第1章 第4話
その夜。
「すごく似合ってるよ、礼名」
「ありがとうお兄ちゃん。でもちょっと大きいかな?」
いよいよ明日は礼名の入学式。
僕と同じ南峰高校へ通うことになった礼名。
だけども彼女が着ている制服は新品ではない。卒業した先輩のお下がりだ。
細身の礼名には少し余裕がある、紺の地に白のリボンのセーラー服。
しかし。
そんなお下がりの制服でも嬉しそうに鏡を見る礼名。
「ごめんね礼名、新しい制服を買ってあげれなくて」
「全然問題ないよ。新品買っても一日着たらお古だよ」
屈託なく彼女は笑う。
「いよいよ、お兄ちゃんと同じ高校に通えるんだね! とっても楽しみっ」
つい先日まで普通の中学生だった礼名。
それが今は炊事も掃除も洗濯も、その上喫茶店のウェイトレスまで大車輪の大活躍。しかも家計は火の車。それでも嬉しそうに僕を見て。
「お兄ちゃんに負けないように勉強するからねっ」
「ははっ。成績は礼名の方が上だろうな」
彼女は鏡を見ながら色んな鞄の持ち方を試している。
そんな礼名を見ながら僕は三ヶ月前の出来事を想い出していた。
三ヶ月前の彼女の泣き顔を。
「ダメだよお兄ちゃん、そんなのおかしいよ!」
机の上には数枚の書類。
販売や製造、事務職もあった。全て僕の求人票だ。
「先生とか親戚の口添えで、どれも行けそうなんだ。ほら、南峰高校は一応県下有数の進学校だろ。だから結構信用あるらしく……」
「お兄ちゃん成績いいよね、理数飛び抜けてるよね、部活のコンピュータ並列処理研究で大臣賞も貰ったよね、大学行きたかったんだよね。それが、どうして学校辞めないといけないの!」
「だって仕方がないだろ、やっぱりこの喫茶店だけじゃやっていけないよ。僕が働かないと」
「違う、間違ってる! お兄ちゃんは貧乏だから勉強諦めるの? 逆だよ、反対だよ! 貧乏だから勉強しなくちゃ! 貧乏だからこそ勉強しなくちゃ!」
「だけど現実にはお金がいるんだよ」
「だからふたりで頑張ろうよ、このお店で頑張ろうよ! 一緒に頑張ろうよ!」
「だけど礼名……」
「お兄ちゃんが学校辞めるんなら、わたしも行かないからっ!」
最後は涙目になる礼名に僕は折れるしかなかった。
桂小路家にふたりお世話になる提案も、兄妹離れて親戚の家にお世話になる提案も断固拒絶した礼名。だけど僕は彼女を幸せにしなくちゃいけない。僕は礼名の兄だ。そして幼い頃、母と約束した。
「もし私に何かがあっても、れいちゃんを大事にしてあげてね」
母に本を読んで貰って、その後の何気ない会話だったけど。
まさか本当にこんな事になろうとは、母も思っていなかったはずだけど。
でもその時の事を僕は強く覚えていて。妹には普通の高校生活を送って幸せな未来を築いて欲しい。それが僕と母との約束だ。そんな気がして仕方がなかった。
「分かったよ礼名。一緒に頑張ってくれるかい?」
「勿論だよ、だってみんなわたしのワガママだもん。わたしが一番頑張るよ」
そんな彼女の泣き笑う顔を想い出しながら。
「礼名、もう気は済んだかい?」
「やっぱりちょっと…… ダブダブかな」
「うん。たしかにちょっと大きいね……」
「………… いや、大丈夫。礼名、気にしないっ!」
僕を見てニコリ笑うと、制服姿を鏡に映してウォーキングを始める。
そんな礼名を見ながら僕は台所に立った。
「何作るの? 礼名が作るよ」
「いいよ、僕が作るから。礼名の入学祝いにパンケーキ食べよう」
「わあいっ。じゃあわたし着替えてくるねっ」
バタバタと二階への階段を上る礼名。
我が家は二階建てだ。
二階には礼名の部屋と僕の部屋、そして今は誰も使っていない両親の寝室。
彼女の妄想によると、結婚した礼名と僕は両親の部屋で初夜を迎えるらしい。
「お父さんとお母さんのお部屋でふたりの初夜を迎えるその日まで、礼名は純潔を守っているよ。それじゃ、おやすみなさいっ」
この痛い妄想を彼女は毎日毎晩就寝前に必ず僕に唱える。
