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無言夜曲  作者: 星水晶
第4章 薔薇の封印
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 さて、シプリス公爵家から王家に、正式に第二王子妃イリスフィールの離縁願いが提出されました。理由は、転落事故による後遺症のため、王子妃としての責務が果たせなくなった、というものです。王太子殿下が、わたしの希望はなるべくかなえて下さる、とおっしゃったので、受理は問題ないでしょう。勅許がおりればすぐに、西宮を引き払うことができるように、公爵家からわたしについてきてくれた侍女や侍従を中心に、片付けと荷造りが進んでいます。もっとも、持ち込んだ私物はあまり多くないので、二日もあればあらかた片付いてしまいました。

 王家から差し回しになっていた女官のみなさんとは、お礼の気持ちを込めてお茶会を開き、一年間お世話になったお礼を申し上げました。とりわけ事故以来、ひとかたならずお世話になり、当初はかなりむごかっただろう傷も見なければならなかったみなさんには、言いようもなく申し訳ありませんでした。女官のみなさんは快く許してくださいましたが、妙齢の貴族の女性にイヤなものを見せたことは、ごめんなさいでした。


 まだ勅許を頂いてはいないので、少し気が早いのですが、離宮にお住まいの王太后アリステア陛下にお礼言上と退出のご挨拶に参上することになりました。おかあさまがこちらにおいでの今、いっしょにお目にかかる方がよいだろうとの、おとうさまの判断です。おかあさまも「わたしからもお礼とお詫びを」とおっしゃって、一緒に参上することが決まりました。

 離宮は別名「青葉の別墅べっしょ」と呼ばれ、王宮からは馬車で一時間ほどのところにあります。無造作がかえって美しい雑木林の向こうに、瀟洒な建物が建っています。雑木林から自然に続いたお庭には季節の草木が生い茂り、離宮全体が自然の中にすっぽりと包まれています。目が覚めて以来初めての馬車移動でしたが、サザランド先生もつきそってくださり、おかあさまとスワニーも同席して、不安はほとんどありません。馬車も揺れが少ないよう特別に工夫を加えて改造したものとのこと。おかげでさほど疲れもせず、むしろ久しぶりの外を見られて、気が紛れました。

 正面の扉は先ぶれを出していたので、大きく開かれておりました。侍従が馬車の後ろから車椅子を下ろして、サザランド先生の介添えで馬車から車椅子に乗り換えました。正面の階段には厚板を渡して坂道ができています。そこをサザランド先生が車椅子を押して登ってくれました。

 入口には王太后さまの侍従長と女官長が出迎えてくれました。おふたりとも、おかあさまともども、お世話になった方で、王太后さまが王太子妃時代からずっとおそば付きでいらっしゃった方です。侍従長はジョンストン卿、女官長はファーリー男爵夫人です。男爵夫人はご夫君を亡くされて男爵位はご子息がお継ぎですので、正確には前男爵夫人なのですが、ここはそのままのお名で通っています。おふたりともわたしの顔を見て、さぞや驚いたことと思うのですが、そんなそぶりはまったく見せません。さすがに長年貴人にお仕えしている扈従の鑑。むしろ、とても喜んで迎えていただきました。


「ようこそお越しくださいました。馬車はお疲れにはなりませんでしたか」


「御前さまはいたくお待ちかねでございますよ」


 おかあさまが久闊を叙している間も、手をとらんばかりにいざなわれます。昔からの知り合いというのはほんとうによいものですね。

 接遇の間を通らずに、直接お居間の方に通して頂きました。侍従長はご年配なのに好奇心が旺盛な方で、わたしの乗る車椅子をたいそうお気に召したようです。


「なかなか快適なものですな。いや、御前さまも近頃おはこびにご不自由があられまして、このような椅子があると、よろしいのではと」


「ジョンストンどの、それはよきところにお目がつかれましたな。さっそく御前さまに言上してみましょう」


 女官長も子どものように目を輝かせて、手を叩かんばかり。いえもう、おふたりともお元気でおかわりもなく、なによりです。わたしはうれしくなって、おかあさまと笑顔を見合わせました。


 お居間にはアリステア陛下がお待ちでした。アリステアさまはご成婚前は公爵家の令嬢で、おかあさまのおかあさまとは同じ先生について、プサルテリウムやダルシマーを習っておいでだったそうです。当時は令嬢教育に楽器演奏を加えるのが流行だったそうです。そのご縁でご成婚ののちも、ご厚誼は続き、おかあさまの名付け親にもなっていただいたとのこと。


