第9章 第2話
教室に入ると鋭い視線を感じる。
恐ろしいまでのオーラを発する麻美華に睨まれていた。
「悠くん、私に謝ることはないかしら!」
「えっ? 何のこと?」
怒ってる。メチャクチャ怒ってる。直感的にそう思った。いつもの上から目線を遙かに凌ぐ、急降下爆撃目線だ。
「しらばっくれると言うのかしら。わかったわ。今夜は私もお泊まりするんだからねっ!」
「えっ? もしかして昨晩桜ノ宮さんがうちに来たこと、もう知ってるの?」
「当然よ、この私が知らないとでも思っているの!」
見ると彼女の席の横には大きなスーツケースがドカンと置いてある。一週間は南の島でバカンス出来そうな大きさだ。
「悠くん、綾音とあんな事とかこんな事とかしてないでしょうね。悠くんのチェリーボーイ卒業には麻美華の書面による賛同が必要なのよ! 勝手な快楽追求行動は許されないわ!」
「何言ってるんだよ、そんなことあるわけないだろ。昨日、桜ノ宮さんは礼名と寝たんだし」
「あら、あのふたりはそんな関係になってしまったのね。いいわ、麻美華、認めてあげる」
「あっさり認めるんだね、って倉成さんには関係ない話じゃないか」
「そうね、関係ないわね。あのふたりが百合畑であはんあはんと絡み合っていても」
相当怒ってるな、こりゃ。
キンコ~ン カンコ~ン
予鈴に救われる。
僕はたらり流れる冷や汗を拭うと、一時限目の準備を始めた。
「はあっ」
隣の麻美華は教科書を出しながら小さく息を吐く。
どことなく寂しげなその横顔に、彼女が僕らを心配してくれているのが感じられる。
生徒会を使って「勤労学生支援キャンペーン」を始めた彼女。その目的は倉成家の威光をちらつかせながら校長に圧力を掛けることだった。それなのに僕は桜ノ宮さんの情報をすぐ連絡しなかった。彼女が怒るのも当然だ。ごめん、麻美華。
「では授業を始める。教科書は七十八ページだ」
授業中も僕の思考は上の空。
頭の中は桜ノ宮さんのお父さんをどうやって説得するかでいっぱいだった。先生に当てられても何を聞かれたのかさえわからなかった。幸い隣の麻美華が助け船を出してくれたけど。形式だけ鉛筆を走らせたノートの文字はミミズがチークダンスを踊った後のようだった。
そして四時限が過ぎて。
昼休みになると放送室に用があると言って足早に教室を出た麻美華。
僕は岩本と弁当を広げる。
ちゃちゃちゃ ちゃちゃちゃちゃ
ちゃちゃちゃちゃ ちゃちゃちゃちゃ
ちゃ~ ちゃちゃっちゃ~ ちゃっちゃ
ちゃ~ ちゃちゃっちゃ~ ちゃっちゃ
突如、アメリカの古い刑事ドラマのオープニングと思しきメロディーが流れると、校内放送が始まった。
「はい、皆さんこんにちは。ご存じ、放送部のアイドル、あなたの薬師寺姫香でっす。今日は今、生徒会が絶賛展開中の「勤労学生支援キャンペーン」特別生放送をお送りします。お昼のひととき、お箸片手にお楽しみ下さいね。
では早速、今日のゲストをご紹介します。自分の家は喫茶店。学生とウェイトレス、二足のわらじを見事に履きこなす、勤労学生一筋四十日、一年五組の神代礼名さんですっ」
「皆さん、こんにちはっ! 今日も日の丸弁当の梅干しにヨダレそそられる神代礼名ですっ!」
「ぶっ!」
何をしている礼名!
卵焼きを思いっきり岩本に噴いてしまったじゃないか!
「神代さんはどうして親戚のお世話にならず、せっかくの休みも働いて生計を立てているのですか?」
「はい、それはお兄ちゃ…… じゃなくって、両親との想い出がたくさん詰まった自分の家で生活を続けたいからです。わたしを大切に育ててくれた父と母。ふたりが大切にしていた喫茶店を守っていきたい。その一心からです。それってワガママなことでしょうか?」
「でも、平日は授業で週末はお仕事って大変ですよね」
「それは何かの思い違いです。わたし、趣味はウェイトレスですし、お勉強なんです。だから毎日がとっても楽しいですっ」
「頑張りすぎて、先日救急車で運ばれたとか」
「はい。だけど十分休みがあっても病気するときはしますよね。わたしの場合は趣味が高じてやり過ぎた、ってだけなんです。だからほら、今はこんなに元気です」
ドガッ ボグッ グワシャッ!
「あっ、放送部の大切な金髪美少女の抱き枕を破壊しないでくださいっ!」
「すいません、金髪を見るとつい反射的に……」
「備品は大切に扱ってくださいね」
備品なのか? 金髪美少女の抱き枕が備品なのか、放送部!
あまりのバカさ加減にクラスのみんなも箸を止めて放送に聞き入っている。
「今日はもうひとかたゲストをお迎えしています。今回の「勤労学生支援キャンペーン」の発起人、ご存じ生徒会副会長の倉成麻美華さまですっ!」
「私が倉成麻美華よ。みなさん、面を上げても宜しくってよ」
「あの~、麻美華さま、今回のキャンペーンの趣旨はどう言うところにあるのでしょう」
「簡単よ。全ての人に学ぶ権利を。意欲ある人に差別なく門徒を開く南峰高校でありたい、その想いからよ」
麻美華はベラベラと綺麗事を並べ立てる。
綺麗事とはいいながら、校長先生に敵対することを堂々と喋りまくる彼女。普通の生徒に出来ることではない。さすがは倉成家のお嬢さま。傍若無人ぶりにもほどがある。
「そういう訳だから、みなさんも支援しなさいよね。ちなみに私と席が隣の神代悠也くんも働いているわ。ご存じの通り私、倉成麻美華は恵まれた家庭に育っているのだけど、人生はほんの少しの綾で大きく変わるものなのよ。私と神代くんみたいに、ね」
最後のセリフの真の意味は、僕以外にはわからないと思うのだけど。
放送も終わり、昼休み終了間際に戻ってきた麻美華はクラスメイトの女子達と何やら楽しそうに話を始めた。
「女子達が言っていたけどさ、今年の倉成さんは去年よりずっと親しみやすくなったそうだよ」
僕の耳元でそう囁いた岩本は、何を勘違いしているのかニヤリと笑って教科書を広げた。




