います。


「王太后陛下、シプリス公爵夫人」


 ロタール殿下が正式の礼をなさいました。アリステアさまはうなずき、おかあさまは返礼をなさいます。


「イリスフィール、しばらくです」


 わたしも座ったままですが、精一杯返礼をしました。


「今日はわたしのために時間を頂いてかたじけなく思います」


 アリステアさまがまた「ふん!」とおっしゃいました。


「待て。そなたの言いなりに、ふたりきりにはできぬぞ。イリスはわたくしの客じゃ。しかも医師どの付き添いの身ぞ」


「イリスはわたしの妻です。妻とふたりきりになって、なぜいけませんか」


「馬鹿孫め!どの面さげて『妻』だと!イリスをこのように傷つけたのは誰のせいじゃ!」


 おなかにずんっと響くアリステアさまのお声です。ああ、このままでは。


「御前さま、では舞踏室はいかがでしょう。今はあけはなしでございますし、公爵夫人も医師どのも、離れてお待ちいただくのでは?それならば、殿下お二方のお話は聞こえないかと」


 侍従長が間にはいってくださいました。さすがです。


「ではわたくしもともに待とう。ジョンストンもファーリーも同席するのじゃ」


 ということで、一同舞踏室に移動しました。侍従長のお話のとおり、廊下側の扉はすべてあけはなしになっています。お庭に下りるガラス扉も開いています。みなさまは舞踏室の奥にお座りになりました。そちら側はランプをともし、カードテーブルを出しているようです。


 わたしの車椅子はロタール殿下が押して、お庭への出口の前にいます。月の光がお庭を照らし、夜風が薔薇の香を運んで来ます。


「イリス、貴女にはわたしとの結婚の記憶がないと聞いた。貴女の記憶のわたしはどこまで残っているのだろう」


「あの……社交界に出る前くらいしか思い出せません」


 ロタール殿下はため息をつかれました。


「では、貴女のデビューでいっしょに踊ったことも覚えていない?」


「もうしわけございません」


「離縁を思いとどまってはくれまいか」


「は?」


 えーっと、ですね。なにをおっしゃっているのか、わからないのですが。


「貴女の望みどおり、グウィディオンで静養なさるとよい。公務などいっさい、貴女を煩わせるようなことはしない。貴女の意に反して、王宮に呼びつけることもしない。貴女は自由に、公爵家の姫であった時と同じにすごしてくれればよい」


「ただ、王子妃という名だけは残してもらいたい」


「どういう意味でございましょう」


 ロタール殿下はわたしの前にまわって、車椅子の肘掛に手をついて、目線をおあわせになりました。そんな間近でごらんになると、ほら、縫い目とか見えてしまいますよ。恥しくていたたまれません。


「所詮ただの人間の男では、妖精姫をとどめておくことはできないのか」


「あの…?」


「つまりだ。第二王子の妃の席が空席では、なにかと不都合ということだ」


「いっそ、オイフェーミア姫をお娶りになってはいかがでしょう」


 ロタール殿下がコワイ。

 え?ダメですか。けっこういい思いつきだと思うのですが。


「自分の私欲の前に障害があれば、暴力で排除するような女性を?」


「でもそれは、殿下をお愛しになったゆえで…」


「もし子どもが生まれたら、王太子の世子を暗殺しかねない女性を?」


「まさかそんな」


「子を『愛して』いればありうるだろう」


 ため息連発です。オイフェーミア王女に対しあえて誤解を誘い、そこまで追い詰めたのは殿下がたではありませんでしたっけ。同じ女性として同情にたえません。まあ、ちょっとした思い付きなので、それはもういいです。


「イリス」


 そんな目でご覧になっても、ねえ。


「わたしに『イリスの夫』という名だけは許してほしい」


 兄君より濃い金褐色の髪、青緑色の瞳ですね、ロタール殿下。にこやかな王太子殿下とちがって、いつも生真面目な表情をくずさない。お小さい頃はかんしゃく持ちできかん坊でいらしたのに。そうやって寡黙なまま、目にものを言わせても。相手が勝手に自分のつごうよく思いこむのを見越してわざとですか。そうやってレネンシアの王女も追い込んでいらしたのですか。わたしは視線をはずしました。

 ちかっと何かが光り、ロタールさまは端正な鼻を押えました。舞踏室の床にチリチリっところがる赤色のチップ。振り向けば、アリステアさまが立ち上がって手を挙げておいでです。それを女官長が止めていました。これって、カードゲーム用のチップですね。え?アリステアさまがお投げになったの?


「このー!腰抜けがー!イリスには宮廷風のまわりくどいかっこつけはきかぬわ!」


 侍従長もサザランド先生も、なまあたたかい視線がイタイですよ。おかあさまはさすがに気まずそうに苦笑い。みなさま地獄耳ですか、そうですか。

 ロタール殿下はむっとした顔でアリステアさまがたの方をにらみました。それからバッと顔をそむけて「外野うるさい」と小声。さすがにお祖母さまに直接はおっしゃれないもののようです。立ち上がると車椅子の取っ手に手をかけて、お庭へ出てしまいました。


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