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努力嫌い

作者: いきる

いつからこんな風になったんだろう。自分は確かにもともとこんな風であった。でもこの沈むような無気力さはなんだろう。

そりゃあ四年も付き合った人と別れたら無気力にもなるさ。周りの人々はきっとそう言う。自分もじっさいその事のせいにしているけど、それはただの言い訳だ。

この二週間の間で、色々と言い訳を探していた。本なんて今まで読まなかったくせに、「内向型人間の時代」なんて恥ずかしい名前の本の中の言葉を必死で貪った。

「あなたは誰もを不幸にする欠点を持っていて、その欠点を取り除く努力をしない。」「あなたと居ると誰でも陰気臭い気持ちになる。」「あなたはつまらない人間だ。」

頭の中で響く声にずっと言い訳している。彼が外向型人間で私が内向型人間だというのは別れの原因じゃない。私がつまらなく、努力しようとしない人間だからだ。本当はわかってる。

でも努力ってなんだろう。努力は嫌いだ。努力した者こそどんどん死んでいくのが日本だ。長生きしたいわけじゃないけど、努力だけして生きる人生は嫌だ。努力しろ努力しろと大人は言うけど、自分が努力して人が努力しないのが許せないという事にしか聞こえない。

この話を友人と呼べる人にしたことがある。もちろん間違いだったよ。完全に社会不適合者だと思われた。目でわかる。それに私をおかしいと思う気持ちもわかる。私だって楽に生きたい。少し努力と言われる事をして、大人に気に入られ、お金を稼ぎ、家族を持って、周囲からは評価されて、安定したまま死んでいく。よくいるミュージシャンのように、「安定なんてつまんない」そんな風に思った事はない。普通で真面目で人から好かれて幸せな人生、もちろん望んでいる。でもこの社会に生きてる中で、どうしても疑問を感じずにはいられない。そしてその疑問を消す事ができない。社会を変えたいなんて事は思ってないけど(そんなたいそうな事が思えでもしたら矛盾した生き方をしなくて済むのに)、どうして皆何の疑問も感じずに集団の中で元気に居られるのか不思議でたまらない。たとえば、皆どうせいつかはさっぱり居なくなってしまうのに、どうして名誉、人から評価されることが大事であるのか。そう、人はどうせ居なくなるのに、どうして生きてるのかさえわからない。そんな基本のことぐらい、学校で教えてくれればよかったのに。

私は学級というものの中でこのような自分の暗い部分を出してこなかった。人と関わることはもうかなり昔から苦手だった。でも中学や高校という表面で物を見る力を育む場所で、自分は明るい所に立たされ、どれほどのストレスだったか、明るい人間を演じてきた。根っからの小心者の自分は結局、中途半端に好かれた状態から、嫌われ者になるのが怖かっただけなのだ。もともと注目されず一人だったならどれだけ楽だったんだろう。


私はじっさい楽をするのが好きだ。だからきっと努力が嫌いなんだ。努力が嫌いだからってこうやって駄々をこねて、言い訳探ししている若者を見たら、大人達はいいから働け、勉強しろ、社会に加われ、といってくるだろう。でも、どうして外向型人間の方が良いとされているの?どうして協調性を持たなきゃいけないの?自殺率がこんなに高くても、社会は平和に回っていると言えるの?「世の中」に対しての疑問は絶えないが、「世の中」を作っているのも同じ人間だ。ずっと心の中は晴れないまま、人間を理解できないまま、「世の中」から良いとされている事をこれからも続けるだろう。

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