第10章 第5話
「もうすぐ来る時間だね」
お日様燦々お散歩日和の日曜日、時計の針は午後も三時を回ろうとしている。
今日もカフェ・オーキッドは賑やかだ。
「もうすぐ初めてロマンスティーセットが売れるんだね。楽しみだよ。まあ無料ご奉仕だけど」
今日は桜ノ宮代議士を説得できたたお礼に倉成壮一郎氏を招待していた。元々は朝十時ご来店の予定だったが、朝方、麻美華から電話が入った。
「パパ、急に仕事が入ったらしいの。三時くらいになるみたい。ごめんね」
そりゃあ彼は倉成銀行の頭取にして倉成財閥のトップ。忙しいのは当然だろう。
「そうそう悠也くん」
カウンターに座る三矢さんの言葉に僕は皿を洗う手を止める。
「悠也くんも商店街仲間だから伝えとくよ。うちの商店街組合は今まで協和党を支援してきたんだけど、次の選挙では新しく出来た改進党支援に回ることになりそうなんだ」
「えっ、どうしてですか?」
改進党と言えば党首の人気に乗って飛ぶ鳥を落とす勢いで議席を伸ばしている政党だ。そして協和党は桜ノ宮代議士の政党。
「どうしてと言われても、市の商店街連合会の方針らしい」
そう言えば、三矢さんは中吉商店街の商店会会長だったな。
「ま、うちみたいな小さな商店街がどこに付こうと大勢に影響はないけどね」
「中吉商店街だけでも協和党支持は出来ないんですか?」
「まあ、それなりの理由がないと難しいね。綾音ちゃんのことは知ってるけどさ」
その桜ノ宮さんはテイクアウトカウンターで接客中だ。昨日は麻美華が、そして今日は桜ノ宮さんが手伝ってくれている。
「じゃあ、代金はここに置いておくよ」
そう言って去っていく三矢さんを見送りながら、僕は桜ノ宮さんに申し訳ない気持ちを感じる。
「あっ、礼名ちゃん、ほら!」
テイクアウトカウンターから窓の外を指差す桜ノ宮さん。その先には立派な黒いリムジンが停まっていた。
「お兄ちゃん、来たよ、倉成さんだよ!」
からんからんからん……
「いらっしゃいませ~っ!」
桜ノ宮さんと礼名が並んで出迎える。
「今日は招待ありがとう」
倉成氏はふたりに笑顔を見せる。
彼の後ろには青いワンピース姿の麻美華が淑やかに立っていた。
「さあ、こちらへどうぞ」
礼名が案内したのは『予約席』と札が立てられた窓際の席。うちで一番眺めがいい特等席だ。
「はい、おしぼりをどうぞ」
桜ノ宮さんがふたりにおしぼりを渡すと、テーブルにお冷やを置く。
僕もカウンターを離れ、そのテーブルの前に立つ。
「先日は大変お世話になりました。お忙しいところご迷惑かも知れませんが、わたしたちの感謝の気持ちです。是非お楽しみ下さい」
僕が頭を下げると倉成氏は立ち上がった。
「こちらこそご招待ありがとう。あの後桜ノ宮さんはしきりに貴方たちを褒めていたよ。とても兄妹とは思えない仲の良さだと」
穏やかに語る倉成氏。礼名が嬉しそうに僕を見上げる。麻美華は座ったまま僕を睨んだ。
「桜ノ宮さんのお嬢さん、ですね。今日はお世話になります」
「こちらこそ大変お久しぶりです」
丁寧に挨拶をすると席に座る倉成氏。
「では、ロマンスティーセットのご説明をさせて戴きますね……」
礼名が説明を始めると僕はカウンターに戻る。
「のちほどケーキをお持ちしますので、お好きなものをみっつお選び下さい。それからこちらのメニューにあるパフェの中からお好きなものをおひとつ、パンケーキの中からお好きなものをおひとつお選び戴きます。お飲み物はメニューにあるものでしたら、どれでも何杯でもお楽しみいただけます。ラストオーダーは三時間ですので、六時十分となります……」
「私のとなりに悠くんが座るというのは?」
「残念ながらそのようなサービスはございません」
僕はカウンターでウェルカムドリンクを作りながら聞き耳を立てる。
「なければ作ったらいいのよ」
「作りません」
「美味しい料理には楽しい会話が必要なのよ」
