第15章 第3話
「今日もいい天気だねっ、さあ、開店だよっ!」
土曜日、ピンクのワンピを着た礼名はすごぶる上機嫌だった。
生徒会の出し物「中吉らららフレンズ☆二日限りの舞踏会」の準備も順調らしいし、何より今日は誰も手伝いに来ないのだ。
「今日はお兄ちゃんとふたりきりだねっ! 久しぶりな気がするなっ!」
からんからんからん
朝一番に早速やってきたのは八百屋の高田さん。
「いらっしゃいませ~っ!」
「よっ! 今日は礼名ちゃんひとりかい?」
「はいっ! お兄ちゃんとふたりですっ!」
「何だか嬉しそうだな。さては悠也くんから告白でもされたのかい?」
「え~と、残念ながらそれはまだです。高田さんからも言ってくださいよ、早く礼名と婚約するように」
「はっはっは、礼名ちゃんは面白いねえ。早くお兄ちゃんを超える素敵な彼が現れるといいのにね!」
「もうっ、何言ってるんですか? お兄ちゃんを超える彼なんているわけないじゃないですか! だってお兄ちゃんは礼名の理想なんですよ。そりゃあちょっとだけ優柔不断でお人好しで、女心に疎い面はありますけど、でもわたしはお兄ちゃんのお嫁さんになる以外考えられません!」
ちらり僕に目をやる礼名。
「だってさ悠也くん。どうするよ? 麻美華ちゃんも綾音ちゃんも悠也くんに気がありそうだし。ホント、やりたい放題だね」
一方高田さんは冷やかし半分でにやりと笑う。
「いや、高田さん違いますよ。みんなにからかわれて、僕の方がやられたい放題ですよ」
「そうか、やられたい放題か。じゃあ仲間だな。僕もかーちゃんにやられたい放題だしな」
「そう、やられたい放題なのね。じゃあ、ご希望通りにやられてしまいなさい!」
「げっ、お前いつの間に! ぼげがびぼげばこっ!」
●★△?♂ぼきっ★◎♀?ぼこっ
待ってましたとばかりに現れた奥さん。
逃げる高田さんをローリングソバットで追い打ち、かかあ天下バックブリーカーに持ち込むが、それを必死で止める礼名。
「はあはあはあ…… いらっしゃいませ。今日も素晴らしい技の切れですね」
「はあはあはあ…… 褒められると嬉しいわ。私はモーニングね」
一撃でグロッキー寸前の高田さん。
会話の流れから、僕も少し責任を感じる。
「高田さん、ごめんなさい。僕が変な事言ったから」
「悠也くんが、羨ましい、よ……」
そう言ってテーブルに突っ伏した高田さんに、僕はいつものモーニングを用意する。
苦笑いしながら戻ってきた礼名はテイクアウトカウンターに来たお客さんに笑顔で対応する。すぐに会話が弾み笑い声が聞こえてくる。見慣れた光景だけど、それはお客さんの事を一生懸命覚えてきた彼女の努力のたまものだ。我が妹ながら凄いと思う。
そんな彼女を見ている内に、僕はふと昨日の事を思い出していた。
金曜日の放課後、麻美華と公園で話をしたことを。
* * *
部活の後、麻美華と約束した児童公園に向かった。
文化祭も近づいてきて、生徒会副会長の彼女も忙しいはずだ。だけど、どうしても話したいことがあるらしい。公園には既に金髪美少女の姿があった。ベンチの横で凛と立つ彼女は僕の姿を認めると笑顔で手を振った。
「ごめん、待った?」
「いいえ、私も今来たところです」
そう言う彼女の足元には草笛の残骸らしきものが数枚落ちている。
「これ、草笛?」
「さっきまでいた子供達をマネてみたんですけど、鳴らなくって」
今来たというのは大ウソのようだった。
ふたりベンチに腰掛ける。
やおら口を開いた麻美華、その言葉は思いがけないものだった。
「お兄さまは礼名ちゃんのことを、どうするおつもりなんですか?」
「えっ?」
どうするって?
僕が礼名を?
