真理のふち、海岸で
(お題:孤独な蕎麦、必須要素:哲学的な思想)
半分凝固した何かをこすりつけるような波の音、当たり前の顔をして流れる風に乗って鼻を突く潮の匂い。僕らの最後はそんなありふれた光景を前にして訪れる。僕はその時17歳で、右も左もなんとなく理解したが、上については最近概念を知ったばかりの小童だった。対する彼女は20歳で、深淵を覗き込むと同時に深遠に見つめられる度肝を持った、超人だった。
「うなぎ食べたいよねー、うなぎ」
ニホンウナギ、と彼女は呟いた。去年、絶滅危惧種に指定されたばかりのかの生き物をわざわざ食べたいと言うくらい、彼女は哲学的思想を乗りこなしていた。
「我思う、ゆえに我あり」
忍法のようにつぶやいて、
「うなぎは絶滅したいと思ったから、絶滅危惧種としてのうなぎなのかな?」
自問した。小学生みたいな無垢な問いだが、そこに張り巡らされた罠の量は計り知れない。
「ニホンウナギは自分の種族が絶滅してそうって気づいてないよ」
それでも僕はつい反応してしまう。
「じゃあ絶滅してそうって気づいたらどうするの?」
「さあ。全力で海に逃げ出すんじゃないの?」
「例えば、明日地球外からどっかの気を利かせた宇宙人がやってきて、『人類の皆さん、そろそろ戦争をやめないと、マジで絶滅しちゃいますよ! あんたら絶滅危惧種なんだから!』って言ってきたらどうする?」
「さあ。全力で宇宙に逃げ出すかな」
「H3ロケットはまだ完成してないよ」
「それじゃあ……戦争を止めるしか無いね」
僕が呆れ気味につぶやくと、彼女はよくやったバカ弟子、と言わんばかりに、ニッと笑う。とても二十歳とは思えない、タバコを吸える年齢とは思えないほどのあどけなさに、僕は思わず息を止める。
彼女は砂を一粒一粒丹念に蹴散らすようにして、僕に近づいてきた。僕らの間を流れる潮風の勢いが、強まっていく。体の内側から、じんわりと熱気がはみ出してくる。緊張してきた。
「禅問答をしようよ」
彼女は耳元で茶化すように言った。僕はなんとなくその言い草にドキッとして、でもそんなことを悟られたくなかったので、強気で言い返す。
「良いよ」
「私はうどんがすき。でも、せんくんはお蕎麦が好き。今日の晩御飯は……どうしよう?」
「……民主主義の精神に乗っ取るなら、マクドナルド」
「なにそれ、今の世の中を皮肉ってるわけ」
彼女はあはは、と笑う。このバカ弟子が、というニュアンスをさっきよりもずっと濃くして。どうも無意識に、罠を張り巡らせるのがこの人の得手らしい。
「第一、禅問答が何か知ってるの?」
僕はまず最初に訊ねるべき質問を口にすると、彼女は思い切り、でも控えめに首を振る。その動きに伴って髪が揺れ、潮風を戸惑わせる。
「知らない。けど、分かる。ひたすら、せんくんと私で答えの出ないような問いを見つめ続けるの。そうしたら最後には、私達の真理に辿り着くことができる」
「真理」
「そう。誰も辿り着けることが無いってことはわかってるけど、誰も辿り着くのを諦めちゃいけない……なんだか、指輪物語みたいね」
「指輪物語読んだことあるの?」
「無いけど。じゃあ逆か。人が日常を淡々と生きているのと一緒。永遠に生きることはできないけれど、誰も生きることを諦めちゃいけない、っていう」
「それが真理?」
「それは真理のレプリカ。きっと」
と、唐突に彼女は砂浜に腰を下ろし、僕の腕を引っ張って道連れにした。尻が柔らかく、でも硬い砂の感触に包まれ貫かれ、角度を変えられた砂時計が砂の落ち方を検討していくように、居住まいを正すだけのちょっとした時間が必要になった。
「哲学的ゾンビって、とっても面白い話よね」
彼女は僕の肩に少しだけ、ほんの少しだけ体重を乗せて、そう言った。僕はそんな頭の良さそうなゾンビを知らないので答えに窮する。
「でも、独我論ってやっぱり寂しいと思うし、誰にも語ることはできない孤独を孕んでる。仮にこう言っている私が、そう言うように仕組まれた存在なのだとしたら、君は絶対にお蕎麦を食べられないよね。君は疲れるけど、私は疲れることがない。永遠にうどんが食べたいと主張し続けるから、君はお蕎麦を食べられないし、うどんを食べなくちゃいけなくなる」
「君の居ないところでなら食べられるよ」
僕は何気なく言ったあとで、すぐに過ち……というか彼女の罠に引っかかったことを悟る。
君はすぐに面を上げて、僕を真正面から見据えた。そんな、「顔を赤くして恥ずかしがれ」と言っているようなもので、従順な僕はすぐさまそれを実行した。
「そんなの、できっこないくせに」
その前提の上では、僕は永遠に蕎麦に巡り会えない。孤独な蕎麦の出来上がりだ。こんな言葉遊びみたいな空間での出来事だけれども、そして僕は別段蕎麦が好きでないけれども、どこか寂しさに似た感慨を引き出しの奥深くにしまい込む必要があった。
「海は良いよねえ。大地が母なら、海も母だね」
彼女は無言で波打ち続ける大洋を見据えて、しみじみと呟く。まるでお母さんみたいに。
「いつもは黙って色々なものを恵んでくれるけど、いざというときにはビシッととんでもない方法で叱責してくれる、そんな存在」
「そんな存在に、憧れている?」
僕は彼女の方を向いて訊いてみた。本当に何気なく訊いてみただけだったのに、彼女は何故か意表を突かれたようにぽかんと僕の顔を見て、それから相好を崩して僕の胸元に顔を飛び込ませてきた。
「そう。女の子に生まれてきたからには、そうよ」
「全く個人的な理由だね」
「そう。そうよ」
僕らの最後はそうやって更新された。
言葉によって綴られる物語は、いつだって最後をふちどり続ける。その究極に、いったい何があるのか。僕と彼女の個人的な真理は、万の言葉を費やしたって証明されることはないだろう。心地よい。
30編書いたので、今週は必須要素を入れてみようかな、と思いました。
恋愛なんだかよくわからないですけど、禅問答をしよう、なんて、ほんとに仲良くなくなきゃ言えないです。




