第14章 第4話
その日の夕方、ななちゃんがやってきた。
青いジャケットを羽織った三十半ばの男に手を引かれて。
「「「いらっしゃいませ~っ!」」」
自慢のウェイトレス三人が声を揃える。
案内に立った麻美華はすぐにその男性が誰かを理解して、ふたりをテーブル席に案内する。
しかし。
「あ、カウンターいいですか?」
長い髪をラフに分けた、人の良さそうな痩身の男は、僕の前に歩いてくる。
「マスターですね。ななの父です。なながお世話になってるそうで……」
「いえいえ、こちらこそ。どうぞお掛けください」
彼はななちゃんを軽々と抱え上げ椅子に座らせると、その横に自分も腰掛ける。そして店内をぐるり見回すと、カウンターを飾る花籠に目を止めた。礼名がアレンジしたその花籠にはピンクの胡蝶蘭が咲き誇る。
「ぱぱ、ななはぶれんどで」
「なな、コーヒーはダメだよ」
「はい、ミックスジュースですね」
僕の言葉にキョトンとするお父さん。
「ななちゃんが言う『ブレンド』って、ジュースのブレンド、即ちミックスジュースのことなんですよ」
「ははっ、そうか。コーヒー飲むのかと驚いちゃったよ。じゃあ私はこの『名物・南国スイートコーヒー』ってやつを」
オーダーを受けてポットを火に掛けると、礼名がカウンターに戻ってきた。
そして、ななちゃんのお父さんと一通りの挨拶を交わすと神妙な面持ちになる。
「差し出がましいことをお願いしてごめんなさい。次の金曜日、お待ちしております」
「いえ、こっちこそご迷惑を掛けてしまったようで」
ちらりななちゃんを気にするお父さん。子供がいると話しにくいこともあるだろう。僕は麻美華にななちゃんを別のテーブルに連れて行って遊ぶよう頼んだ。
「じゃあ、ななちゃんとガールズトークしてくるわ」
「ヘンな言い方するなよ。ちゃんと幼稚園児に相応しい話をしてあげろよ」
「当たり前じゃない。うめ組さんのイケメン男子攻略法を伝授してくるわ!」
そう言う麻美華は軽くウィンクをして、ななちゃんの手を引いていった。
「金曜日の件なんだけど……」
ななちゃんが離れたのを確かめると、カウンターでは大人の会話が始まる。
金曜日の夜、オーキッドは貸し切りで店を開ける事になっている。勿論、ななちゃんのご両親の話し合いの場として。お母さんは既に実家に帰っていてシリアスな話が予想されるけど、おばあさんが骨を折ってこの店で会う機会を作ったそうだ。
「実は久しぶりにこの店に来て、私自身、反省しているところなんだ。今更手遅れかも知れないけど……」
彼は礼名を見ながらそう語る。
「そんなことないです! だっておふたりにはあんなに可愛いななちゃんがいるんですから」
「それを言われると辛いな。でもその通り。もっとななの事も考えなきゃいけなかったな」
聞いていると、お父さんにはよりを戻す意志がありそうだった。
「思い出しますよ、貴方のお母さんはいつも相手のことを想っているような人でしたよね。私は自分の都合ばかりを考えていたのかも知れない……」
自虐的な笑みを浮かべる彼は、僕が淹れたスイートコーヒーを一口啜る。
「うん、甘い! これ。東南アジアで口にする甘口のコーヒーのようだけど、コーヒーの風味がしっかりしててとても美味しいね」
暫くコーヒー片手にななちゃんを見つめていた彼。麻美華と一緒にお絵かきをしているらしい彼女は、やがてお父さんの視線に気がついたのか走ってきた。
「なながかいたっ!」
見ると、マイクを持った赤い服の女の子がパパとママの間で笑っている絵だ。
「このななはね、なかよしなななふれんずってアイドルだよ」
聞けば麻美華が命名したらしかった。
超アバウトすぎる。
「ななはアイドルになりたいのか?」
お父さんの声に嬉しそうに肯くななちゃん。
やがて、親子は手を取り合って席を立った。
「ごちそうさま。じゃあ、金曜日はよろしくお願いします。しかし……」
「しかし?」
「お嬢さんはお母さんに、本当によく似てますね」
彼はそう言い残して、店を出ていった。
「「「ありがとうございました~っ!」」」
ふたりを笑顔で見送ると、桜ノ宮さんと麻美華がカウンターに押しかけてくる。
「ねえねえ、今の話って何なのよ?」
「包み隠さず教えないさい!」




