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無言夜曲  作者: 星水晶
第1章 目覚める時
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 夢を見ていたと思う。でも、それがどういう夢だったのか、はっきりとは思い出せない。なんだか、もの悲しかったような、ほのぼのとうれしかったような、また、すとんと腑に落ちたような覚えがある。

 目が覚めているのに、目が開けにくい。いつもはぱっとまぶたが開くのに、へんだなと思った。ゆっくり目をあけて何度もまばたきをした。目の前は霧がかかったようにぼんやり。時間がたつと少しずつ焦点があって、ものの形がはっきりしてきた。

 白い天蓋。繻子のような光沢のある生地に、淡い色の縫い取りがびっしり見える。目をこらすと、縫い取りの意匠がはっきりしてくる。ああ、これって星辰図。銀砂をこぼしたような天の川。吠える獅子。尾を上げる蠍。傾く天秤。麦の穂を持つ娘。天空を廻る十二宮の宿星。目を転ずれば北斗、白鳥、竪琴、鯨……。

 よき眠りを見守るように、熟睡うまいに誘う夜の星々をちりばめた愛らしい白い天蓋だ。


「かわいい…」


 ふっと微笑みがもれた。おや、声が出ない。口をあけようとしたが、なんだか開きにくい。顔をどうかしたのか。手でさわろうとしたところで、その手が動かないのに初めて気づいた。


「あら?」


 視線をめぐらして体の方を見ようと思うのに、首が動かない。目だけきょろきょろ動かしているのは、はたから見たらさぞおかしかろう。どうも、天蓋から流れ落ちるように銀白色の紗の幕がぐるりと取り囲んでいる中に、横になっているらしい。

 だがこれがさっぱり見覚えがない。

 日の光がこぼれて来るので、今は遅い朝、いや昼刻だろうか。この部屋の感じもまったく記憶にない。まるでよその家に泊まりに来たかのようだ。実際そうなのかも。

 目が覚めてからかなり時間がたっているような気がするのに、その間誰も部屋に入ってきた様子がない。昼間から寝かされたままなのは、病気かなにかだったのかしら。どこも痛くないけれど、体がちっとも動かないのはそのせいかも。

 空腹感はないが、のどが渇いた。時間をかけてゆっくり口をあけることができたが、ひどく乾いている。なんだか舌も口の中ではりついてしまったようで、乾いた唇をなめることもできない。もっとも、唇をなめるなんて不作法はしないにこしたことはないが。


「…………」


 声を出そうとしても、スカスカと息しか出ないのが滑稽だ。なんだかおかしくなってきて、くすくす笑いがこみあげてきた。胸がふるえ頬がすれた感じがする。髪の毛が頬をこすったらしい。

 上掛けは薄くて軽いもののようなのに、手も足もなかなか動いてくれない。病気ではなくて、怪我をしたのだろうか。骨が折れたとか、まさか、背骨を痛めたとか。いや、それはなさそう。だって、動かなくても手足には敷布や上掛けの感触がある。なめらかで、目が詰んでいて、柔らかい。指先をもぞもぞ動かすことができたのでわかった。

 少しずつ体を動かすことができるようになってきている。ほら、大丈夫。寝台のふちまで動けたら、足をおろして起き上がれるはず。

 足じゃなくて頭の方が動いた。うう…。天鵞絨らしい枕から頭がずれ落ちた。あ、ちょっと気持ち悪いかも。寝台のふちから頭が半分はみ出して、血が下がっていく。

 ひとりであせってもがいていたので、扉が開く音に気付かなかったようだ。


「ひっ!!」


 若い女性の短い悲鳴のよう。ガシャガシャと何か床に落ちる音。

 誰?だれでもいいから、ちょっと助けてくれないかしら。

 声を出して呼ぶことも、手招きすることもできないもどかしさ。乱れた足音。誰かほかの人が来てくれる。たすかったかも。


「奥さま!」


 落ち着いたアルト。寝台の垂幕をかき分けて女の人がひとり来てくれた。屈みこんで顔を覗き込んでいる。つややかなマホガニー色の髪は、いつも通りきちんとまとめられて、彼女の生真面目な性格をよくあらわしている。しっかりとした手が頭の下にすべりこんで、落ちないようにささえてくれた。うん、これで落ちないから。ありがとう、スワニー。今日もあのエナメルの懐中時計をつけてるのね。おばあさまがご褒美にあげた、銀側でエナメルの蓋のきれいな時計を。

