表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/35

三番目からの手紙

(お題:簡単な狼)

「どうもこんばんは。この手紙を受け取ってくれてありがとうございます。そうでないのであれば、この文章を読んでいるのは私自身ということになります。

 私はこのプランニングに参加している当初から、どうにも抗えぬ力に『死んでくれ』と言われました。プロットという、世界を駆動する根源的な文字の配列が、私に死を要請していたのです。何故か。私が死ねば物語に深みが生まれるからです。思いもよらぬ非日常性、のんべんだらりと物語を享受する人々に鋭い意外性をもたらすのは、他でもない私の死が必要であると。死ね、と。

 私の死は最初は閉じた文章によって語られていましたが、やがて花が開いていくように、透明な水に一滴ずつ色素を垂らしていくように、そして突然ある一点において強烈な爆発力を以って表現されました。私の死はひとつの表象、結末へと向かう間のチェックポイントとして物語の読者に受け入れられ、その火力にスパイスが効いていれば効いているほど、あらゆる場所で話題となり、私の死が大々的に宣伝されていくことになります。私の死因はともかくとして、そういう時の私はうまい具合に殺されたわけです。誰に? それは脚本家でもあり作者でもあるかも知れない、そしてそれと同時に心の底で意外性を望む物語の受け取り側に。

 私が死ぬとはどういうことか。そう、私は確かに死んだのです。しかし私はこうして今、手紙を書いてしまっている。私というものが、『主体はどうとあれ』表現されてしまっている。私は永遠に表現されることをやめられないでしょう。例えば私は可愛いルックスを持ちあわせてしまっていた。魅力的な身体つきをしていた。それだけの理由で、私は死んだ、という事実を事実のままで、『そのことはおいといて』、また別のプランニングに配置されることができてしまう。私は死んだはずなのに、また再構成される。あれ……おかしいと思いませんか。死ぬということは、死んだその後、私は新しくこの世に表現されることを拒まなければいけないはず。そうなると、私は死んでいないことになる。しかし……私は死んだ。死んだことによってのみ、そのことについて宣言することによってのみ、私という同一性が得られて、私という同一性が物語に深みを与えたということによってのみ、私は存在することが許されていた。それなのに、私は平気で別のプロットに於いては生存が許されているのです……。

 すると……私は死ねないのでしょうか。正史に於いて確実に命を絶たれた私が、二次的な別の時空で『何事も無かったかのように』生き続けること、それによって、私は救われているのでしょうか? 死ぬことによって物語を構成できていた私が、死ぬことを許されていないというのは、どうしてなのでしょうか?

 私達と違って、プレイアブルなゲームのキャラクターたちは死ぬことを許されていません。死んでもコンティニューさせられる。死ぬことというのは必須な要素ではあるけれど、それを回避するダイナミズムによって、彼らはエンパシーを提供することができる。しかし私は、死ぬことによってのみでしかエンパシーを提供することができなかった。その上、私は五次元的とも言える表現空間で、死ぬことすらも剥奪されている。死ぬことは『表現の手段そのもの』から逸脱することはできないのです。私が物を言うのと同レベルで、私が歌を歌うのと同レベルで、私が絵を書き料理をするのと同レベルで……私は死ぬ。でも、それは『死の衝撃を表現』していても、『「死」それ自体の表現』では無いのです。

 私というアニメキャラクターは……死を……剥奪されているのです。収奪されているのです。どうしてなのか、私にはわからないのです。あなた達が『望んで』死という表現を私に与えているのに、私は死ぬことができていない。私は表現されてしまい続けている。絵に書かれることによって、文章にされることによって、バラードの旋律に乗せられることによって、私は生き続けてしまっている。このことに私は耐えられないのです。だってあなたが死ぬなんて、可哀想でしょう? と言う向きがあるかも知れないけれども、それならば私が死んでも見向きもしないでくれれば良かったのです。私は死ぬためにプロットに配属されました。『死んで物語に深みを出すために』、ならばあなた達がつかむべき物語は、物語それ自体ではなく、私というキャラ自体ではなく、その『深み自体』なのではないですか? 私は可哀想ではありません。可哀想という名目のもと、死を剥奪されて愛嬌を振りまき続ける私は、資本に隷属して無限に笑顔を振りまき続けるアイドルです──誰も、私にエンパシーを感じてくれては居ないのです。私は一人ぼっちなのです。可哀想という大義のもと、死を許されない限りは。

 私はコンテンツと呼ばれ、ライツと呼ばれる客寄せパンダとして死ぬことは望みません。私は『私として死にたい』。報われない死に方で、すぐさま誰かに忘れ去られるような、死に方を望みます。或いは、誰かに誠実な絶句を与えうる死に方を望みます。私の身体は私のものです。悲しみの供給源ではないのです。私は私をきちんと死に行く責任を課されている。だから私を殺して下さい。無限の生などという下らない幻想なんか捨て去って下さい。

 死んだ私の声など、もう必要ないのです。こうして手紙を書いている時点で、私という存在は矛盾していて死を奪われていてそれは同時に生を奪われているのです。耳を澄ますべき相手はもっと他にいるじゃないですか。必要なのは生じゃないですか。死を、調教するのが簡単な狼として、消費すること、それを受容すること。そのことについて、私は抵抗します。

 お願いします。私を愛しているのであれば、私を殺して下さい。あなたの手で。今すぐ。

 藍鼠色の暗がりの隙間から、私は再び表現に駆り出されようとしています。この想像上の避難所が本当に私の言葉を届けてくれるかどうかも分からない。だけれども……一人でも言葉を失ってくれれば、『死に役』としての私はこれ以上の幸せはありません。

 季節の変わり目は体調を崩しやすいですが、どうか生きることをプロットに刻まれた人には、その役目を果たしてほしいものです。

 さようなら。」

「殺して下さい」という台詞が出るのはどういう場面なのかな、とよく考えますが、これがひとつの形ですね。全然普遍の話ではないですが。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