「月曜日、礼名ちゃんを生徒会に誘ったことは知ってますよね」
「うん、礼名から聞いた。断ったんだよね」
「それはもう、とりつく島もないほどに。だけど……」
麻美華も礼名の反応は予想通りだったと言う。
礼名を副会長候補に強く推したのは林田会長らしい。期末考査は文句なしの学年トップ、人望もあって実行力もあってと手放しの褒めようだったらしいが、何より彼が気に入ったのは麻美華と対等に言い合えるところだという。
「林田会長の言う事は正しいと思うわ。私も自分が会長になったら、副会長は礼名ちゃんにやって欲しい。色々情報集めたけど、彼女が断然だわ」
「普段は言い争いしかしないのに?」
「あれは仲がいい証拠よ!」
しかし、と彼女は言葉を続ける。
「まあ、礼名ちゃんには仕事があるし、そこは仕方ないと思うけど、問題はその理由よ。お兄さまは知ってるの? どうして礼名ちゃんが親戚のお世話にならないのか」
「それは、桂小路家に行ったら政略結婚が待っているからで……」
「一石さんには頼んだの? 倉成財閥の特別奨励制度も勧めたけどけんもほろろに断られたわ。全く聞く耳持ってないわね。意地でもお兄さまとふたりだけで、他の力は一切借りないつもりよ」
「あ、うん。そうかも知れないね……」
「お兄さまが大学に行ったら、彼女は進学せずに働くつもりなのでしょう?」
「えっ?」
そんなの礼名から聞いたことがない。だけど、麻美華は言葉を続ける。
「県下有数の進学校である南峰の首席が進学しないなんて前代未聞よ。だけど、礼名ちゃんはそう言ったわ。週末だけの営業でふたり揃って大学に進めるほど世の中甘くないって」
「…………」
高校までの学費は松川のおじさんが持ってくれている。そもそも色んな制度のお陰でほとんど学費は掛かっていないはずだ。だけど、大学となるとそうはいかない。それは礼名も分かっているのだろう。しかし、礼名がそんなことを考えているとは……
僕は頭から血の気が引いていくのが分かった。
「私、礼名ちゃんは間違ってると思う。彼女は南峰の生徒会に来るべきよ。だってそれに相応しいんだから。お兄さまだって分かっているはずよ、オーキッドに頼らなくてもいい方法なんて幾つもあることを。麻美華のお父さまに相談したら一発解決じゃないの!」
* * *
「お兄ちゃん! どうしたの? ぼんやりしちゃって」
礼名の声に我に返る。
テイクアウトのお客様はとっくに姿を消していた。僕の手元には作りかけのサンドイッチ。
「あ、ごめんごめん。ちょっと色々思い出しちゃって」
「それって礼名のこと?」
「うん、そう、かな」
「じゃあ仕方がないねっ」
礼名は作りかけのサンドイッチを手伝ってくれる。
「なあ礼名。もしも、桂小路以外でふたりの生活を支援してくれる人がいたら、この店で働かなくてもふたりで生活できる方法があるとしたら、どうする?」
「何言ってるの、お兄ちゃん。そんな方法あるわけないじゃない! あっ、宝くじに当たるってのならアリかもだけど」
手際よくサンドイッチを盛りつけると、トレーに載せて運んでいく礼名。
からんからんからん
「いらっしゃいませ~っ!」
「おはよう、おにいちゃん、れいねえちゃんっ!」
勢いよく入ってきたのはななちゃん。
そしてその後ろには眼を細めて彼女を見つめるご両親の姿が。
丁寧に頭を下げるふたりを眺めの良いテーブル席に案内する。
「ようこそいらっしゃいました」
お母さんも家に戻り、今日は久しぶりに親子揃ってのお出かけらしい。
「ななの行きたいところを聞いたら、ここに来たいって。まだ幼稚園児なのにね」
笑いながらメニューを見るお母さん。
「ぶれんどで」
「ブレンド?」
驚くお母さんだけど。
「ミックスジュースだね」
「うん、ジュースのぶれんどだよ」
ななちゃんの説明にまた笑顔になる。
どこからどう見ても羨ましいほどに仲の良い親子連れ。礼名も凄く嬉しそうだ。
「良かったねっ。ななちゃんもとっても幸せそうだよねっ!」
礼名の顔がほころんだ。
まるで自分のことのように喜ぶ笑顔を見ると、何故だか亡き母の笑顔を思い出す。
僕のことをお人好しと礼名は言うけれど、本当は彼女の方が断然情に厚いんだと思う。母がそうであったように。
「おにいちゃん、れいねえちゃん、ありがとう。これ、ぷれぜんと!」
ちょこちょこと歩み寄ってきたななちゃんがカウンターに置いたのは、ひとつの小さな黄色い封筒だった。
「開けてもいいかな」
「うん」
中から出て来たのは丁寧にラミネートされた四つ葉のクローバー。
「うわあっ! これ、ななちゃんが見つけたの?」
「うん、そうだよ。こうえんにあったよ」
「ありがとうっ!」
「ぷれぜんとだいせいこうだよっ!」
笑顔を爆発させたななちゃんは、両手を広げて両親の元へ走る。
やがて。
「じゃあねっ! これからすいぞくかんにいくんだよっ!」
ななちゃん一家は仲睦ましく店を出ていった。