「セシリアがうちに来たときは、まだ十三歳で、ほんとうに愛らしかったのだよ」


 侍従長も女官長もそろってうなずいておいでです。


「イリスが生まれた時も、顔を見せに来てくれて。わたくしは自分の孫のように思ったものじゃ。内孫はみな男の子であるからの」


 アリステアさまはわたしの手をさすってくださいました。


「こんな目にあわせるために、そなたを孫嫁にもらったのではなかったのに」


「もったいないお言葉です」


「公爵領でゆっくり静養なされ。でも、体の具合がよくなったら、ときどきは顔を見せにきておくれ。老い先短い身では、たまに楽しみがなくては、おとなしく隠居もやっておられぬからな」


 アリステア王太后陛下がかなりの女傑であられたことは、王宮でも伝説となっています。闊達なご気性、まっすぐ筋を通す正義感、実状に合わせる柔軟性を兼ね備え、情に厚く、私情には流されず、聡明にして全体を見はるかす見識を備えた、すばらしい君主であられたよし。お優しい気性でお体も蒲柳の質であられた先の国王陛下をお支えして、ヴィーラントの今日を築かれたお方です。


「妃殿下のお加減がよろしければ、御前さまのお誕生祝いにあわせておいでいただいてはいかがでしょう。時期も六月と、よい気候の時分でございますし。ごゆっくりと、ひと月ほどご滞在いただいては。妃殿下お気に入りの薔薇園も見ごろでございましょう」


 ファーリー男爵夫人がぽんと手を打って提案なさいますと、アリステアさまも「おお、それは妙案じゃ」と破顔なさいました。


「五月の末の建国祭には、いっしょにここから王宮に参ればよかろう。そのままわたくしの誕生日までここでゆっくりして、薔薇園を堪能しておくれ。誕生日には公爵夫妻も顔を見せてくれようから、いっしょに公爵領へもどればよい」


 おかあさまはにこにこしてご招待をお受けしています。わたしは体調に自信がないのですが、いいのでしょうか。離宮のみなさんにご迷惑をかけることになるはずですが。


「なんの、遠慮は無用。若い娘が顔を見せてくれれば、われら老人も花やごう」


 今年のお誕生日には間に合わず、申し訳ありませんでした。わたしが恐縮している様子を見て、アリステアさまは優しく手をとってくださいました。


「イリスや、またそなたの顔を見られて、わたくしはほんとうにうれしいのじゃ。なに、誕生日なぞ、だまっていても毎年来るわ。また来年を楽しみにしましょうぞ」


 侍従長が戻ってこられ「薔薇園にお茶席の仕度が調いましてございますよ」と、アリステアさまに申し上げました。


「ジョンストン、たまには気がきくではないか。では薔薇園に参ろうか」


 アリステアさまがさっと席をお立ちになると、先頭に立って薔薇園に向かわれます。わたしたちはそのあとを、ぞろぞろとおつきして行きました。サザランド先生は離宮が初めてのようで、ちょっとびっくりみたい。

 薔薇園は今が盛り。温室もガラス窓を全開して、外国生まれの貴重な種も外気にふれています。もちろん、地植えの薔薇も早咲きの株は満開です。アーチがいくつも並び、それぞれ違う蔓薔薇をはわせております。あたりの空気は薔薇の香りでいっぱいです。眠気を誘うようなミツバチの羽音に、花にたわむれる蝶の舞。

 お茶席はアーチの中にありました。わたしの好きな小さい白薔薇のアーチです。アリステアさまが中央に、わたしがその右手に、おかあさまはアリステアさまの左手に座りました。サザランド先生のお席はわたしの側、少し下手にございます。先生はしきりに恐縮しておいでです。

 アリステアさまのお好みで、茶器は磁器ではなく陶器、しかも轆轤ろくろ引きではなく手捻りです。これは離宮にお移りになってからのお好みですね。土の上に華麗な窯変ようへん。素朴で力強い、どちらかと言えば無骨な器なのですが、手に温かい。ずっしりとした重みはありますが、わたしの力無い両手には優しいぬくもりでした。


「茶渋がつくので、侍女たちには評判がわるい」


 王太后さまはお笑いになりました。お茶受けはやはり陶器のお皿に、とりどりに並べられて、かわいらしいです。中でも、イチゴのタルトレットはわたしの大好きだったもの。いただくと子どもの頃とかわらず、おいしゅうございました。


