第10章 第2話
昼休み、彼女のランチボックスを手に持つと、屋上へと向かった。
「悠くんが私を誘ってくれるなんて珍しいわね。やっと麻美華のズッキンドッキンな魅力に気がついたのね。なんてったって金髪よね!」
「ドヤ顔で訳わかんないこと言うなよ」
よく晴れた青空、五月の爽やかな風が心地よい。
「誘ってくださってありがとうございます、お兄さま」
ふたりきりになると彼女の上から目線は消え失せる。
「いや、お礼を言うのはこっちだよ。土曜日のこと……」
「パパのこと? そんなの当たり前じゃない。上手く解決してよかったって、パパも安心していたわ」
「そうなんだ」
僕は弁当を広げると、いきなり本題に入る。
「それでさ、君のお父さんにお礼がしたいんだけど、何がいいかなって思って……」
「何言ってるのよ! パパはお兄さまの力になれたことが何より嬉しかったって言っていたのわ。それなのにお礼って何よ! パパはお兄さまのパパでもあるのよ!」
多分こう言う反応が返ってくると思っていた。しかしこちらも礼名の手前、引き下がれない。
「趣味で集めてるものとか、何か喜びそうなものってないかな? ネクタイじゃ普通かな? ねえ教えてよ、頼むっ!」
「そんなもの貰って喜ぶとでも思う?」
「だけど、礼名が納得しないんだよ」
「そうねえ……」
サンドイッチを頬張りながら麻美華は空を見上げる。
「じゃあ、パパを料亭に招待して芸者さん揚げて、ドンチャン騒ぎでもしたら?」
「そんなの無理だよ! 三千円以下の贈り物とかで、ないかな?」
「何それ、子供のお誕生会?」
「じゃあ、五千円以下で!」
「ないわよ!」
キッパリ言い放たれた。
「パパも忙しい人だしね。私が上手く言っておくから、お礼なんて気にしないでいいわよ」
彼女は次のサンドイッチに手を伸ばす。
「やっぱり麻美華が作ったサンドイッチは瑞季に勝てないのよね~ 何が違うのかしら……」
とんでもなく分厚いカツサンドを頬張る彼女を見ながら、住む世界の違いを再認識する。
お礼の件はもう一度頭を冷やして考えよう。そう決めた僕は別の質問をぶつける。
「ところでさ、君のお父さんと僕って、似てるかな?」
「えっ?」
暫くキョトンと僕を見つめた麻美華は、すぐに笑い出した。
「ふふふふふっ! 本人にはわからないのかしらね。すっごく似てるわよ!」
「……」
「特に笑った顔なんかそっくりよ。血って怖いわね。離れ離れで暮らしてもこんなに似るんだから」
「そんなに?」
「お兄さまも三十年経ったらパパみたいになると思うわ」
「…… ねえ、礼名にバレないかな?」
彼女は暫く考えて。
「それは大丈夫でしょう。私の場合、パパがクラス名簿を見ながらお兄さまのことを色々聞いてきたから、気がついたんだけどね。そんな予備知識がなかったら、よもや親子だなんて絶対考えないわよ。他人のそら似で済むと思うわ」
「そうか。だったらいいんだけど……」
「だけど、と言うことは……」
麻美華は急に腕組みをして考える。
「もしかして、私とお兄さまも似ているのかしら?」
「えっ!」
「だったら少し嬉しいかも」
僕は卵焼きを口に入れたまま麻美華の顔をまじまじと見る。切れ長の碧い瞳、すらりと通った鼻筋、そしてぷるんと可憐な桜色の唇。ハッキリ言って凄い美形だ。残念ながら到底僕と似ているとは思えない。
「何まじまじと見てるんですか? 似るってのは見た目だけとは限りませんからね。性格とかもありますからねっ!」
そう言う麻美華はクスリと笑った。
* * *
「ねえ、なに考え込んでるの?」
礼名の声に現実に引き戻される。
「倉成さんのお父さんにお礼をする件、麻美華先輩に聞いてくれたんでしょ?」
「ああ、聞いたよ。聞いたんだけど、遠慮されちゃった」
「遠慮って……」
礼名は前を見て歩きながら、ぽつり「困ったね」と漏らす。
彼女も倉成家と僕らの生活レベルの差は十分知っている。何せ相手は巨大企業グループの総帥、金に不自由はしていない。贈り物をするにも宴を開くにも僕らに出来るレベルじゃつまらないだけだろう。だからこそ麻美華の知恵を拝借したかったのだけど。
「やっぱり普通にネクタイにしようか? 礼名が選ぶよ!」
「彼の服装は倉成さんが全部コーディネートしてるから却下だって」
「ちぇっ!」
舌打ちして、また考え込む礼名
麻美華はハッキリとは言わなかったけど、平たく言うと僕は倉成壮一郎の隠し子なわけで、しかも倉成ママにも麻美華のふたりの弟にも知られていない存在だ。あんまり表だって行動するのは迷惑なのかも知れない。身につける贈り物は避けるべきかも知れない。だけど、そのことを礼名に説明するわけにもいかず。
「なあ礼名、倉成さんってお父さんと凄く仲がいいらしいんだ」
「ふうん、でもわたしとお兄ちゃんほどじゃないよねっ!」
「なに対抗してるんだ」
「対抗してるのは麻美華先輩の方だよ! 最近わたしの妹ポジションを脅かそうとしている気がするんだ!」
「そんなの無理だろ、妹なんてなりたくてなれるもんじゃないし!」
ああ、僕は大嘘つきだ。心の底で少し懺悔する。
「まあ、そうだけど……」
「それで、話を戻すけど……」
僕は考えてたアイディアを口にする。
「倉成さんとお父さんをうちの『ロマンスティーセット』に無料ご招待するってのはどうかな?」
「あっ、それいいかも!」
ロマンスティーセット、カップル向けに開発した当店で一番の高額商品。
三種類のケーキにお好きなパフェかアラモードとお好きなパンケーキを全て二人分、飲み物は当店のメニュー全てが飲み放題、ラストオーダーまで三時間と言う、ハッキリ言ってノリと冗談だけで作った商品だ。
「だけど、そんなことしたら今まで一度も売れなかったと言う、オーキッド自慢の記録が途絶えちゃうね」
「その時はまたその上をいく、絶対に売れない商品を作ればいいさ」
「それもそうだねっ! よし、そうしようよ!」
礼名の晴れ晴れとした声が空に消えると、中吉商店街はもう目の前だった。




