音楽の底
(お題:彼女と曲)
私が小学生の時、音楽の世界に大革命が起こった。当時は既に社会保障の一環として、首筋に埋め込むことでそれぞれの身体情報をモニタリング出来るデバイス「KI」、つまりまあ、「敬愛」が施行されて結構な時間が経って反対運動も随分下火になっていた頃だった。「KI」が監視するのは血中だけでなく、神経回路を通して脳と直接やりとりができる。丁度、スピーカーとマイクが互換可能なのと同じように、脳から情報を受け取るだけでなく、スマートデバイスを通して脳に情報を送りつけることができた。まあ、そんなことができると言っても知識のない素人には土台ムリな話で、人を操るなんてそれこそSFの話だ。
とある作曲家に曰く、「世界で最も素晴らしい音楽があるとしたら、それは世界の誰かの頭の中で一瞬流れて、そのまま忘れ去られていったものだろう」。テトリスやぷよぷよみたいな落ちゲーにハマってる人が、つい頭のなかでいつまでも終わらないテトリスやぷよぷよに興じるのと同じように、音楽を聴く人、演る人の頭のなかでは音楽が鳴り響く。時折、自分しか知らないようなメロディが流れだすが、たいていは実現されず、できたとしても鼻歌、口笛程度で消えていってしまう。そんな無数の消えていった音楽のどれかに、最も素晴らしい音楽があるだろう……というわけだ。まあ、何が一番かとは言いがたい、ということの言い換えなのかもしれないけど。
でも、「KI」というのは脳から直接信号を受け取ることができる。そこに目をつけたアプリ開発者は、一年足らずでそのアプリを完成させた。頭のなかで思い浮かべるだけで、曲が作れてしまうアプリ……「HTM」。デスクトップミュージックのデスクをヘッド、頭の上にしただけ、和製英語の上位互換。私は幼かったし音楽なんて興味もなかったから知らなかったけれど、その日を境にインターネットにアップされる音楽の量は凄まじいことになった。年々、そのアプリはアップデートを重ねていき、そのうちボーカロイドとリンクして脳内で思い浮かべるだけで彼女ら彼らを歌わせることができるようになった。
私が音楽という枠に入ったのは高校生の時、かろうじて小学生の時ムリにやらされたピアノの記憶を頼りに、合唱というものを始めてみたわけだ。まあ、私は本当に興味は無かったのだけど、人が足らずに、出席番号一番の子に頼まれてしぶしぶコンクールにオンステージした。それからズルズルと続けている……、いや、いた。
正直に言って、合唱の世界は小さくなっている。悲しいほどに人口が減った。一番始めやすくて、取っ付き易いジャンルの筈なのに。いろいろ要因はあるんだろうけれど、やっぱり電子音楽の普及が大きい。みんなでやるのが楽しかったものが、別にみんなでやる必要が無くなってきている。でも、吹奏楽とかオーケストラが未だに栄えているのを見ると、やっぱりなにかクリティカルな要因があるのかもしれない。そう、例えば「KI」とか。まあ、ここでその辺をくどくど考えるのはやめよう。私はとっくにその世界から離れているから。
私はいま、その大革命の波に乗っている。つまり頭のなかで作る音楽「HTM」アーティストの第一人者になっていた。その切欠は些細な事だ。私が大学に入って、適当に新入生ぶって新歓を渡り歩いた頃、私は彼女と出会った。大学の近くの公園で、彼女はスマホを片手にぼんやりとしていた。……「HTM」で作曲をしていたのだ。そして、手に持っていたアコースティックギターでおもむろに歌い出す。正直言ってひどい歌声だったし、ギターもたいして上手くなかった。女子中学生が風呂で歌ってるのよりも細い声だし、まずギターに至ってはチューニングができてない。
でも……曲は何だか印象に残った。
変な話だ。コード進行も使い古されたものだったしメロディも歌詞も陳腐だったのに、何故か耳に残った。私はそれを覚えたまま家に帰って、パソコンに打ち込んでみて、アレンジを加えてみる。適当に仕上がったそれは……やっぱり陳腐な曲だった。ネットに投稿してみても大して反響はなかったし、当然だと思った。
次の日に公園に行ってもやっぱり彼女はいた。下手くそな歌をしていた。合唱する時にあんな声で歌っていたら、放課後パトリに個人的に呼び出されるだろうな、と思うほど。でも、また曲は印象に残った。
私は結局サークルに入らず、彼女の歌声をアレンジする日々を送り始めた。どれもやっぱり陳腐で、大して伸びなかった。
で、そんな生活の果てに私が「HTM」を試しに使ってみたのは大学一年生の夏。意固地になって使っていなかったが、ついに興味の封が開いてしまった。
思ったよりも難しいと言われるそれを使ってみた時……私はようやく彼女の気持ちがわかった。「HTM」が紡いでくれるのは何より私が欲する旋律だった。私の脳が紡いでいるのだからそれはそうなのだが、それでも……これを聞いたら、表現せずにはいられない、そんな衝動に駆り立てる音色を、スマホが奏で出した。もちろん、音が悪いのでアレンジはしなくてはいけないだろうが……。
彼女は後期になったら姿を現さなくなった。まるで、もう私には必要なくなったから、と言わんばかりに。それとも、彼女の音楽が底をついてしまったから、か。そうしたら、私の音楽が尽きるのはいつのことだろうか。
いま書いてる短編(即興じゃないやつ)の設定を流用したんですけど、なかなか扱いが難しい……




