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ハイクから見た旅行史

(お題:未熟な旅行)

 まずもって、旅行とは世界で初めて松尾バショウが始めたものである。これは日本人なら誰でも知るところである。『オクの細道』の「月日は百代の過客にして行き交う年もまた旅人なり」という序文はあまりにも有名で、幼稚園児はあいうえお表の次にこれを覚える。旅行と同時にハイクが始まったので、旅行とハイクは兄弟のように扱われる。貨幣経済の勃興と文字の興隆に密接な関係があるのと同じように。

 旅行に行くものは、皆五七五を以ってその旅行の感慨を綴る。あまりに多くの日本人がそれを実践するために、一大観光地(とくに日光とか京都とか修学旅行生が大挙して押し寄せてくるようなところ)では和紙の不足が深刻な問題になった。そのためのSNSが国の援助を受けて発足し、今では世界190カ国の人々が旅行をしながらのハイクを楽しむようになったが、やはり五七五のリズムにぴったり合うのは日本人の扱う言語においてのみだった。

 野ざらしの 石にも流る きびだんご

 ハイクという語感からして、ハイク(Hike)と勘違いする英語圏の住民が多く、五歩・七歩・五歩のリズムに合わせて移動することを旅行と考えてしまう人が多かった。ハイク用SNSの発達によりこの誤解は熱湯をかけたように氷解していったが、それまでは日本発祥の旅行というものは受け入れられにくかった。リュックに日めくりカレンダーのような和紙の束を抱え、日の出を見ては十七文字、雨にふられては十七文字、足を挫いては十七文字。特集を命じられた新聞記者か、ノンフィクション作家かと見間違えるような日本の旅行者がグランドキャニオンや大英博物館で保護されることが多く、このことによって国家間の緊張感が高まったことも、SNS導入に踏み出した理由のひとつとなる。

 このSNSの特徴は、それを構成するコードが全て五七五で書かれているところである。このことが高く評価されて、一昨年の夏にユネスコによって世界無形文化遺産に登録された。無形なのかどうか怪しいところだが、フジ山のスケールに比べたら無形のようなものだろう、というのが審査員の見解である。まず人々は旅行に出かけ、ハイクを詠むポイントに達したら、「ハイクを詠む」というボタンを押す。すると3つの入力フォームが出てくるのでそれに詠んだクを入力する。すると、ハイク朗詠用のボーカロイドが見事な声でそれを詠み上げてくれて、それを聞いたネット上の人々がその人のクを評価する。評価は星5つまでつけられて、星の総数によってその人の旅行のグレードが決まる。一般的に、星の数が100に満たない旅行は「未熟な旅行」と見なされる。1000を超えると最高グレードの「松尾の旅行」と言われるが、苗字が松尾の人にとってはいつだって松尾の旅行なのだから、別の名称に変更しないかという議論が数年かけて行われていた。

 ハイクSNSのお陰で和紙不足は回避されたが、今度は逆に和紙が売れなくなってしまった。そのお陰で経済的に逼迫した日光は東照宮をロシアに売り渡すことによってかろうじて観光地としての体裁を保っていたという。時代の変遷についていけなくなった和紙業界は、必死でハイクの伝統復興の運動を始めたが、既にSNSの便利さを知ってしまった人達は見向きもしなかった。かろうじて、毛筆を好む一部の物好きの人達にはもてはやされたが、それだけの話だった。

 時代が下ってくると、人々は語彙不足に悩まされる。なんといっても、数十億人の人がハイクを詠むのだから、山とか川とか海とかいう言葉は陳腐中の陳腐な表現となり、誰からも星がもらえなくなってしまうのだ。特にバショウがクに使っていた言葉、五月雨とか蝉とかつはものだとかいうちょっとモダンでおしゃれなワードも、この時代では死語に近いものと化していた。上手なハイクを詠めるのは、広辞エンと呼ばれるハンマーのような辞書に出る語彙を全て把握した一部の知識人のみとなっていった。メディアは「若者の旅行離れ」と深刻な顔で報道を始め、しかつめらしい顔をした評論家が「SNSの負の側面」ともっともらしくコメントする。

 科学者達はどうにかこの状況を打破しようと考え、まずは日本人の使う言語を拡張してみようと試みた。いくつか言葉を考案してみたが、その言葉のさすものが存在しなかったので、この方向性はすぐに座礁した。

 そこで、一人の科学者があることに気がついた。ハイクの内容はほとんど風景ばかりである。それならば、その風景をそのまま表現できる何かがあれば良いのではないか?

