第12章 第3話
中吉書店はスーパーを通り過ぎ、旅行代理店の向こう側にある。
一階は雑誌や人気の新刊本、文庫本などの一般書籍が置いてあり、二階にはコミックや学習参考書、専門書が揃っている。そんなに大きな本屋というわけではないが、たいていのものは手に入る、この付近の一番店だ。
その中吉書店、今は麻美華が一日店長として店頭で人寄せパンダになっているはずだ。
「ん?」
店頭に人だかりが出来ていた。
カシャッ! カシャッ!
パシャッ! パシャッ!
「ねえ、こっちにも視線ちょうだいよっ!」
コミック本を掲げて微笑む麻美華。
そんな彼女を取り囲むたくさんのお兄さんたち。
彼らのカメラや携帯から絶え間なく光るフラッシュが麻美華を捕らえてノンストップ止まない
「ちょっ、ちょっと!」
僕がその輪に駆け込むと、見事なモデル立ちでポーズを取っていた麻美華が振り向く。
「あら、悠くん。今日発売の『大阪たこやきガール』、面白いわよ」
手に持つ少女マンガを僕に勧めながら切れ長の瞳を向ける。
「面白いわよ、じゃないよ! なに写真撮られまくってんだよ!」
「あら、一日店長ってカメコさんのお相手をするのではなくって?」
「いや、そんな約束してないから、撮影会じゃないから!」
振り返るとカメラ片手に唖然とした顔のお兄さまたち。
「すいませんが、撮影はご遠慮くださ~い! 今日は本をお買い上げ戴くと、中吉らららフレンズのしおりがもらえま~す! 是非そちらでお楽しみくださ~い!」
女の子が写ったしおりで、一体何をお楽しみするのか、言った自分につっこみたくなる。どこの世に、しおりで楽しめるヤツがいるのだ。だからこそ彼らは写真を撮っているわけで。
しぶしぶという感じで霧散していくお兄さまたちを見ながら、僕は麻美華にだけ聞こえる声で囁く。
「なあ、ああ言う写真って何に使われるか知ってるのか?」
「何って、ナニでしょ?」
「分かってやってるのか!」
麻美華は悪びれることもなく、本を掲げて一日店長の仕事に戻る。
「皆さ~ん、中吉書店では私なんかよりもっともっと皆さまにご満足いただける本をたくさん取り揃えていま~す! 是非お立ち寄りくださ~い!」
どんな本の宣伝してるんだ!
「本日発売の『大阪たこやきガール』も最高ですよっ! アラサー処女の初めての恋、笑いの中に溢れる涙と下ネタ! 絶対お勧めですっ!」
ワゴンに平積みのコミックを掲げる麻美華。
僕は本屋に入り、店員に撮影の禁止をお願いするとまた入り口に立つ麻美華の様子を見る。そこにはおばさんや妙齢のお姉さまたちに囲まれ、何やら談笑する彼女がいた。
「この作者さんの作品は面白いですよねっ! あっ、この『高ビーの華』もお勧めですよっ!」
マンガ談義に花を咲かせていた。
一日店長として店頭に立つ彼女は、普段の冷たい上から目線の彼女とは全く印象が違った。その微笑みは親しみすら感じさせる。
そんな彼女に軽く手を振って、僕は次を目指す。
次は、コム・ラ・ルーニュ。
小さな商店街に似合わぬ洒落た名前のその洋装店は本屋の向かい側、仕立屋や子供服店が並ぶその先にある。この界隈で一番大きい洋装店で明るい店内に洗練されたディスプレイ。センスの良さは都心の一流店にも引けを取らない、とは店長のお言葉だ。
桜ノ宮さんはファッションに凄く興味があるから、きっとお客さんとコーディネートの話とかしているだろうな。礼名や麻美華は時々大胆な行動に出るけど、その点桜ノ宮さんは安心だし。
そんなことを考えながら店の方を見る。
と。
「んなああっ!!」
大行列が出来ていた。
向こう隣の靴屋にも及ぶその長蛇の列の先頭を伺う。そこにはテーブルが置かれてどこかで見た顔が立っていた。
「一石おじさんっ!」
桂小路一石、僕の叔父で日本を代表するファッションデザイナー。
見ると店の横に手描きの貼り紙がある。
桂小路イッセキの無料ファッションアドバイス開催中!