「そなたが来るというのでな、料理長じいがそなたの好物ばかりを作って困る」


 アリステアさまのお言葉に、おかあさまと女官長が笑い声をたてました。


「よい風が」


 おかあさまはアリステアさまを見つめました。長年の習いでなにか感得なさったものと見えます。わたしにはまだわからない、気心というものでしょう。


「ふたりとも、今日は泊まってゆくのだろうね」


 お泊りでしたか。まあ、午後もかなり回っていますので、これから馬車で一時間は、わたしにはかなり荷が重いです。おかあさまも先生も、最初からお泊りの予定で参上したのかもしれませんね。


「ファーリー、虹の間を用意しておくれ。イリスは一階のほうがよかろう。あの部屋は日当たりがよい。窓から薔薇園も見えるしの」


「御意にございます」


「セシリアはいつもの緑の間でよいな。医師どのは申し訳ないが苔の間じゃ。あちこちから異国の文物をもらうのじゃが、置き場に困ってな。処分するわけにもいかず、苔の間に押し込んであるのじゃ。手狭じゃが許されよ」


 サザランド先生が恐縮しておいでだわ。ふふ、アリステアさまはいつもこんな感じで、気さくなお方なのです。


「やれやれ、また料理長じいがイリスの好きなものをたんと作るじゃろうて。トリのクリーム煮パイ包み焼きとかのう」


 女官長がくすくすお笑いです。ええ、アリステアさまはご年配にもかかわらず、がっつり牛のお肉がお好きなのです。


「御前、今宵はトリではなく、マスのパイ包み焼きのようでございますよ」


「さかなか……しかたがない」


 アリステアさまは少し大げさにがっかりして見せてくださいました。


 お茶のあと虹の間に通されて、少しお昼寝することになりました。スワニーはわたしを寝かしつけた後、ファーリー男爵夫人に呼ばれているようです。離宮の女官長は女官や侍女のお仕事にはたいそう厳しい方で、この方の監督下で仕込まれた女官や侍女の方々は、どこの宮殿でもりっぱに勤め上げると有名なのです。結婚前のおかあさまも、西宮のキルデア男爵夫人、東宮のソールズベリ子爵夫人はもとより、本宮殿で両陛下にお仕えしている女官方の多くも、この方の薫陶で一人前に仕込まれたとうかがっています。


「マルグレンはまだお子がお小さいのよね。ファーリーさまは彼女の負担を減らせるように、西宮の女官長に補佐役をつけるおつもりでいたの。スワニーは年は若いけれど、気性に見所があるとおっしゃってね。ゆくゆくは、あなた付きでマルグレンの後継者に仕込むお心積りだったのよ」


 おかあさまはわたしの枕元で髪を撫でてくださりながらお話しです。マルグレンというのは、西宮の女官長であるキルデア男爵夫人のお名前です。ほら、おかあさまとキルデア男爵夫人は先輩後輩の間がらでしたから。ファーリー男爵夫人は、爵位こそおかあさまの公爵夫人より数段もお下ですけれど、おかあさまには若い頃からの先生ですからね。今も敬っていらっしゃいます。

 薔薇の香りの風が通り、わたしはうとうとしていました。


 目が覚めるとスワニーが一段と張り切って、湯浴みの準備をして待っていましたよ。ファーリー男爵夫人の薫陶は、こんな短時間でも有効だなんて、すごいです。


「女官長さまの秘伝の薔薇精油です。こちらの薔薇園で咲いた薔薇から精製した、天然の香油だそうで、王太后さまのために作られたものとのことです。イリスさまのお肌にあうようなら、たんと分けてくださるそうですよ」


 いい香。売られているものとはぜんぜん違って、香も手触りもやわらかいです。不純物がまったくはいってないのでしょう。お湯にいれるとさらりと溶けて、香り立ちます。


「こちらが、お庭の蜂の巣から作った、蜜蝋石鹸ですって。これも王太后さまご愛用だそうです。とてもなめらかで、おぐしもお肌もこれひとつでお洗いできるそうです」


 スワニーに髪を洗ってもらいながら、これも女官長におそわったというヘチマパックをしてもらいました。目を濡らした手巾で冷やしてもらいながら。あぁ、いいきもち。


「梳き櫛もいただきました。黄楊つげという堅い木でできていて、金属製のものよりずっとあたりが柔らかいです。女官長さまはイリスさまがいらしたら、これもあげよう、あれもあげようと、ずっと待っていらしたそうですよ」


 もうありがたくて、もったいなくて、手巾の下で涙が出てきました。


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