 この意見は十年続く大論争を引き起こした。その十年の間に旅行とハイクはすっかり人気を無くし、一部の物好き達がする程度のものとなってしまった。日本人はみな家や地元に引きこもり、代わり映えのしない毎日をしかつめらしい顔をして日常を過ごすようになる。だが、どこか不満げだった。何かが足りないな、と皆思っていた。そのストレスによるダメージは経済に如実に現れ、日経平均株価は右肩下がりになり、深刻なデフレスパイラルに陥いる。

 日光東照宮からの収益で国家予算の半分を賄うロシアは、この大不況で一番の深手を負った。どうにかしないと貿易しないぞ、と脅しをかけられて、ようやく科学者達の大論争は終結した。風景を直接表現する手法を模索しだしたのである。

 ここで注目されたのは、フラッシュバックという現象だった。そのワンシーンが眼の奥に焼き付けられたかのように、何度も蘇ってくる。主に戦争に従事した兵士や、大震災に遭った人といったトラウマを抱えた人たちが訴えるものだ。

 彼らの見ている風景を、紙に焼き付けられたら?

 科学者達は猛烈な勢いで研究を始め、数多の発見の末に「カメラ」と名付けられた風景表現機が出来上がったのは、数年後のことである。シャッターを押すと、レンズを通った光がフィルムに焼き付けられ、風景が絵として記録される。人々はこの魅力的な新商品……ハイクに変わる新たな旅行のパートナーに食いついた。もはや誰もSNSなどには見向きもしなくなり、人々はカメラを携えて旅行に出かけるようになった。ベッドタウンに住む人達はみんな旅行に出かけてしまったために、都市近郊の人口が大きく減り、観光地の人口が大きく増えた。日光はこの発明によって収益を取り戻し、ロシアから東照宮を取り戻すことができた。

 数年後になると、スマホにカメラがついたモデルが登場し、これも大人気となった。古びていたSNSの代わりに、カメラで撮った風景を投稿できる新しいスタイルのSNSが登場し、IT革命以来のSNS大革命ともてはやされた。人々はハイクを詠む代わりにカメラで風景を収め、SNSにそれをアップロードしてはまた他の人々の評価を仰ぐようになったのだ。これがハイクのSNSと違うのは、星による評価ではなく、一人一票の「Good」ボタンを押すというシステムが採用されていることだ。これによって、人々はワンタッチで投票ができるようになり、より多くの風景を見ることができるようになった。そういうわけで、あまり多くのGoodがもらえなかった人の旅行は、大したことがないということであり、億単位のGoodをもらえた人の旅行は、もはやガガーリンの宇宙旅行に匹敵するくらい、グレードの高い旅行だったということになる。

 そして現在……私達は新たな問題に直面している。

 数百億の人々が風景を撮り尽くした結果、地球上で見たことのない風景は存在しなくなってしまったのだ。SNSを覗いても、どこかで見たことがあるような風景ばかりで、面白くなくなった。人々はまた家や地元に閉じこもり、マンネリの毎日を続けるようになった。東照宮はカナダに買収されてしまった。和紙業界は既に歴史から消えてしまっている。

 さあ、今度は我々の番だ。ハイク、カメラに代わる何か新しいものを創りださなければいけない。それは一体なんだろうか。分からない。科学者達は議論すらしていないし、哲学者は麻雀ばかりやっている。

 うーむ、困ったものだ。

 おっと、じゃあ今日の授業はここまで。東照宮を買い取った国の名前はテストに出すから、覚えておけよ。

 起立、礼。

旅行といえば松尾芭蕉でしょ! という安直な発想が、こんな具合になるとは思いませんでした。俳句界隈の人に殴られそうです。

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