買い物に来たおばさんに熱心に何やら説明している一石おじさん。その横に笑顔で立っているのは桜ノ宮さんだ。
「ちょっ、ちょっと桜ノ宮さん。これって、どう言うこと?」
取り込み中の一石おじさんに軽く会釈して桜ノ宮さんに事情を聞く。
「それがね、ステージの後で一石さんにお会いして……」
ステージの後、らららフレンズが三人で歩いていると、ばったり一石おじさんに会ったそうだ。彼曰く、桂小路の祖父が迷惑を掛けたからお詫びにと思ってオーキッドに向かっている途中だったらしい。
「そうだ! 折角だから洋装店の一日店長を一緒にやって貰ったらどうかな?」
そんな礼名の提案にノリノリでのってきたそうで。
「わざわざパリから飛んで来たのか?」
「そうらしいわ」
「実はヒマなのか? 世界のイッセキ!」
「いいえ、このあと夜の便でとんぼ返りらしいわよ。パリでプライベートコレクションがあるからって!」
忙しいのかヒマなのか、よく分からない人だった。
接客に戻った桜ノ宮さんは、一石おじさんの指示に従って店から服を持ってきたり、お客さんを試着室へ案内したりと大忙しだ。彼女曰く、さすがは世界のイッセキ、抜群のセンスで見事なコーディネートを提案するそうだ。アシスタント役をやっていてとっても勉強になるとか。僕が手を振って店を去ろうとすると、一石おじさんが大きな声をあげた。
「これ、罪滅ぼしってことで。後でちょっと寄るから」
* * *
コム・ラ・ルーニュを後にして、僕はまた『パティスリ・プティフォンテーヌ』に向かう。礼名が一日店長のケーキ屋さんだ。
ところが。
さっきまでの人だかりはどこへやら。店の中には誰もいない。
入り口には手書きの貼り紙。
「ただいま品切れ中! 午後五時より営業再開します」
売り切れ?
貼り紙を見つめながら暫くその場に立っていると、白い帽子を手にとって店長の小泉さんが出て来た。
「悠也くん、本当にありがとうね。やっぱり礼名ちゃんは凄いわ。ちょっと呼び込みして貰ったらお客さんがたくさん入ってきて、手が回らなくなったから礼名ちゃんにも販売を手伝って貰ったんだけど。人だかりが人だかりを呼んだのか、礼名ちゃんの笑顔が人を呼んだのか、あっと言う間に売り切れよ。もうどうにも止まらなかったわ」
嬉しそうに頭を下げる小泉さん。
「でも、小泉さんところのケーキは凄く美味しいですし、今日は七夕セールで二割引。だからってのもあるんじゃないですか?」
「いいえ、毎年二割引いてるけど、こんなことは初めてよ。こんな事なら二割高く売りつければ良かったわ」
「止めた方がいいです。信用なくします」
「冗談よ」
嬉しそうな彼女と少しだけ立ち話をすると、僕は店に戻った。
からんからんからん……
「あっ、お兄ちゃん!」
手にウォーターポットを持った礼名が笑顔で振り向く。
「あのね、ケーキが売り切れちゃったんだよ。だから、ちょっと早いけど戻って来ちゃった。それでね……」
「五時からもう一度行くんだろ?」
「あれっ、お兄ちゃん知ってるの?」
「うん、ケーキ屋の小泉さんに聞いたよ。礼名凄かったそうだな」
えへへっ、と締まりなく顔を綻ばすと、礼名はカウンターに戻る。
「そうでもないよ。プティフォンテーヌのケーキの魅力そのいち、食べても食べてもこの通り、全然太らないっ! って叫んでたら、お姉さま方がたくさん寄って来たの」
