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お兄ちゃんとの貧乏生活を守り抜く99の方法  作者: 日々一陽
第十四章 胡蝶蘭とサルビアと
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第14章 第3話

 新装初日は大盛況の内に幕を閉じた。


「はい、今日はサンマだよ。脂が乗って美味しいよ」


 笑顔を見せる礼名だけど、すぐに神妙な面持ちに変わる。


「ご飯を食べたら、見てもらいたいものがあるんだ」


 午前中、ななちゃんの家から戻ってきた礼名は、暫く家の中に籠もって何かを探していたけど。何か関係あるのかな。


「うん、分かったよ」

「実はさ、ななちゃんのご両親って、既に別居状態なんだ……」

「えっ?」


 焼いたサンマをほぐしながら力なく礼名が呟く。

 彼女が聞いてきた話によると、ななちゃんのお母さんは数日前に家を出て行ったそうだ。お父さんは家を空けることが多いけど、家にはおばあさんもいて、ななちゃんをどちらが引き取るかで揉めていると言う。


「おばあさんに話を聞いたんだけど、ご両親とも忙しくって、すれ違いの生活の結果だって言うんだ……」


 食後、二階に上がった礼名が持って来たのは一冊のアルバムだった。八年前のそのアルバムを礼名は僕の前に広げる。そして数枚の写真を指差した。


「ほら、これ見て」


 そこに写っていたのはカフェ・オーキッドの写真。

 カウンターや入り口、窓やテーブルなど店内の様子が写された写真が六枚、いずれも僕の記憶にある店内だけど、ひとつだけ普段の店内と決定的に違うところがあった。


「これって……」

「綺麗でしょ、みんな胡蝶蘭だよ!」


 写真の店内は入り口の窓にもカウンターの後ろにもテーブルの上にも、それは至る所にピンクの胡蝶蘭が咲き誇っていた。母の頃は店名の通りにいつも蘭が飾ってあったけど、この写真みたいに店内全てを埋め尽くすほどに飾り付けられてはいなかった。第一、そんなことをしたら破産する。


「今日ななちゃんちにお花を持って行ったよね。そうしたら、おばあさんがピンクの胡蝶蘭を見て涙ぐんじゃって。ななちゃんのお母さんが好きな花だったんだって、胡蝶蘭。それで思い出したんだ、昔、お母さんが店内を胡蝶蘭で埋め尽くしたことを」

「そんなことがあったんだ……」


 礼名は写真から視線をあげると少し遠い目をする。


「昔、お母さんが常連さんのプロポーズを演出するって飾り付けたんだ。ピンクの胡蝶蘭の花言葉は「貴方を愛しています」でしょ。ふたりはめでたく結ばれたってお母さんは言ってた……」

