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お兄ちゃんとの貧乏生活を守り抜く99の方法  作者: 日々一陽
第九章 働いたら追放なんて言わないで(そのに)
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第9章 第7話

「いらっしゃいませ~っ」


 グレーのスーツを着た穏やかな長身の紳士、倉成壮一郎は茶色のバックを片手に横の紳士に目をやる。そこには羽織袴を着た男。大柄で恰幅かっぷくがよく眼光鋭く、いかにも頑固そうな中年紳士がいた。


「お二人様ですね。窓際のお席で宜しいでしょうか?」

「いやいや、カウンターがいいかな」


 倉成氏はそう言うと僕の前に立った。


「いらっしゃいませ。お久しぶりです」

「元気そうですね」


 彼は着物の紳士に椅子を勧める。


「この店はわたしのお気に入りの店なんですよ。小さいですけど味はわたしが保証します」


 倉成氏の言葉にうむうむと相槌を打つと、着物の紳士は気むずかしい顔をしてぐるり店内を見回した。


「はい、おしぼりをどうぞ…… こちらメニューになります」


 礼名がいつもの笑顔をふたりに振りまく。だけど着物の紳士の表情は硬いままだ。


「うちのお店を褒めて戴いてありがとうございます」

「わたしはお世辞は言いませんよ」


 笑顔を返す倉成氏。

 礼名は会釈をして一歩引くと、不思議そうに僕の顔を見る。どうしたんだろう。顔に何か付いているかな。


「じゃあ私はこの、南国スイートコーヒーにしますよ」

「同じものを貰おう」

「かしこまりました」


 僕はグラインダーにコーヒー豆を入れる。


 ガガガガガガ……


 豆を挽きながらポットをコンロに掛ける。


「ミスター財界と言われる倉成さんとこうしてふたりなんて、初めてのことですな」

「いいえ、桜ノ宮先生とは以前にもふたりだけでお食事させて戴いたことがありますよ。確か、あれはもう十五年くらい前でしたか」

「これは失礼。十五年前というと、私がまだ国政駆け出しの頃ですな」


 桜ノ宮先生と呼ばれた着物の紳士は僕の作業に目をやりながら低い声で言う。


「その頃は、私もただがむしゃらに働いていた頃です」


 倉成氏は今日飾ったばかりの千羽鶴に目をやりながら言葉を紡いだ。


「ほお、千羽鶴ですか」


 視線を追って桜ノ宮代議士が声に出す。


「はい。うちの高校のみんなが折ってくれたんです」


 豆をドリッパーに入れながら答えた僕を突然彼は睨みつけた。


「高校? どこの高校なんだ?」

「はい、南峰です」


 咄嗟とっさに彼は振り返り、テイクアウトカウンターに立っていた礼名に目をやる。


「ああ、ここのマスターと店員さんはふたりとも高校生なんですよ。だから、このお店の営業は週末だけなんです」


 何食わぬ顔をして説明する倉成氏。恐らく桜ノ宮代議士はこの店が桂小路の孫の店だと今気がついたのだろう。顔色が変わった。


「倉成さんは未成年が営業する喫茶店がお気に入りと」

「ええ、そうですよ。だけど彼らは学業も優秀らしい。立派ですよね」


 がたっ!


 奥のテーブル席で音がした。


「あっ、大丈夫ですか! 今おしぼりをお持ちしますねっ!」


 グラスを倒したお客さんにバタバタと駆け寄り、服の心配をする礼名。


「君は大事な妹さんをあんなにこき使って平気なのか!」

「そりゃあ少しでも楽はして欲しいですよ。しかしよく彼女が僕の妹だとおわかりですね」

「……ちっ!」


 失言に気がつき舌打ちした彼の前に、僕は新作のコーヒーを差し出す。


「お待たせしました。南国スイートコーヒーです」

「ありがとう」


 倉成氏はにこやかにマグカップを手に持つと一口啜った。


「うん、これは美味しい。自己主張が強い練乳の甘さにコーヒーが負けていない。そして、そのコーヒーが濃く強いだけじゃなくってとても美味しい。桜ノ宮先生もどうですか」


 僕を睨みつけていた桜ノ宮代議士は、しかし倉成氏の言葉には逆らえないのか、ゆっくりマグカップを手に持った。

 どんよりと重たい空気が漂うカウンター。様子を伺うように心配顔でカウンターに入ってきた礼名は、しかしすぐにいつもの笑顔を振りまく。


「いかがですか? そちらのコーヒーは今日メニューに載せたばかりの新商品なんです」

「うん、美味しいですよ。コーヒーも美味しいが、お嬢さんの笑顔と一緒だと更に美味しく感じますよね」

「はいっ、ありがとうございますっ!」


 満開の笑顔を弾けさせ、倉成氏と桜ノ宮代議士にぺこり頭を下げる。そんな礼名をまるで観察しているかのように黙って見ていた桜ノ宮代議士。


 かしゃっ!


