第9章 第6話
土曜日が来た。
今日のスタッフは僕と礼名のふたりだけ。
このところ桜ノ宮さんと麻美華が手伝ってくれていたから、久しぶりの二人体制だ。
ちなみに昨晩から、桜ノ宮さんは麻美華のお屋敷にお世話になっている。
「ふたりだとしっくりくるね。今日はよろしくお願いします、お兄ちゃん」
改まってお辞儀をする礼名。
フリルが可愛いピンクのワンピースに丸みを帯びた純白のエプロン。
桜ノ宮さんがデザインしてくれた店の制服が見事に決まっている。元々礼名のためにデザインされた制服だから当然と言えば当然なのだが、それにしても、我が妹なのに暫し口を開けたまま見とれてしまう。
「あっ、ああ。宜しくな、礼名」
今日は昼過ぎに桜ノ宮一馬代議士、即ち桜ノ宮さんのお父さんが倉成壮一郎氏に連れられここに来る手筈になっている。勿論、僕らが働く姿を見て考えを変えて貰うためだ。気合いを入れていかなくちゃ。
からんからんからん
「いらっしゃいませ~っ!」
いつものように朝一番は八百屋の高田さんだ。
「あれっ、今日は礼名ちゃんひとりなんだ」
「はいっ!」
「しっかし、やっぱり礼名ちゃんは別嬪さんだねえ! その上、最近凄く色っぽくなってきたよな」
「そうですか? だったら嬉しいですっ!」
「うちのかあちゃんも昔はそれなりに色っぽかったんだけどなあ。それが今じゃあのザマだよ。口紅塗ったら吸血鬼、マニキュア塗ったら血染めのアイアンクロー、マスカラ塗ったら奇抜なパンダの出来上がりだよ」
「あの……」
「はっはっは。大丈夫だよ礼名ちゃん」
そう言いながら高田さんはフルフェイスのヘルメットを被る。
「今日はアメフトの防具を着けてきたんだ。へっ。かあちゃんなんか怖くないぜ。来るなら来てみろってんだ!」
「じゃあいくわよ、奇抜でもパンダは猛獣なのよ」
どこからともなく現れた高田さんの奥さん。彼女は言うが早いか、矢のように旦那さんに飛びかかった。
「ヘビー級大熊猫タックル!」
「うぎべごぼっ!」
吹き飛ばされたヘルメットが堅い音を立て足元に転がってくる。
メットを失ったままタックルから馬乗りにされる高田さん。その恐怖の表情は見るに忍びなかった。
「ひいっ! ひべごっ! た、たずげでぐでべっ!」
「おっ、奥さんっ! いらっしゃいませっ!」
「あっ、礼名ちゃん!」
ふたりの間に割って入り、高田さんを背中に匿う礼名に、振り上げられた奥さんの右手が力を失った。
「はあっ…… いつもごめんね。今日もサンドイッチでお願いね」
「はい、ありがとうございますっ! マスター、サンドでモーニングですっ!」
いつもの風景だけど、更にパワーアップしている気がする。高田さんって家の中では大丈夫なのだろうか。制止役はいるのだろうか。最近少し心配になる。
ともかく、カフェ・オーキッド開店だ。
今日は天気もよく、春らしい行楽日和。忙しくなりそうな予感の通り、朝から礼名も僕もフル回転。
実は今朝、オーキッドは少し模様替えをした。
カウンターの横に置いていた造花の蘭を、南峰高校生徒会から贈られた千羽鶴に変えたのだ。千羽鶴は一羽一羽に小さな字で僕たちへのメッセージが書かれている。全部読むことは出来ないけれど、とてもありがたいことだ。
そして、今日から新メニューもふたつ追加した。
ひとつは礼名考案の『大人のコーヒーゼリーアラモード』。
売りは甘過ぎない大人の味で低カロリー、そして何よりゼリーに突き立てた国旗つまようじだ。ちなみに国旗のつまようじはプリンパフェにもチョコパフェにも立てることにしてみた。チョコパ教信者の太田さんと細谷さんの反応が楽しみだ。
もうひとつの新メニューは練乳をイヤと言うほどぶち込んだコーヒー、名付けて『南国スイートコーヒー』だ。甘さ爆発だけど、値段はグッと抑えてみた。
「わたしのアラモードを最初に食べてくれるの誰かな? やっぱり太田さんと細谷さんかな?」
昨晩、メニューを差し替えながら礼名は楽しそうに呟いた。
「じゃあ、僕のスイートコーヒーを最初に飲んでくれるのは……」
なぜか最初に脳裏に浮かんだのは倉成壮一郎氏。でも僕は小さく頭を振る。
「三矢さん、かな」
「だったらいいねっ。でも三矢さん最近ダイエットしてるんだよ」
礼名の笑顔は屈託なく、不覚にも僕の胸は高鳴った。
「マスター、二番テーブルさんにコーヒーアラモードふたつっ!」
現実に連れ戻される。
気がつくと、はち切れんばかりの礼名の笑顔。そして二番テーブルにはパチンコ屋での生きるか死ぬかの戦いを控えた太田さんと細谷さんが座っていた。どうやら礼名の予想は当たったようだ。僕は礼名のレシピに従いコーヒーゼリーアラモードを作っていく。
久しぶりにふたりだけだからか、今日はともかく忙しい。
かわいいっ、とか言いながら、太田さんと細谷さんは国旗つまようじを「玉が出るお守り」と称して持ち帰った。今度からパフェに恋愛おみくじでも付けてみようか。
かくして。
テイクアウトのコーナーにも絶えずお客さんがやってきて、礼名も僕もてんてこ舞い。時間は矢のように過ぎていった。
からんからんからん……
入ってきたふたりの紳士を見て僕は壁の時計に目をやる。
もうすぐ一時だった。