「その美味しい料理は誰が作るんですか!」
「綾音と礼っち」
「当店が誇る腕利きのシェフはお兄ちゃんなんですっ!」
「あら、綾音も礼っちも悠くんより料理上手に見えるんだけど」
「コーヒーに関してはお兄ちゃんの右に出る者はいないんですっ!」
カタッ
「こちらウェルカムドリンクです」
僕はカクテルグラスを差し出す。アップルタイザーにさくらんぼを浮かべてみた。
「ノンアルコールですのでご心配なく」
「なかなか洒落た演出だね。ところでマスター、この席は眺めも良くて文句なしだけど、カウンターの方へ移動してもいいかな?」
「あ、はい、勿論です」
と、言うわけで、三十分後。
僕の目の前に座る倉成氏と麻美華。
そして。
「はい、こちらがプレーンパンケーキです」
カウンターにはケーキ皿が六枚、コーヒーカップにティーカップ、ティーポットにお冷やにおしぼり、そしてパンケーキ皿がふたつ溢れかえっている。まだパフェも置かないといけないのだが……
「お兄ちゃん、このメニューには欠陥があったね」
「そうだね、うちのテーブルには置けないね」
4人座れるカウンターにズラリ並ぶ皿の数々。カウンターから皿がはみ出し、もう限界だ。テーブル席だったらとっくに破綻している。商品開発上の大失敗だ。
「あら、美味しそうね。いただきます」
パンケーキをひとくち食べると紅茶を啜る。
「次はチーズケーキをひとくち……」
「もうひとつ誤算があるよ」
「ああ、わかってる」
もうひとつの誤算、それはお客さんが出された食べ物をすぐに食べるとは限らない、と言うことだ。
僕の頭の中では、ケーキを出してパンケーキの準備をしている間に、ケーキは全部平らげられる…… と勝手に思い込んでいた。でも、目の前の麻美華は全ての食べ物を眺めながら、ゆっくりじっくり食べ比べている。
「パパは食べないの?」
「ああ、麻美華が食べなさい」
しかも、ケーキは3種類ずつなのに、麻美華が6種類を目の前に並べ、ひとりで食べ比べている。これじゃ皿が下げられない。一種の嫌がらせなのだろうか、全くの予想外だ。
「ねえ悠くん、パフェも頼んでいいかしら?」
「えっ、この状態で追加するの?」
「全部揃ったところを写メしなくちゃいけないでしょ!」
「写メって、誰に送るんだよ?」
「あら決まってるじゃない、私のクラスメイトよ、隣に座っている」
やはり嫌がらせか。
「麻美華先輩、格好いいお父さまが一緒だから黙っていましたが、さすがに堪忍袋の緒が爆発炎上しました。全てのケーキをひとくちずつ食べて眺めるだなんて、何て贅沢三昧してるんですかっ!」
「あら、そもそもこのロマンスティーセットは贅沢がウリなのよね」
「ぐぬぬぬ…… 確かにその通りですけど…… 今日は先輩のお父さまがメインゲストのはず。なのに麻美華先輩が我が物顔でひとり楽しんでいると言うのは……」
「ご心配は無用ですよ。私も十分楽しんでいますから」
倉成氏は礼名に温和な表情を見せる。
「先輩のお父さまがそう仰るんなら……」
軍配は麻美華に上がった。
「お兄ちゃん、羨ましいですっ! 麻美華先輩とお父さまが仲良しで凄く羨ましいですっ! なので、ここらで一発お兄ちゃんも礼名と仲がよい夫婦であるところを見せつけてあげましょう!」
「いや、夫婦じゃないから」
「ふたりぐらしの兄妹は夫婦も同然、いや夫婦以上の設定なんですよっ!」
「設定言うな」
「はははっ」
倉成氏はさすがに少し引きながら礼名を見た。
「お嬢さんはそんなにお兄さんが大好きなのですか?」
「はい大好きですっ! それはもうネコにマタタビ、ゴリラにバナナ、礼名にお兄ちゃんと言われています! わたしはお兄ちゃんさえいればご飯が何杯でもお代わりできるんですよっ!」
「それは凄いな。お兄さんの、どこがそんなに好きなのかな?」
「それはですねっ!」
倉成氏は聞いてはいけないことを聞いてしまった。
