第8章 第6話
「はいっ、新作の『グッと大人のコーヒーゼリーアラモード』だよっ!」
その日、入浴を終えた僕の前に美味しそうなデザートが運ばれてきた。
「何だ、この凄い豪華なやつ」
細長いプリンアラモード用ガラスの器、通称「バナナサンデー」にたっぷり盛られたコーヒーゼリーとバニラアイス。サクランボやバナナ、キウィなどのフルーツが彩りを添えて目にも楽しい。
「へへっ、美味しそうでしょ! 礼名が考えた新作デザートだよ。食べてみてよ。ほら、うちのお客さんって年配の方が多いじゃない! これ、甘さ控えめで意外とローカロリーなんだよっ!」
僕は真ん中に盛られている丸いコーヒーゼリーに突き立てられた日の丸の旗を指差す。
「なんだ、このお子様ランチのような趣向は?」
「へっへー、いいでしょ! 礼名のリサーチによると、中高年の方はこの「日の丸つまようじ」を見ると胸ときめいて注文しなくちゃいられないんだって!」
「そんなものなのか? じゃあ、いただきま~す」
僕は日の丸の旗を抜くとコーヒーゼリーをアイスに絡めてひとくち。礼名の言う通り甘さ控えめ大人の味だ。綺麗なピンク色の缶詰サクランボはヘタを持ってパクリと食べる。うん、好きだな、この味。
「ダメだよ、お兄ちゃん! サクランボはヘタが付いたまま口に入れて、そのヘタを舌で上手に輪っかにするんだよっ」
「なんだよそれ」
「礼名のリサーチによると、中高年の人はサクランボのヘタを見ると口の中で輪っかにしなくちゃ寝付きが悪くなるんだって」
知らんがな、そんな古のひとの趣向なんか。
「ねえ、感想は?」
「うん、美味しいよ。ウケるんじゃないかな」
「わあいっ!」
僕の言葉に礼名は素直に破顔する。
「礼名ね、色々考えたんだけどさ、今のテイクアウトコーナーって結構負担大きいでしょ! 元々クレープの持ち帰りを考えてたけど、色々やってみて、それはふたりだけじゃ無理だと思ったの。それにね、テイクアウトのコーヒーも今はいい線いってるけど、やがてムーンバックスに押されていくんじゃないかな。だから基本の喫茶店を新製品で盛り上げられたらいいなって思ったんだ」
さすが礼名、冷静な読みをしている。しかしだ。
「礼名の話はよく分かるけど、今は学校にプレッシャーを掛けている黒幕を探し出して、オーキッドの営業が続けられるようにすることが先決じゃないか」
「そうだね。だけど黒幕捜しは麻美華先輩と綾音先輩にお願いするしかないんだし。いざとなったら、わたし学校をやめて働くから」
「何言ってるんだっ!」
少し大きな声が出てしまった。一瞬ビクリとした礼名はすぐに笑って。
「てへへへっ、そうだね、その通りだね。ごめんなさいお兄ちゃん。礼名も今のこの生活を最後まで諦めないよ」
礼名はいつも自分に出来ることを考えて最善を尽くしてくれる。新メニューの開発は本来僕の仕事なのに……
「待ってろ、いま美味しい新作コーヒーを淹れてやるからな」
僕は喫茶店の灯りを点けてカウンターに入った。グラインダーで深煎りロースト豆を挽き、濃く力強いコーヒーを抽出する。実はこれ、あてもなく作っている訳じゃない。一度試してみたいことがあったのだ。
「凄くいい香りだね。えへっ、お兄ちゃんが礼名のために作ってくれてるんだ」
カウンター席にちょこんと腰掛け、機嫌よさげに僕の一挙手一投足を注視する礼名。僕はその色濃いコーヒーを大きいマグに注ぐ。そして、練乳の缶を取り出し、大きなスプーンいっぱいの練乳をコーヒーにぶち込む。
「あああっ、何してるの、お兄ちゃん! そんなことしちゃベタベタに甘くなっちゃうよ」
「うん、分かってる」
そう、このコーヒーは以前礼名がムーンバックスの月守さんと、麻美華のお父さん、倉成壮一郎に作ったレシピだ。ムチャクチャなレシピだと思って見ていたが、ふたりの反応は意外によかった。まあ、大きなお世辞かも知れないが。
「さあ、出来たよ」
「わあいっ、楽しみっ!」
僕は大きな白磁のマグを礼名に差し出す。
と、同時に。
窓の外に人影があるのに気がついた。
「あれっ?」
窓に近寄り目を凝らす。少し遠く、街灯に照らされてひとりの女性がこちらを見ていた。僕はジャージ姿のまま店を出てその女性の方にゆっくり歩いていく。
「桜ノ宮さん?」
僕の声は届いているはずなのに、彼女は全く動かなかった。
「どうしたの、こんな時間に……」
薄明かりの下、黙って唇を噛みしめていた彼女は僕が近づくと力なく俯いた。
「ごめんなさい……」
「えっ?」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「いや、どうしたのさ。ともかくうちにおいでよ」
しかし彼女は立ち尽くし、ただひたすら謝罪の言葉を繰り返すだけだった。




