第13章 第2話
足湯を終えると男女に分かれて温泉に入る。
男湯はがらんとして誰もいなかった。
広い湯船にどっぷり浸かって手脚を大きく広げると、体中の疲れが吹き飛んでいく。
「はあ~っ! 気持ちいい~!」
他に人がいないから何も隠す必要がない。
白濁した温泉の浮力に身を任せると、隠されない大切なところが顔を覗かせる。
「潜望鏡!」
ひとり遊んでみる。
…………
ちょっと虚しかったのですぐやめる。
しかしさっきは蝉に助けられた。
あの時、浴衣の中の「僕」は危機的な状況だったのだが、みんな蝉に注目してくれた。
「綾音先輩って脱いだら本当に凄いんですねっ!」
「そんなことないわよ。あたしは礼名ちゃんが羨ましいわ。スリムでもこんなに形がよくって。あんまり大きいと肩が凝るのよ」
女湯の会話が筒抜けで聞こえる。
「あら、私も大きいけど肩は凝らないわよ!」
「麻美華先輩、見栄張らないで下さいっ! それは大きくない証拠ですっ!」
「男湯で聞き耳を立てている変態がいるのだから、そう言うことにしてよ」
いや、聞き耳なんか立てなくても、勝手に聞こえてくるのだが。
しかし。
あの三人は何だかんだと仲良しになったものだと思う。
思えばあれから七ヶ月。
両親の訃報にも気丈に振る舞った礼名。
ところが彼女は突然僕のお嫁さんになりたい、なんて言い出し始めて。
ふたりで暮らす決心をして、喫茶店も一生懸命にやってきた。
そんなある日、僕の出生の秘密が明らかになる。
意外な人が腹違いの妹だと分かって……
「ねえ悠く~ん、聞こえてるんでしょ!」
突然、となりの女湯から呼びかけられる。
「ただ大きいのと、ただ小さいのと、ほどよく大きくてツンと上を向いた美形のバスト、どれがいいかしらっ?」
何を大声でお下劣なことを叫んでいるのだ!
「お兄ちゃん! 麻美華先輩の発言は誇大表現とウソ偽りにまみれていますっ! 信じちゃいけませんよ~っ!」
僕は聞こえないふりを決め込む。だから返事もしない……
「そうよ麻美華! それに他の人が聞いたら恥ずかしいでしょ?」
「大丈夫よ。悠くんしかいないわ、ほら!」
「あっ、ほんとだ」
ウィ~~~ン
僕は不吉な予感を感じ、天井を見上げた。
と、そこには。
プロペラがよっつ付いた謎の飛行物体の機影が。
「ね、これは倉成重工製の最新式ドローンよ。高解像度のカメラで悠くんの鼻の穴までバッチリでしょ!」
「やめんかいっ!」
もしかして、僕の行動の一部始終を見られてた?
さっきの潜望鏡ごっこも見られてた?
「いいじゃない悠くん。ひとり風呂は寂しいでしょ?」
「寂しくないよ。気分爽快だ! このままひとりにしてくれ!」
「そんなにお風呂遊びが楽しいのかしら? 潜望鏡ごっことか……」
「あ、すいませんごめんなさい麻美華さま。何でも言うことを聞きますっ!」
「お兄ちゃん、脅迫に屈しないでっ!」
こうして。
ゆっくり疲れを癒すはずが、たっぷりのストレスを蓄積して、僕はその湯を後にした。
* * *
「あ~、いい湯だったわね」
四人で風情豊かな温泉街を歩く。
外湯の近くにはお土産屋さんとか食べ物屋さんも点在していて、それらを覗いて回る。これも温泉旅行の楽しみのひとつだろう。
「温泉まんじゅうって美味しいのかしら?」
「さっきからやたらと目につきますよね、綾音先輩」
「じゃあ早速食べるわよ! 心ゆくまでヤムヤムよ!」
麻美華は目の前で売っていた温泉まんじゅうを四個買うとみんなに配る。
「んんぐ…… 美味しいわね」
「あんこがたっぷりでも、しつこくないですね」
「ほんとだわ。一個だと物足りないくらいっ」
確かに。
腹が減っているからか、あっさりと食べ切れてしまう。
行儀は悪いが、まんじゅうを食べながら歩いて行くと、他の店の温泉まんじゅうが目に入る。しかしこの温泉まんじゅうが、涙なしでは語れないあの惨劇を招こうとは、その時の僕は夢にも思わなかったのだ。
「この店のも戴きましょう。さあ、温泉街にある全種のまんじゅうを食い尽くすわよ!」
話は変な方向へ進んでいた。
「いいですねっ、麻美華先輩っ!」
のるなよ、礼名!
「期間限定の温泉まんじゅうも探しましょ!」
桜ノ宮さん、君が最後の良心だったのに……
と言うわけで。
僕らは温泉街を徘徊しながら目に付いた温泉まんじゅうを手当たり次第に胃袋へ放り込んでいった。最初はみんな、そう実は僕も食べ比べを楽しんでいたのだが、それがだんだんと惰性になり義務感になり、遂には強制労働のような感覚に襲われる。
「あっ、あそこにの店にも温泉まんじゅうがあるわ!」
「……そう、ですか」
「帯を緩めないと……」
「う、うっぷ!」
「お兄ちゃん、街中でうっぷはダメだよ、うっぷは!」
「そうよ悠くん、情けないわよ。食べると決めたらお金がなくなっても食べ続けるのよ!」
「それ、食い逃げじゃねーか!」
僕のツッコミは水素よりも軽くスルーされ、麻美華は次の店へ駆け込む。
「うん、この店のまんじゅうも美味しいわね。はい、悠くん、半分あげる!」
「ホント美味しいねっ。お兄ちゃん、礼名のも半分あげるよっ!」
「あっ、みんなずるいっ! 神代くんを餌付けするつもりね。はい、あたしのおまんじゅうもあげるわねっ。あ~んっ!」
「いや、僕にも自分のがあるんがぐが……んぐんぐ……」
抵抗虚しく、口の中に押し込まれる。
「一口食べれば味は分かるしっ! 悠くんは男の子だからいっぱい食べるだろうし。あっ、あっちのお店にも温泉饅頭って看板が!」
彼女達は多くの種類を味わうためにまんじゅうを半分に割り、片方を僕に押しつけてきた。
そうして。
浴衣の美少女たちが満足した頃には僕のお腹はもうパンパン。歩くのすら苦痛になっていた。しかし、彼女たちはまだ余裕の表情で、その後もお土産物屋さんの散策に精を出した。