 スワニルダ・マクタヴィッシュ。スワニー。


「奥さま、お目覚めでございますか」


 ええ、起きたのよ、スワニー。でも動けないの。口もきけないのよ。わたし、どうしちゃったのかしら。


「ただいま、お水をお持ちいたします」


 さすがスワニー、お願いね。口の中がすっかり乾いてて、声が出ないのもそのせいだと思うのよ。スワニーが後ろを向いて誰かにいろいろ指示してる。もうすっかりりっぱな侍女頭ね。

 スワニーがわたしを抱き起して、誰かが背中に山ほどクッションを押し込んだから、なんとか背もたれにもたれて起き上がった形になれた。スワニーの手がガラスの吸い飲みを口元に寄せてくれたのに、わたしはお水を吸う力も出せないなんて。でもスワニーが吸い飲みをかたむけてくれたから、口の中にお水が流れこんで、かたまっていた舌も動かせるようになった。よかったわ。

 ただのお水がこんなに甘く感じる。ああ、とてもおいしい。ねぇ、スワニー。もっと飲ませてくれない?スワニーは水差しから吸い飲みにお水を注いでくれる。そのうしろで誰かほかの侍女がワゴンを押して来たようだ。琺瑯ほうろう引きのたらいにお湯がいっぱい入っているらしく、ラベンダー香油の甘い匂いがする。二杯目のお水を飲み終えると、スワニーはワゴンの侍女から濡手巾を受け取って、話しかけてきた。


「奥さま、お顔とお手をお拭きいたしますね」


 ええ、うれしいわ。さぞさっぱりするでしょう。でも、顔も手も思うように動かないのよ。

 スワニーは丁寧に拭いてくれる。付き添った侍女が何枚も手巾を用意してスワニーに手渡す。侍女頭はもう堂に入ったものね。視線だけで侍女たちを動かすなんて。


「あとで、おぐしも櫛を入れ、お体もお拭きいたしましょうね。何もかも一度では、お疲れになってしまいますからね」


 スワニー、あなた、どうしたの?顔をそむけて、あなた、涙が……。


「イリスさま。本当に、よくお戻りくださいました。公爵家に使いを走らせましたので、お心強く」


 スワニーが泣くなんて、おばあさまが亡くなった時以来じゃない。あの時はいっしょに泣いたわね。でも、スワニーはすぐに強く立ち直って、わたしを叱咤激励したわよね。それなのに、今泣いてるなんて、わたしはよほどひどい病気だったのかしら。

 スワニーはきれいに拭いたあとで、顔と手に化粧水をたっぷりすりこんでくれた。いつも使っていたあまり香料のきつくない化粧水。そっと手櫛で髪をなでつけてくれる。やさしいその手が、いつも姉のようだったのを覚えている。姉妹のいないわたしにとって、もの心つくころからずっといっしょにいたスワニーは、ほんとうに姉のようなものだから。

 姉といえば、わたしには弟がいたわ。小さいころは天使のようにかわいかったのに、このごろは生意気になって、姉のわたしのこともどこか目下に見ている節がある。女だと侮っているのだわね。ふふん。世界の半分は女でできているのよ。今に絶世の美少女に出会って、心を奪われてぎゃふんという目にあったりして、思い知るとよいのだわ。

 目の上にひんやりとした湿布があてられ、唇にも軟膏がぬられた。たぶんスワニーね。上掛けがなおされて、背あてのクッションも減らされた。


「すぐに医師が参りますので、しばらく安静になさってください」


 ありがとう。そういえば、何もしてないのに、疲れたみたい。


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