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一匹の草原

(お題:暴かれた春 必須要素:ボーイズラブ)

 やあ、ついにやってきたね、とその豚は言った。あたりは見渡す限りの草原、大草原、巨大草原。この豚と俺なんて、航空写真で取ったら1ピクセルの色素にすらならないくらい、大きな草原で、風がわっさわっさ吹いて、ざわざわと幾何学めいた模様を草に走らせる。

 やってきたね。豚はそう言った。ちなみに、『風の歌を聴け』の「鼠」みたいに人のアダ名ではなく、こいつは本当に豚だ。豚足を精一杯稼働させて、俺の横を歩き続けている。何故口をきけるのかというと、こいつは大昔に大災害に遭って、それきり豚として生きてきた一人(一匹)の賢人なのだ。で、俺はその付添人……たったさっきそこで会ったばかりの旅人だ。

 で、何故こんな納品に間に合わずやむを得ず背景を一面の草原にしちまったエロゲーみたいな場所に、この豚がやってきたかというと、ここがその大災害の現場であったから、らしい。原子爆弾で吹っ飛んだ都市も、時間が経ったら緑が生い茂っていたそうだから、根本的に草を絶やすことは不可能に近い所業らしい。一生かけてこの草原の草を抜き取れ、と命令されたら、俺は今すぐそんなのムリだから殺してくれ、と懇願するだろう。……その時になってみないとわからないけど。

 大災害の浄化した城下町がここにあって、賢人はそこで豚になった。豚になった気持ちは豚になった者にしかわからないが、この豚はその気持を語ろうとしない。それはそうで、例えば受験に失敗して落ち込んでいる人間に、受験に失敗した気分を訊いたところで、それは何の意味もなさない。丁度死んだ人間に対して、どんな気分か訊くのと同じようなもので、しかしそう言ってしまうと、俺達はいつでも死に続けていることになる。だが、死に続けることが生命の一つの解釈なのだとしたら、別にそれは間違っちゃいない。

 豚は唐突に地面を掘り始める。賢人だから、自分のいる座標がすぐに分かるらしく、大災害の前にそこに埋めたはずのアクセサリーを掘り出そうとしているのだ。

 この豚は人間の姿ではゲイだったそうだ。で、賢人というステータスを利用してあらゆる男と恋に落ちていった。すると、この豚が人間の姿に戻った時、俺はホレられてしまうんじゃないかと思うが、ついさっき会ったばかりの時に「タイプじゃない」と宣言されたばかりなので、安心だ。それで、そのアクセサリーというのも、その恋人からもらったものなのだそうだ。

 必死で地面を掘る豚を尻目に、俺は自分の左薬指に嵌った指輪を見る。婚約指輪なんて洒落たものではないし、初めてそれを受け取った時は右手の中指に嵌めていた。薬指に移したのは最近だし、しかもそれを俺にくれたのは一匹の野良狼だ。何のロマンスもありはしない。旅にロマンスとか自分探しを目的に出かけるようなヤツがロクな答えを発見しないのがお決まりなのは、周知のことである。俺の中では。

 やがて、豚は地面のなかからじゃらじゃらと繋がった鎖を引っ張りだした。これをどうするんだと訊ねたら、豚は僕の頸に巻いてくれ、と頼んできた。

 言われたとおりにした。まるで、俺がこの豚の飼い主でリードを引いているような格好になった。

 あんた、マゾヒストなの、と訊いたら、なんの、と豚は答えた。それ以外に答えはなかった。よくわからない。

 それからまたしばらく歩いた。歩いても草草草、大災害で被った傷跡を覆い隠すように、必死に生い茂っている。

 歩数を数えるのに飽きた頃合いになって、また豚は地面を掘り始めた。僕はさっきと同じように指輪を眺めてみる。鉄の指輪だ。よくあるRPGなら防御力が2くらい上がりそうな指輪。これをくれた狼は、この豚と同じくもともと人間だったんじゃないかと思った。だって、そうじゃなければ指輪なんて持ってないだろう。

 豚はじゃらじゃらと再び鎖を引っ張り出してきた。そして、僕の胸に巻いてくれ、と頼んでくる。俺は言われたとおりにしてやったが、そこが本当に胸であってるのか不安にだった。豚はなんにも言わずに歩き出す。

 日が暮れるまで同じ作業を繰り返し、豚は最終的に鎖でグルグル巻になった。出荷直前でももっと良い格好をしてるだろう、と皮肉を言いたくなるほどの間抜けな格好だった。

 人間に戻る気なのかい、と訊ねると、豚は全身を横に振って否定する。今人間に変わってしまったら、僕が僕でいられるか怪しいもんだ。例えば……もとのようにホモに戻れるかな?

 ホモでいたいのかよ、と俺は訊ねると、豚はジャラジャラと鎖を鳴らす。いたいとかいたくないとか、そういう問題じゃないくらい分かるだろ? そうじゃなくて、僕はゲイでなければ僕じゃないんだよ。レプリカなんだよ。そんなの。

 それなら豚の方がマシらしい。そうやって誇ってしまえるあたりが賢人の不幸なところというか。潔癖症を極め尽くした人間がある時断崖絶壁から落ちて、とっさに手を出したのに汚い地面に触れたくなくて手を引っ込め、永遠に落ちていくみたいな愚かさ。

 あまりにも一般的だ。君は狼から指輪をもらったね。

 豚はヒグヒグ鼻を鳴らしながら言った。俺は頷いて、ああ、何故か知らないけどな、と答える。

 翌日、豚は鎖を体中に巻きつけて草原のどこかへと消えていった。昔の恋人のところに行ったのか、それとも俺ぬきで昨日の行程を永遠に繰り返すつもりなのか。どっちにしろ興味は無く、俺は帰路につくことにした。故郷に帰ったら、人間の狂気について延々と考えている狂人じみた哲学者に教えてやる、豚にも狂気が宿る可能性があるぞ、とこの指輪を突きつけてやりながら。

 草原の終わりははっきりと分かった。ある一線を超えたその先は一面の雪景色で、それがこの土地の正しい季節だった。大災害によって永遠にその土地に焼き付けられた春は、一匹の豚によって地道に地道にその足元を暴かれ続けている。そう考えると、この指輪の一般性など取るに足らない気がしてならなかった。

迷える子羊、狂える子豚。

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