礼名の無限連続速射砲がサイレンサーを外したままで派手に火を噴く。
「昔、お兄ちゃんはわたしがいじめっ子達に取り囲まれていたとき、たったひとりでそいつらにガツンと言ってやって、暴力を振るってきたそいつら相手に格好良く喧嘩して、ボコボコのバッキバキに殴られたけど大きな声で喚きながら血相変えて噛みついて、根負けしたそいつらをズッタズタに撃退してくれて、私の貞操を守ってくれた、まさに命の恩人、悪の怪獣を撃退するウルトラマ●コスモスなんです!」
「そりゃ凄いね」
「それだけじゃないんですよっ! わたしが転んで怪我をしたときにはすぐに負ぶってくれて、指を怪我したときは口に咥えてちゅぱちゅぱと消毒してくれて、お風呂で溺れたときはぶちゅ~って人工呼吸をしてくれて……」
え? 人工呼吸なんて記憶にないけど。
「お誕生日にはいつも世界で一番気の利いたプレゼントを用意してくれて、眠れない夜には怖い怖い怪談話を聞かせてくれて、納豆とピーマンは黙ってわたしに譲ってくれて……」
少し方向性が変わってきるぞ……
「ともかく、お兄ちゃんはいつもわたしを大切にしてくれる、世界一妹想いの素晴らしいお兄ちゃんなんですっ!」
「ずるいわね、礼っち。悠くんを独り占めにして」
そう言う麻美華は僕を睨めつけていた。
「当たり前じゃないですか! 礼名は妹なんですよ! 妹はお兄ちゃんを独占できる、これは独占禁止法の唯一の例外事項なんですっ!」
「じゃあ、麻美華も独占していいわよね、ねえ、悠くん」
「待ってください! 今の三段論法は間違っています!
礼名=妹
妹=お兄ちゃんを独占
であれば、
礼名=お兄ちゃんを独占
と言うのが三段論法による当然の帰結です!」
「いいえ、だから
麻美華=悠くんを独占
になるのよ」
「わけわかめですっ。最近、麻美華先輩の言うことはちょっとおかしいです!」
「まあまあ」
これ以上の激論は心臓に悪い。僕は話を強引に結論付ける。
「この通り、兄妹仲は悪くないですよ。これでいて礼名は案外しっかりもので、どっちかと言うと僕の方が助けられてますからね」
うん、倉成氏が聞きたいのはこう言う答えのはずだ。案の定、彼は目を細める。
「本当にいい妹さんですね」
そしてコーヒーカップを手に持つと一気に飲み干した。
* * *
お客さんも、バイトの桜ノ宮さんも、みんな帰った店のテーブルで、礼名とふたり顔をつきあわせて振り返る。
「楽しんで貰えたかな」
礼名がぽつり漏らした。
お礼したいって無理言って呼んだけど、麻美華と礼名の口論ばかりが盛り上がって主賓である倉成氏はほとんど寡黙だった。それでも終始ニコニコと僕らを見ていた彼。
「楽しんでくれたと思うよ」
「礼名、麻美華先輩と激論してばかりで申し訳なかったです……」
倉成氏は終始静かだったけど、退屈そうではなかった。ずっと僕たちの話を聞いて微笑んでいた。何となくだけど、いいことをしたのだと思う。
「大丈夫だよ。きっと喜んでくれたよ。そうそう、明日のことだけどさ、野暮用が出来て帰り遅くなるから、メシいらないよ」
明日は桂小路の祖父に会う約束を取り付けている。こんな回りくどい方法で、これ以上僕たちの生活を掻き乱さないように説得しなくちゃ。
「どこに行くの?」
「岩本とちょっと……」
「桂小路に行くんだよね! 隠しても礼名にはわかるよ」
図星だった。一瞬ドキリとしたけど一生懸命平静を装う。
「実はそうなんだけど、心配はいらないから」
「礼名は連れて行ってくれないの?」
「今回はひとりで行こうと思うんだ」
「礼名が一緒だと話しにくいことでもあるの?」
またもや図星だ。礼名がいない方が桂小路は本音をぶちまけやすいはずだ。
「そうじゃないけど…… 僕を信じてよ」
「わかったよ、お兄ちゃん」
礼名はあっさり引き下がり、代わりにと言う顔で力強く僕を見た。
「忘れないでね! 礼名はどこまでもお兄ちゃんに付いていくからねっ!」




