第8章 第2話
屋上にレジャーマットを敷くと僕に座るよう勧める麻美華。
「久しぶりですね、ふたりでお昼をいただくのは。ねえ、お兄さまっ!」
素直な笑顔を僕に向ける。
その表情は瞳を輝かせ朝日さんの話に肯いていた彼女を思い起こさせた。
「なあ麻美華。昨日の事だけど、朝日さんの話に興味あったんじゃないのか?」
僕の言葉に彼女はあっさりと肯く。
「はい、ありました。それはもう大ありです。ありまくりです。でもわたしは名門倉成家の長女。アイドルになるなんて許されるはずがありません」
キッパリと言い放った彼女は自分のランチボックスを開く。
見たところ中身は普通のサンドイッチだ。ハムに玉子にツナだろうか。
「今日はメイドの瑞季に教えて貰って自分で作って来ました。お兄さまも食べますか?」
「じゃあ、ひとつだけ」
嬉しそうな彼女から玉子サンドを受け取る。そぼろ風にした玉子が挟まったそれは、少し甘みがある高級な食パンによく合う味付けだった。
「すごい美味しい! 前食べた骨ごとサンドとは大違いだ! 上達早いな!」
「教えて貰いながら作っただけ、ですけどね。でも、麻美華も頑張ってるから、今度厨房にも立たせてくださいねっ!」
未だ調理に関する仕事は頼んだことがないのを根に持ってるのかな? 喫茶店が忙しいとき、桜ノ宮さんには頼んだりしたからなあ。パンケーキ焼いたり、パフェ盛ったり。
でも、案外と麻美華も頑張り屋なんだ。僕は少し嬉しくなる。
「ああ、今度は頼むよ」
「はいっ!」
破顔する麻美華を見て、自分の弁当箱を開ける。
いつものように鶏と玉子と野菜の競演だった。鶏肉は唐揚げ。玉子はサラダと卵焼き。そして野菜はきんぴらゴボウと大根の葉っぱ炒め。安さ爆発の材料を見事なまでに美味しく変身させてくれる礼名には本当に感謝だ。いただきます。
「ところで、お兄さま。校長室への呼び出しって心当たりないんですか?」
「うん、全くないんだ。何だろうね」
僕は礼名の作った弁当を頬張る。やっぱ礼名の唐揚げ、んめえ!
「礼っちのお弁当はそんなに美味しいですか?」
「えっ?」
「ちゃんと顔に書いてあります。油性マジックででかでかと。確かに礼っちがいい子なのは認めますけど。でも、お兄さまはどうして貧乏生活を選んでるんですか?」
選んでいる、と言う言葉を使った麻美華。僕は思わず彼女の顔を見つめる。
切れ長で、いつもは涼しげなその瞳が少しだけ心配そうに僕を見上げていた。
「選んでいる訳じゃないよ。それしか選択肢がないんだ」
「そうなんですか?」
麻美華は不思議そうに小首を傾げる。
「礼っちの実家って桂小路家ですよね。凄い名門の資産家じゃないですか。複雑な事情のあるご家庭みたいですけど……」
「桂小路に引き取られることは、礼名が頑なに拒否しているんだ。僕もだけど」
「どうしてですか?」
この質問への本当の答えは、実は僕にもよくわからない。
「自由が奪われるから、かな」
「そうですか……」
僕の曖昧な答えを、しかし麻美華はあっさりと受け取った。
「ところでさ、倉成家の生活ってのはどうなんだ? 不満とかはないの?」
「結構気に入ってますよ。麻美華のお母様はとっても厳しいんですけど、パパは結構自由を認めてくれるし、いつも麻美華の味方だし。休みの日に早朝からお手伝いに行けるのもパパの後ろ盾があるからですよ」
サンドイッチを頬張りながら楽しそうに微笑む。
「だから、困ったことがあったら何でも麻美華に相談してね、お兄さま」
* * *
トントントン
「二年三組 神代悠也です。失礼します」
放課後、校長室へ入った僕は部屋を見て驚いた。
「礼名!」
「あっ、お兄ちゃん!」
校長室の真ん中、大きなテーブルに礼名が座っていた。
「神代くん、まあ、座りなさい」
執務机から立ち上がったのは宮川校長。中肉中背で髪の毛が少し寂しい、まじめそうな男の校長だ。噂では定年間近らしい。テーブルには礼名の他に僕の担任の小田先生と中年の女の先生。歴史の平尾先生だったっけ。習ったことがないので自信はない。
「今日ふたりに来てもらったのは、あまりいい話じゃないかも知れないが……」
そう前置きして校長先生は話を始めた。
「結論から言うと、君たちに児童養護施設を紹介したいんだ」
「えっ?」
「っ!!」
突然の一言に、一瞬息を飲んだ。
そして次の瞬間、礼名と声がシンクロした。
「「どうしてなんですかっ!」」
「まあ、話を聞きなさい……」
僕と礼名の顔を交互に見た宮川校長。その話は即ちこういうことだった。
僕たちふたりは平日朝から夕方まで授業を受けている。そして、週末には喫茶店経営という仕事をして生計を立てている。確かに週末の仕事について学校は特別に許可をした。それは僕らの事情を考慮しての事だった。しかし、僕らの仕事は『生きていくために絶対必要な唯一の収入源』だ。一日の休みもなく働き続ける過酷な生活環境を学校として黙って見過ごすわけにはいかなくなった、と言うことだ。
「ご両親と生活し、自分の小遣いのためにバイトするのとは訳が違う。神代くん兄妹の仕事は止めるわけにはいかない生きるための労働だ。そんな社会人のためには通信制とか別のカリキュラムを持つ学校があるわけだし」
「しかし、先生方は認めてくれたじゃないですかっ! わたしたち無理矢理働かされている訳じゃありませんっ! 自分の意志なんですっ!」
テーブルに手をつき、立ち上がらんばかりの勢いで礼名が声を張り上げる。
「しかしその結果、無理がたたって救急搬送されたのだろう?」
「うぐっ……」
「もはや危険を分かったまま放置するわけにはいかないんだよ、学校としても」
「校長先生、ひとつ教えてください……」
握りしめた右手がわなわなと震えていることに気がついた僕は、一度深呼吸をしてから努めて冷静に。
「このお話は校長先生が考えられた事なのですか? それともどこかから警告を受けたのですか?」
「う~ん……」
宮川校長は顎に手を当て考える素振りを見せて。
「そうだね、神代くんの言う通り忠告があったんだよ。聞いた話だけど君たちにはご親戚が引き受けるお話があったそうじゃないか。それもかなりのお金持ちとか。どうしてそうしなかったんだね?」
やっぱり。
思わず僕は隣の礼名に目をやる。礼名も同じ事を考えていたのだろう、バッチリ目が合った。
「で、その忠告というのはうちの親戚からですか?」
「いいや、それは違う。教育委員会だ」
「教育委員会?」
しかし、宮川校長は僕たちの「新たな敵」について、知っているのか知らないのか、それ以上のことは教えてくれなかった。
「ともかく選択肢はみっつ。その親戚のお世話になるか、私が紹介する養護施設のお世話になるか、それとも学校をやめるか、だ。難しい選択だと思うけど、来週にはどうしたいのか、報告を待っているよ」




