第9章 第1話
第九章 働いたら追放なんて言わないで(そのに)
「おはよう、神代くん!」
食器片手に柔らかく微笑む、赤いロングのツインテール。
「綾音先輩、配膳は礼名がしますから、座っていてくださいよっ!」
「ええっ、礼名ちゃんずるいっ! 今はあたしのターンなのっ!」
「お…… おはよう」
食卓にはいつもより厚みのあるパンケーキが綺麗な焼き色を見せている。
「これってもしかして桜ノ宮さんが作ってくれたの?」
「うん、お口に合うかわからないけど。これ、特製のシロップね」
三人で食卓を囲み手を合わせる。
「うほっ! ホクホクで美味しいね。それにこれ、マンゴシロップが爽やかでよく合うよ」
「神代くんに褒められると嬉しいわ。普段はブルーベリーを使うのだけど、ここにはなかったからマンゴピューレを使ってみたの」
優しくはにかむ桜ノ宮さん。
その顔から昨晩の憔悴しきった印象はだいぶ薄らいでいた。
「うん、確かに美味しいですね。だけど礼名の気持ちは微妙です。今朝の朝食を掛けた人生ボードゲームに勝ってさえいれば、お兄ちゃんの称賛は礼名に向けられていたはずなのに……」
平日の早朝から人生ボードゲームやってたのか、こいつら。
「宇宙人の襲来で国宝の絵皿を割られる。弁償費用二十万ドル支払う、ってのが痛かったわよね」
宇宙人の襲来を受けて皿が一枚割れただけで済んだんなら、いいんじゃないのか?
「そのあと綾音先輩は宇宙人と友達になって手記を執筆して、五十万ドル儲けたんですよね。不公平だわ、宇宙人」
宇宙人大活躍だな、そのゲーム。
「お兄ちゃんも今度一緒にやろっ!」
「いや、遠慮しとくよ」
そのまま宇宙に連れ去られそうな気がした。
「転生ゲーム、ってのもあるんだよ。持ち駒は魔王と勇者と天使と町人Aモブ太郎と……」
「どっちにしてもやめとくよ」
僕は紅茶を啜ると現実に戻る。
「ところで桜ノ宮さん、昨晩お父さんと電話していたようだけど……」
昨日の夜、僕が寝ようとしていると廊下から彼女の話し声が聞こえてきた。内容からお父さんと話しているようだった。聴いていた感じでは喧嘩別れに終わったようだけど……
「うん、説得に失敗しちゃった。と言うか、もはや全面戦争状態よ、たはは……」
「じゃあ、今晩も帰れないの? 着替えとか考えないとね」
「それは密かに山之内さんに頼んであるわ」
以前、桜ノ宮家にお邪魔したときに会ったメイドの山之内さん。とても上品で、桜ノ宮さんと凄く仲が良さそうだったのを思い出す。
「だけど僕たちのためにこんなことになって、本当にごめん」
「謝るのはあたしの方よ! でも絶対何とかするから!」
彼女の家庭のことはわからないけど、いつも温和な桜ノ宮さんが家出してまで徹底抗戦する事態は全くの予想外だった。話が変にこじれなければいいのだけど。
美味しい朝食を終えると僕たちは三人で登校した。
少し曇りがかった涼しい朝、右から礼名、僕、桜ノ宮さんの順に並んで歩く。
「ねえ、桜ノ宮さんのお父さんって、どんな人なの?」
「う~ん、そうね。頑固だけど情にもろくてお人好しなところがあるかな。悪い人間じゃないのよ、だから今回はどうしてこんな事をしたのかあたしにもわからなくって。ただ、昨晩の電話で感じたんだけど、父が神代くんのおじいさんに頼まれたのは間違いないと思うわ。でも、どうしてそのおじいさんの味方に付くのかしら。ねえ、おじいさんってどんな人なの?」
僕らはまだ桜ノ宮さんに桂小路家の事は話していなかった。だけど、今回のトラブル解決にはその情報が鍵になりそうな気がする。包み隠さず話しておかなきゃいけないだろう。僕はちらりと礼名に目をやる。礼名も同じ考えなのだろう、僕を見返してコクリと首肯した。
「実は、うちのは母方の実家で桂小路って家なんだけどね……」
桂小路が資産家の名門であること。母は駆け落ちして祖父から逃れたこと。だから僕や礼名と桂小路家は両親の不幸が起きるまで全く交際がなかったこと。そして桂小路には事実上世継ぎがいないこと、などなど。可能な限り話せる事は話した。勿論、僕と桂小路に血縁がないことだけは黙っておいた。それば礼名も知らないことだから。
「そうだったの…… だったら、うちの父は神代くんのおじいさんに泣きつかれたのかも知れないわね。世継ぎがいないご老人が、自力で生活する貧しい孫を想い一緒に生活したいと願う。なるほど、お涙頂戴の構図ね。うちの父が嵌りそうなパターンだわ」
「でも、桂小路は悪なんですよ、諸悪の根源、極悪非道なダークサイドなんです。祖父はわたし達を自由に使える玩具か人形としか思っていないんですっ! わたしなんか政略結婚のための道具でしかないんですっ!」
力説する礼名に優しく微笑む桜ノ宮さん。
「わかったわ。複雑な事情があるみたいだけど、あたしは礼名ちゃんの味方だからね」
「嬉しいですっ!」
「神代くんはどうなの? その話に乗ったら桂小路の後継者になるかも知れないのよね?」
「いや、それはないと思うよ」
「どうして?」
首を傾げた桜ノ宮さんだけど、やっぱり本当の事は言えない。
「いや、僕にもその気がないんだ」
「そうなの……」
気がつくと僕たちは学校の校門に辿り着いていた。