洗脳作戦だろうか。
一階は店舗と居間と台所。
ピアノがなくなって広くなった居間はどこか殺風景。
演奏コンクールで礼名が貰った賞状を入れていた額には、いま空白の婚姻届が飾られている。四十九日の法要の後、礼名が役所から貰ってきたものだ。
「いつかふたりのサインを書くその日まで、ふたりの誓いを忘れないためにもここに飾っておこうね」
それまでの僕と礼名は普通に仲の良い兄妹だった。礼名が突如ブラコンを暴走させたのは両親の事故の後。最初は悲しみに耐えきれず彼女が不安定になったからだと思い、僕は温かくそれを受け止めた。しかし、どうやらそれが仇になったようで。彼女は毎朝毎晩、僕との結婚妄想を炸裂させないと生きていけない体になってしまった。アーメン。
「お待たせ、お兄ちゃん」
お気に入りの青いワンピを身に纏った礼名が現れる。
「何おめかししてるんだ?」
「えへへっ、折角お兄ちゃんがお祝いしてくれるんだもん」
「ホイップとアイスもたっぷり載っけたから」
「あんまりお店の商品使い込んじゃダメだよっ」
「礼名は厳しいな」
「うそ。お兄ちゃん大好きっ!」
「おい、こらこらっ」
「あははははっ」
「離せよ、こら礼名っ!」
「だって、お兄ちゃん優しいっ」
嬉しそうに僕の腕を取る礼名はとっても可愛くって、女の子らしい甘くいい匂いが漂って。思わず僕はドギマギしてしまう。
「おい、そろそろ離れろよ」
「お兄ちゃんはまじめだよね」
やがて僕たちは二枚重ねのパンケーキを暖かいアールグレイと一緒に楽しみながら、今までのことを語り始める。
「なあ礼名、これでよかったのかな、後悔はしてないか?」
「また言ってるの? わたしは毎日がとっても楽しいよ。でも、お兄ちゃんは? もしかしてお兄ちゃんは楽しくないの?」
「ううん。僕も毎日とっても楽しい。それもこれもみんな礼名のお陰だ。お店でも家の中でも、いつも明るく楽しい礼名が笑っているからだ」
「それはお兄ちゃんがいるからだよ。わたし、お兄ちゃんがいてくれて本当によかった。ありがとうございます、お兄ちゃん」
「どうしたんだ、珍しくあらたまっちゃって」
「ううん、何でもない。でも、もう三ヶ月経つんだね……」
彼女は壁の、コーヒー豆が写った貰い物のカレンダーを眺めて。
「そうだね、毎日が目まぐるしかったね」
「うん、忙しかった。でもお客さんみんないい人ばっかりだね」
確かにカフェ・オーキッドのお客さんはみんないい人ばかりだ。だけどお客さんが優しいのはきっと礼名のせいでもある。彼女がみんなを笑顔にしている。
「そうだね、でもそれはきっと、礼名が頑張ってるからだよ」
「お兄ちゃんは褒め上手だね。そうだ、覚えてるかな、昔わたしが友達とアイドルごっこしていた頃のこと」
「ああ、覚えてるよ」
それはおぼろげに残る、遠い昔の記憶。
僕らがまだ幼稚園の頃、礼名はアイドルごっこと称し友達の女の子と歌を歌ったり踊ったりするのが大好きだった。そして僕はよくその場に審査員として引っ張り出された。
「お兄ちゃんはいつも、
「審査結果、みんなが一番でした~」
とか、当たり障りのない八方美人的な事ばっかり言ってたよね。つまらなかったよ。だけど、みんなが帰った後、必ず礼名の耳元で「ホントは礼名が断然一番だったよ」って囁いてくれたよね。周り誰もいないのに、わざわざ耳元でね」
「ああ、そんな歴史もあったかな」
「わたしすっごく嬉しかったよ。ほら、礼名って褒めれば伸びる子じゃない?」
「なるほど。だから朝日さんがその才能に気が付いてスカウトに来たんだ」
「もう、あれは違うよ。あれは何か裏があるだけだよ」
ほっぺを膨らまして僕を見て、礼名はすぐに、くすりと笑う。
「いつか、お兄ちゃんと同じお布団で、想い出を語らいながら眠りにつきたいな」
「何妄想してるんだ。僕たちは実の兄妹だから、そんな未来は来ないよ」
