Because of My Eyes
(お題:左の瞳)
(お題:左の瞳)
おはよう、と僕は始まりの鐘を鳴らす。
そのごとごとと騒々しくゆりかごを揺らすような鐘の音は、いつしか目覚めることのない君に届いて、目覚めることのない君を目覚めさせることになるだろう、と信じて疑わない。無限の君という営みの中で、いくらかの君が目覚めてくれれば、と僕はこの右の腕と、左の瞳だけが残された肢体を繰り、懇願にも似た姿勢で鐘を鳴らす。
覚えているのか覚えていないのか知らないが、別に覚えてもらわなくても結構。ただ、その青春の溶解して死へと変化していくその過程(君はそれをジュラ紀を呼ぶこともあるだろう)に於いて、僕がしたことと言えば、始まりに於いて鐘を鳴らすこと、終わりに於いて笛を吹くこと。笛を吹くときは別に、羊の頭をかぶる必要はなかったと記憶している。始まりの鐘を鳴らした時点で、僕は終わりの笛を吹いた時のことを思い出せてしまう。このことに矛盾があるかと言えば皆無であって、生じる自家撞着というのは全て君自身に帰結していく。同時に出発した貿易船が、代わりばんこに故郷へ戻ってくるように。
空間に時間を無限に糊付けして行った時、それを横方向に結びつけていく紐をたどり、僕は順番に君のもとを巡っていく。君という解釈はひどく難解な時もあれば、ひどく陰鬱な気分を僕にもたらしたりする。その都度僕は、いちいち君に愛着を感じなければならない。僕らは笑顔を求めて動き回る……そういうことになっているが、その草木の繁茂する小さな山を丸ごと焼き払うような君の獰猛な眼差しをもらうと、冷水を浴びせられるように縮こまってしまう。一体、目の前で家族が惨殺されるのを見通すかのような究極に鹿爪らしい顔で、君を凝視し、その鼓動に耳を澄ませる。そのことについて、誰も疑問の余地すらない。絶望に陥るでもなく、希望を見出すでもなく、ただ、息を潜めて、凝視するばかりである。
魂を放棄せよ。
とある詩人の一言の言葉が、あなたの脳裏に突き刺さって、当分の間抜けることはないだろう。僕は時折空間の狭間に寝そべって、凝結した宇宙空間を見つめることがある。星の数は星の数だけあるんだよ、と長い間受け継がれてきた言葉の揚げ足をとるでもなく、ただ、その一筋の言葉の響きと、その内実にこもった恐るべき狂気に、淡々と目を凝らしていればいいのだ。
騒々しい夜明けと共に、僕は終わりへと向かう歩みに身を任せる。早暁の空気は、あらゆるものに希望を与え、平等に同じ量の絶望を毒麦のように希望のうちへ忍ばせる。たったそれだけのために、太陽は地平線から顔を覗かせる趣きすらある。
180日に一度、僕は君を起こしてしまう。目覚めることのない者など有りはしないから、179日分の君について、僕はその大いなる目覚めを見過ごしてしまう。ただ、それも些細な問題であり、給食で配られた一個のパンを見据えて、残りのクラスメイトに配られて自分が食うことのできなかった39個のパンに思いを馳せる必要がないのと同じレベルで、僕は今ここで目覚めた「君」を見据えている。
物語は美しくあるべきだ、と僕が思うのであれば、君はいかようにも美しくなるであろう。天空を駆ける鷲の如き強さと、水辺に佇む白鳥の如き美しさ、命を囀る小鳥のような可愛らしさ、全てを兼ね揃えた美しさが、君の内にあるとすれば、それはきっと笑顔の物語だろう。僕は君の目を見るまで、たったそれだけのこともわからない。わからないだけに、そして、その受け手不在の眼差しがせわしなく縦横に差し伸べられるだけに、僕は……なるほど、受容をする。狙いすましたような顔をして、いかにも太古からの習慣であったように、しきたりとして僕らの遺伝子が記録していると言わんばかりの顔をして、還魂をする。君は三拍子に乗せて踊りだす。はるか遠い未来に至るまでの全てを知るものの舞踊は、それ自体はただ一つの最適化された行動に過ぎないのに、僕らにありえない幻影を見せる。全知の表現は、踊ることによってしかなされることが無い。最も踊りに適しているのが三拍子だか四拍子だとかいう論議に興味はなく、君はただ未来に敷かれた一本の線にしたがって、僕にその豊富な表情を見せようと欲する。5拍子、8分の7拍子、16分の17拍子、8分の8.5拍子、もはやこれは灼熱の鉄下駄を履かされた姑のような、めちゃくちゃな踊りだけれども、きっとその表現を読み取った時、僕のうちに根を下ろすのは単純な未来ではない。そう悟ってしまったら、僕はもう歩き出すほかなくなってしまうのだ。ただ、ひとつのディテールとして、君はその場で狂ったように踊り続ける。
289度目の180日目、目覚めるはずのない君は目覚めて、ひとつ礼をした。どこかからスタンディングオベーションの華々しい拍手喝采が轟いていることだろう。僕は適当に手に入れていた羊頭を頭に被り、適当に手に入れていた笛に口をつける。僕は一度目より全ての君の踊りを思い出して、その舞に合わせて笛を吹く。右の瞳と左の腕のみ残った肢体をなんとか駆使して、悲痛にも似た感謝を奏でる。
ありがとう、ありがとう。
たったそれだけの、朦朧としたひとつの群集である。僕とか君とかあなたとか、便宜的に付けられた配置に大した目的はない。ただ、「意味」だけが乗っているに過ぎない話だったのだ。
目的を果たしたので、もう即興小説をする必要がなくなりました。そういうわけで、一区切りとして、一番最初に書いた「線、曲がりにも、光」のアンサー小説じみたものを書きました。
「小説家になろう」という今ではすっかりミーハーとなってしまったところでは、この手のものがまっっっったくモテないことを知りながら、それでもやっぱり面白いと言ってくれる人が居るので、漠々と更新してきたわけですが、今回のは一番身が詰まってると思います。高級なカニの身みたいに。