「礼名、それってもしかして……」

「うん、きっとそうだと思う。だからさ……」


 礼名は今朝ななちゃんのおばあさんに頼んできた事を打ち明ける。


「ふたりの予定が合うのは来週の金曜日だって。ななちゃんの笑顔のために、上手くいくといいな……」


          * * *


 翌日。

 夏休み最後の日曜日。

 そして、明日からは授業が始まる日。


「おはよう悠くん」

「おはよう神代くん!」

「えっ? 今日はお店も平常運転だし、手伝いは不要だって言ったよね」


 朝、開店準備を始めると、店の制服を着たふたりが現れた。


「そうですよ、先輩方! 今まで大変お世話になりましたけど今日からはお兄ちゃんと礼名ふたりでやっていきますから」

「あら、何を言っているのかしら? 今日からこのお店は『カフェ・らららフレンズ』になるのよ!」

「麻美華先輩、勝手なことを言わないでくださいっ!」

「勝手なことじゃなわよ、ほら」


 麻美華と桜ノ宮さんの指差す先、店の看板に模造紙が貼られ、店名がカフェ・らららフレンズに書き換えられていた。


「勝手なことするんじゃねえ!」


 僕が模造紙を破り捨てると、いつも上から目線で強気の麻美華が、突然しおらしく目を伏せる。


「およよよよ…… それはあまりにひどい仕打ちです。麻美華はただ悠也さんのためを思えばこそ日々尽くして参りましたのに……」

「ちょっ、ちょっと倉成さん……」

「神代くんに捧げて尽くしたあたしの全ても、読み捨てられる雑誌のようにポイと捨てられてしまうのね。でもそれが神代くんのためならば……」

「ちょっと桜ノ宮さんまで」


 ふたりの言葉にたじろいでしまう。例えそれが演技と分かっていても。


「……分かったよ。じゃあ少しだけお願いするよ」

「ちょっとちょっとお兄ちゃん、何あっさり認めてるんですか! ここは心を鬼にしてでもおふたりにノーを突きつけないと……」

「ふふふっ、無駄よ礼っち。上から目線と下から泣き落としの必殺ジョイント攻撃に、男は勝てないものなのよ」

「ぐぬぬぬぬ…… お兄ちゃんが優しいのをいいことに……」


 昨日も麻美華と桜ノ宮さんは閉店まで手伝ってくれた。


「ほら、レジの横でテイクアウトにも対応出来るから礼名ひとりで大丈夫ですよ! 先輩方は寛いでいてくださいねっ!」


 再三にわたる礼名の言葉にも頑として仕事をやめなかったふたり。これじゃ改装した意味がない! と、礼名はおかんむりだった。


「昨日も今日もどうしてなんですかっ! オーキッドは改装してふたりでやっていけるんですよっ。お客さんとして来ていただけるのは大歓迎しますけど」

「あら、分からないのかしら礼っち。ひとは来るなと言われれば来たくなるものなのよ。逆に来いと言われれば来たくなくなるわ」

「そうですか、じゃあ来週も来てくださいねっ」

「分かったわ。来週もくるわ」

「ちょっ、ちょっと! 話が違うじゃ……」

「引っかかる礼っちの負けね」


 得意満面な麻美華を見ながら桜ノ宮さんが言葉を紡ぐ。


「ねえ礼名ちゃん、礼名ちゃんはどうしてふたりだけにこだわるのかしら? あたしも麻美華も単なるお手伝い、お金なんか貰わなくていいの。頑張っている神代くんと礼名ちゃんを応援したいだけ。ただそれだけなのよ」

「それは……」


 言葉に詰まる礼名。

 桜ノ宮さんの言葉はとてもシンプルで真っ直ぐだった。

 彼女の言葉には裏や隠し事がない。


「それは……」


 真っ直ぐな言葉には真っ直ぐに返すしかない。


「お兄ちゃんは、わたしのお兄ちゃんは、礼名と永遠の愛を誓い合う未来の旦那様でご主人さまでマイダーリンだからですっ!」

「はい、妄想ありがとう」

「妄想じゃありませんっ! これは正しい未来の認識で……」

「妄想じゃなければ暴走、ね。妹は結婚出来ないのよ。はい、そろそろ開店ね。仕事仕事っと!」


 桜ノ宮さんにスルーされた礼名の肩を、麻美華がポンと叩く。


「ま、妹って大変ね」


 こうして。

 今日もカフェ・オーキッドは三人の美少女ウェイトレスの活躍で大繁盛。

 誰がどう見ても小さい店なのに過剰な接待力。


「いっそのことメイド喫茶にしちゃったら?」


 冗談半分の麻美華の言葉が、あながち冗談には思えない状況になってきた。現に高い交通費を払ってアキバのメイド喫茶に行くくらいなら、オーキッドに来た方が圧倒的に萌える、と言う話もよく聞く。


「ダメですっ! うちはあくまで純な喫茶店なんです。そして主役はお兄ちゃんですっ! メイド喫茶になってしまったら、お兄ちゃんを男の娘メイドにしなくちゃいけないじゃないですかっ!」

「実はやってみたいんでしょ!」


 騒々しい麻美華と礼名の言い争いを横目に、桜ノ宮さんがカウンターに入ってくる。


「ねえ神代くん、どうして礼名ちゃんは純喫茶にこだわるの?」

「ああ、それはきっと……」


 それはきっとこの店が母さんの店だから。僕たち家族の想い出だから。

 礼名は大好きだった母さんの店を、想い出を守っていきたいんだと思う。

 僕の説明に桜ノ宮さんは最初「そうなんだ」と呟いて。


「神代くんとふたりにこだわるのも、同じ理由かしら?」

「どうだろうね」


 そう言いながら、それは違うと思った。

 だけどその本当の答えは何なのだろう。

 礼名の横顔を見つめながら胸の仕えを感じる僕だった。


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