 結局、一口も飲まないままマグカップをカウンターに置くとゆっくり口を開いた。


「お嬢さんも大変ですね。毎日毎日こんな忙しい生活を無理強むりじいされて」

「えっ?」


 驚いたように彼を見る礼名。無理強い?


「あの、わたしは毎日が楽しくって仕方がないんですよ。だってお客さんはみなさん優しいし、やり甲斐だってあるし、それに何よりお兄ちゃんと一緒ですから!」

「お兄さんに無理矢理やらされているんですよね」

「はっ? なにを仰ってるんですか? そりゃあわたしはお兄ちゃんが大好きで、早く愛の告白を、そう、真っ赤なバラの花束を渡されてプロポーズされる日を今か今かと首をキリンさんにして待っていますから、お兄ちゃんが無理矢理わたしをやってしまうって言うんなら大喜びで受け入れますけど、お兄ちゃんはいつも遠慮ばっかりして礼名は無理を言われたことなんか一度もないんですよ。わたしはもっともっとお兄ちゃんに無理なことを言われる、そんなフィアンセになりたいのに!」


「はっ?」


 今度は桜ノ宮代議士があからさまに驚いた顔をする。


「お嬢さんは早くご親戚の家に行って、貧乏生活とはおさらばしたいんだよね?」

「えっ? 親戚ってまさか桂小路家のことですか? 冗談じゃありませんよ。誰があんな人を道具か老人のおもちゃとしか思っていない冷血非道なデススターになんか行きたいもんですかっ! 桂小路のお世話になるくらいなら、わたしはルーベンスの絵の下でお兄ちゃんとふたり抱き合いながら、雪に埋もれて冷たくなってしまう方が百万倍幸せですっ!」

「僕は犬か!」

「いいえ違いますっ! パトラッシュは礼名ですっ! 礼名はどこまでもお兄ちゃんに付いていきますっ!」


「…………」

「先生、コーヒーが冷めてしまいますよ」


 絶句していた桜ノ宮代議士にコーヒーを勧める倉成氏。我に返った着物の紳士はマグカップを手に持つと口に付けてゆっくり傾けた。


「そのコーヒーはお兄ちゃんが考案したんですけど、実はわたしも新作のデザートを考えたんです。さっきそれをお客さんが褒めてくださって、今日はわたしも本当に嬉しいんです。わたしは今この時が一番幸せなんです」

「…………」


 無言のままの桜ノ宮代議士の横で、倉成氏は穏やかに言葉を紡ぐ。


「お嬢さん、じゃあそのデザートを私にも作って貰えませんか」

「はいっ! ありがとうございますっ!」


 全身で喜びを表すと、礼名は冷蔵庫を開ける。

 コーヒーゼリーにたっぷりのバニラアイス。彩りを考えたフルーツにホイップクリームを添えて、そして仕上げに日の丸つまようじ。


「はい、お待たせしましたっ。大人のコーヒーゼリーアラモードですっ!」

「ほおっ、日の丸の旗ですか。昔のお子様ランチを思い出しますね、いやあ懐かしい」


 倉成氏は礼名が作ったアラモードをゆっくりと眺める。


「はいっ、さっきのお客さんにもそう言って貰いましたっ」

「ねえ先生、懐かしいですな、この日の丸のつまようじ。ははっ、たったこれだけの演出が嬉しく感じますよ。私もまだ子供なのですかね」


 倉成氏はアラモードをそのままに、コーヒーマグに手を伸ばす。

 重苦しかったカウンターの空気が、少しずつ動き始める。


「お兄さん、私は失礼なことを言ったようだ。謝らせてくれ」

「えっ、いえ、僕は別に……」


 かちゃり


「あなたたち兄妹はもう立派に大人なようだ。そんなこともわからなかったとは、私の不覚だ。このコーヒーもよく考えられた味だ。とても美味しい。お嬢さん、そのデザートを私にも作ってくださらんか」