「じゃあもし、お兄ちゃんと礼名が実は兄妹じゃなかったら? 今頃わたし、ここで押し倒されてる?」
「礼名がそんなセリフを吐く、お下劣な子だったなんて、お兄ちゃんは悲しいよ」
「あははっ、そうだったね。わたし結婚まで純潔を守るんだったね。じゃあさ、わたしと婚約してくれる?」
「へっ?」
「もしお兄ちゃんと礼名が実は兄妹じゃなかったら、今ここで婚約してくれる?」
「いや、実はも何も実際に兄妹だから、ね」
「う~ん、仮の話だよ。男ならビシッと決めようよ~」
拗ねた目で僕を見つめる礼名。
そのくりっと大きく澄んだ瞳に思わず吸い込まれそうになる。
「あのね、お兄ちゃん。礼名はこうしてお兄ちゃんと一緒にいるとすっごく幸せなんだ。わたし、絶対離れないからねっ」
「うん、やっぱりアールグレイは爽やかでいいな」
「もう、お兄ちゃんのいじわるっ」
こうして。
僕と礼名は半ば強引に、ふたりだけの生活を突っ走り始めた。
お金もないし、これから待ち受ける世の荒波を乗り越えていけるか不安だらけ。
貧乏人をつけ狙う悪の魔の手や渦巻く陰謀、強大な敵が襲ってくるかも知れない。
でも、礼名と一緒なら。
明るく優しい礼名と一緒なら。
礼名と僕のふたりの物語は、まだ始まったばかりだ。
第一章 ふたりで生きていきます 完
第一章 あとがき
皆さん、はじめましてっ。神代礼名です。
貧乏でも熱く激しく燃え上がる、お兄ちゃんとわたしとの相思相愛物語をお読み戴き本当にありがとうございます。ふたりのダイヤモンドより固い絆、感じて戴けましたか?
この物語は、お兄ちゃんとわたしがヴァージンロードでみんなに祝福され口づけを交わすラストシーンまで、何の変化もドラマもなく一気に突き抜けていく全日本ブラコン妹協会の推薦図書となっています。ハラハラドキドキの兄妹の危機とか、心変わりの紆余屈曲とか、少しホロリのお涙頂戴とか、そんなギミックはこれっぽっちもありません。勿論、わたしの恋敵になるような、お兄ちゃんに近づく他の女の子も誰ひとり登場しません。
皆さんは安心してお兄ちゃんとわたしのいちゃいちゃぶりをお楽しみくださいね!
そうそう、これは作者さんに聞いた話ですけど、この物語のタイトルはアップ直前まで
『お兄ちゃん、貧乏だけど幸福すぎるよ、絶対離れないっ!』
になる予定だったそうです。それがどうして『守り抜く』なんて言葉が入ったのでしょう。そもそもわたしとお兄ちゃんの仲を脅かすものなど何ひとつないのに。
あっ、わたしの横で作者の日々一陽さんが何か叫んでます。
何ですって? 嘘八百並び立てて、勝手な事言うな、ですって?
勝手なことを言っているのは日々一陽さん、あなたの方です。
もしかして、この後わたしのライバル美少女をゾロゾロ登場させたりとか、その子とお兄ちゃんが急接近とか、ふたりの喫茶店にピンチが訪れるとか、そんな残忍で悲しすぎる展開を画策してませんよね! 言っておきますけど、わたしとお兄ちゃんはとっても幸せですけど、お金がなくて毎日結構苦労してるんですよっ。作者がふたりをもっと裕福な設定にしてさえいれば、わたしは毎日お兄ちゃんとラブラブするだけでよかったんです! え、それじゃあ面白くない、ですって? よくそんなことが言えますね。わたしの苦労知らないんですかっ! えっ? 次章のタイトルは、
『学校はわたしの敵だらけです(仮)』
になるですって? 本気でわたしを敵だらけにするつもりですか!
鬼です、悪魔です、酷いです、作者の横暴ですっ!
でもね、礼名は負けませんよ。どんなにセクシーな美女が来ても、どんな陰謀に巻き込まれても、お兄ちゃんとの幸せな生活は絶対誰にも渡しませんからね!
いいですか作者さん、礼名は世界最強の妹です! どんなことがあってもわたしは絶対負けませんよ。全て返り討ちにして見せますからっ!
では皆さん、次章
『お兄ちゃんとのハッピーウェディング』
でお会いしましょうねっ。
礼名でした!