「なあ、あそこのケーキ、低カロリー仕様だったか?」
「ううん、違うよ。脂肪もカロリーたっぷりだよ。だけどわたしは太らないでしょっ!」
「そりゃ礼名はケーキ食べたら食事セーブしてるからじゃん!」
詐欺まがいの呼び込みだった。
「あとね、プティフォンテーヌより美味しいケーキなんて食べて事がありませんっ! って叫んでたら、おばさま方もたくさん集まってきて……」
「なあ礼名、我が家は他の店のケーキなんて食べる機会なかったよな」
「うん、だからプティフォンテーヌより美味しいケーキは食べたことがないって言ったんだよ。それから、プティフォンテーヌは今若い女性に大人気って叫んでたら、おじさま方も寄って来て」
「その若い女性って、礼名のことだよな……」
詐欺まがいと言うより、詐欺だった。
「だけどね、あそこのケーキは本当に美味しいでしょ。ウソや大袈裟は入ってないよ」
「いや、十分詐欺レベルだ」
「お兄ちゃん酷いよ。礼名は一生懸命だったんだよ。目の前のお客さんに美味しいケーキを食べて欲しくて、興味を持って欲しくって!」
でも、礼名らしい。
「次は誇大広告は控えるんだぞ。そんなことしなくても十二分にお客さん来てくれるから」
「は~いっ!」
ぺろりと舌を出すと、礼名は反省の色もなく皿洗いを始めた。
今日はセールの影響かお客さんが引きも切らない。
夕方になると一石おじさんがひょっこりと顔を出す。
「いやあ、疲れたよ。ジュスイファティゲだよ。サンドイッチ貰おうかな」
多分フランス語だろうが、意味が分からない。
「一日店長やってた綾音ちゃんっていい子だね。センスもいいし、きっといいデザイナーになれるよ」
褒められている当人はまだ戻ってきてなかった。
「取りあえず商店街の盛り上がりには貢献できたし。礼名ちゃん、これで罪滅ぼしは完了な」
「えっと、ありがとうございます。でも、桂小路の祖父は絶対許しませんから!」
礼名の言葉にがっくりうな垂れる一石おじさん。
暫くの後、礼名はまた一日店長としてケーキ屋に出向いていく。
僕は線香を上げて貰うため一石おじさんを居間に案内する。
「なあ悠也くん、生活大変だよね」
「いや、そんなことないですよ。もう慣れましたし、礼名も頑張ってくれてるし」
彼は父と母の仏壇に暫く手を合わせると、僕に振り向く。
「色々考えたんだけどさ。礼名ちゃんは僕が預かるのがいいと思うんだ。勿論悠也くんも一緒に。パリの学校でもいいし、日本の全寮制の学校でもいい。そうすればその間は政略結婚とか、そんな心配は無用だ」
「でも、学校を出たら桂小路に行くんでしょう?」
「そうだね。でも嫌だったら姉さんみたいに逃げればいい」
僕は大きく首を横に振る。
「お断りします。礼名もそう言うと思います」
「そうだね。きっと礼名ちゃんもそう言うだろうな。だけどふたりに苦労を掛けさせたまま何もしなかったら、僕だって姉さんに申し訳ないんだよ。なあ悠也くん、悪い話じゃないだろう? 礼名ちゃんを説得出来ないかな?」
「それは無理です。僕たちは桂小路のお世話になるつもりはありませんから。ごめんなさい」
「そうか。また交渉は決裂か…… でも、ま、困ったときはいつでも言ってくれ」
彼はあっさりそう言うと、帰りのフライトまで時間がないらしく急いで店を出ていった。