「はいっ、ありがとうございますっ!」

「うん、素直で明るくて、本当にいいお嬢さんだ」


 着物の紳士はさっきまでとは別人のような、優しそうな笑顔を見せた。


          * * *


 ふたりの紳士が店を出ると、一分もしないうちに桜ノ宮さんと麻美華が飛び込んできた。


「どうだった? うまくいったの?」

「悠くん、早く結果を教えなさい」


 ふたりはムーンバックスの窓際席から、ずっと店の様子を伺っていたのだ。


「うん、お陰で誤解は解けたよ。うまくいったよ」

「うわあっ!」


 桜ノ宮さんは僕の胸に飛び込んで、両手で抱きついてくる。


「ちょっ、ちょっと綾音先輩! 嬉しいのはわかりますがそこは礼名の指定席ですっ!」


 桜ノ宮さんに抱きつかれた僕に、更に礼名が抱きついてくる。


「あら、ずるいわねふたりとも」


 桜ノ宮さんと礼名に抱きつかれた僕に麻美華が抱きついてくる。


「すごいね悠也くん。白昼堂々店の中でモテまくりだね」

「あっ、ごめんなさい」


 三矢さんの声にみんな我に返り、手を放して少し離れる。そして誰からともなく笑い合った。


「綾音先輩のお父さんって素敵な方でした」


 礼名の言葉に、しかし桜ノ宮さんは声が詰まったのか、ただ何度も頭を振るだけだ。


「麻美華先輩のお父さんも凄く素敵で、まるで……」

「まるで?」

「あっ、いえ…… 格好いいって思います」


 これできっと学校への圧力プレッシャーは解消されるに違いない。

 その後、夕方まで店を手伝ってくれた桜ノ宮さんは麻美華と一緒に帰って行った。寛容な彼女ならお父さんと変な確執を引きずることもないだろう。


 やがて日も暮れて。

 仕事を終えて店を閉めると、僕と礼名は店のカウンターに並んで座った。


「よかったね。本当によかったね……」


 携帯メールに目を通すと僕を見上げる礼名。メールはついさっき桜ノ宮さんから届いたものだ。安心してね、明日はいいお知らせがふたつあるわよ。と言う内容だった。


「ひとつは想像できるけど、あとひとつは何だろう?」

「うん、わからないね。でも綾音先輩がいいことって言うんだから、絶対いいことなんだよ」


 僕がコクリと頷くと礼名はにっこり微笑んだ。

 そして暫く沈黙の時間が流れる。

 それはとても心地のよい時間。

 やがて。


「桜ノ宮先輩のお父さんって一見怖そうだったけど、とてもいい人だったね。それに麻美華先輩のお父さんも格好良かった。前にも思ったけど、お兄ちゃんも将来あんな感じになると思うな」


 一瞬ドキリとした。

 もしかして似ているのだろうか。まさかバレたりしないよな。


「そ、そうかな? 気のせいじゃないかな……」

「ううん、笑い方とかそっくりだったし。そうそう、倉成パパには一肌も二肌も脱いで貰って大変お世話になったよね。ちゃんとお礼しなきゃだけど、何したらいいのかわからないんだ。向こうは凄いお金持ちだし……」

「あ…… ああ、そうだね。今度倉成さんに相談しておくよ」

「お願いね、お兄ちゃん」


 礼名の笑顔に僕の頬も自然と緩む。

 そしてまたゆっくりと、暖かい時間が流れる。

 ふたりの間に言葉はなくても僕の気持ちは満ち足りていた。



 第九章 働いたら追放なんて言わないで(そのに) 完


 第九章 あとがき


 こんにちは。いつもご愛読感謝しています。桜ノ宮綾音です。


 今回の話、あたしは一番スポットが当たる役回りだったのに、何となく麻美華の方が目立っている気がするのは気のせいでしょうか?

 思うんですけど、あたしの持ちネタって少ないですよね。


『あたしの赤ちゃんを神代くんが産むの!』


 ほぼこのワンパターン。

 これって、八百屋の高田さんと同じ扱いだと思うんです。

 あたしは神代くんを取り巻く女性陣の中にあって一番の正統派だと自負しるのに。血の繋がったブラコン妹と財閥のわがままお嬢さま。あたし絶対負けてないって思うんです。皆さんなら誰を選びます? 作者の脳内ランキングではあたしが絶対一番のはず。それなのにこの焦燥感しょうそうかんは一体何なの!


 え、ここでお便りコーナー? はい、わかりました。

 えっと、このお便りは、西北町南東部にお住まいの尻振りダンスさんからです。


 Hカップの持ち主にしてスタイル抜群で優しくって美人で癒し系の綾音さんこんにちは。

 ……はい、ありがとうございます。

 ところで僕には大いなる疑問があります。

 綾音さんはルックスも性格も完璧で、料理も裁縫も上手でしかも生まれも育ちも文句なし。何ひとつ欠点なんか見当たらないのに、どうして影が薄いんですか? 僕には作者のエコ贔屓にしか思えないんですけど。今度作者には強硬クレームしておきますね。だから綾音さん頑張って下さい。僕応援しています。いつでもウェルカムですから! ズボンのチャック開けて待ってますからねっ!


 はい、微妙なお便りありがとうございました。

 でも、このお便りを読んでやっとわかりました。どうしてあたしの影が薄いのか。

 そう、それはきっと……

 これと言った欠点がないからですよ!

 そうか、わかりましたよ!

 そうとわかれば簡単です。明日からグレてやりましょう! 不良になりましょう! 盗んだバイクで走り出しましょう!

 あっ、でも。

 そんなことしたら神代くんに嫌われるかも……

 困ったわ……

 

 と言うわけで、次回予告です。

 学校からの圧力も消えひと安心の神代兄妹。そんなふたりにはまだ、戦いの後片付けと言う仕事が残っていました。招き招かれる宴の中で、危険にさらされる神代兄妹の秘密とは。


 次章「宴も楽しいだけじゃない(仮)」も是非お楽しみに。


 それではこの辺で失礼します。ファンレターも待ってますねっ!

 桜ノ宮綾音でしたっ。


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