第6章 第6話
僕は病院の一室で項垂れている。
僕が悪い。全部僕のせいだ。
礼名は目の前の白いベッドに横たわり、その細い腕には点滴の針が突き刺さっている。
分かっていた。礼名が無理をしていることは分かっていた。それなのに僕は……
「過労やストレス、睡眠不足による貧血のようですね。命に別状はありませんよ、若いですから数日安静にすればよくなります。でも、こんなに無理をしてはいけませんね。お兄さんですか? 気をつけてあげなさいよ」
お医者さんは、落ち着いたら家に戻っていいと言ったけど。
「お兄ちゃん、ごめんなさい……」
「いいから。礼名はゆっくり寝てるんだ」
僕は自分が情けなかった。
だけど、どうして彼女はこんなに頑張るのだろう。
考えたくないことだけど、僕にはひとつの恐ろしい推理があった。
それは、彼女は全てを知ってるんじゃないか、あの時、親類の誰かから僕の出生について聞いてしまったんじゃないか、と言うこと。そして、いずれ桂小路からも誰からも見捨てられる運命の兄を助けようとしているんじゃないか……
勿論、確証もないし、確かめる事も出来ない。確かめると言うことは、ふたりが実の兄妹ではないことを互いに確認すると言うことだ。そしてそれは、ふたりの生活の終焉を意味するだろう。
長い長い後悔の時間。
色んな考えが渦巻くけど、何の結論も出てこない。
僕に出来ることは立派な兄になること。きっとそれだけだ。
その日の午後。
礼名を連れてタクシーで帰ると彼女の部屋に入る。
「さあ、横になって」
「ごめんなさい、お兄ちゃん。でも、もう大丈夫だよ」
「ダメだ。お医者さんは数日は絶対安静って言っただろ。今日は寝てること!」
そう言いながら、ふと彼女の枕元にある目覚まし時計を見る。
三時!
「礼名、何だこの目覚ましの設定、三時って」
「あ、えへへっ、朝からデジカメでお客さんの復習を、ちょっとだけ……」
「ばかっ!」
一瞬大きな声を上げてしまった。
昨晩僕は寝る前に外に出て、礼名の部屋の灯りが消えているのを確かめた。
だけど、彼女の方が一枚上手だったわけだ
「そんなの、今日帰ってからすればよかったんじゃないか!」
「だって、今日はお兄ちゃんと一緒にレストラン行く約束だったでしょ!」
「礼名……」
胸が熱くなるのを感じる。
「ごめん…… なあ礼名、何か食べたいものはあるか?」
「う~んと…… 贅沢言っていいかな?」
「当たり前だろ! 遠慮はなしだよ」
「じゃあ、プリン!」
「分かった。目が覚めたら、雑炊とプリンを用意しておくから、礼名はおとなしく寝てるように」
「うん。ありがと、お兄ちゃん」
しかし、それから二時間後。
彼女の目が覚めたとき、ベッドの横に並んでいたのは雑炊とプリンだけでは済まなかった。
* * *
ぶどうにイチゴに大玉のマスクメロン、それに最高級のケーキがズラリと並ぶ。
「桜ノ宮先輩に麻美華先輩、それに岩本さんまで! ご心配かけて、ごめんなさいっ」
「いいから礼名ちゃんは寝てなさい」
「そうよ礼っち、暫くは死んだように眠るがいいわ」
「倉成さん、縁起でもない言い方しないでよ」
「ふっ、演技でやってるのに縁起でもないとは。悠くんは演技をやめて欲しいのかしら」
「ごめん、いつもの倉成さんでお願い」
礼名が倒れたと知った彼女達がお見舞いに押しかけてきていた。
「岩本もホント、ありがとな」
「ああ、俺は荷物持ちだから…… まあ、思ったより元気そうで安心したよ」
岩本は一昨日の様子をみんなに話したらしい。忙しそうにしていたこと、特に礼名はやつれたように見えたこと、とか。
「そしたらさ、倉成さんに吊し上げられてさ。即刻有罪判決だよ。今度からお前のことは何でもすぐに報告しろって言われたけど……」
そこまで喋った岩本は、僕の耳元に顔を近づけ声を潜めた。
「神代と倉成さんって、そんな仲なのか?」
僕は岩本を手招きして部屋の外に出る。
「勘違いするなよ。彼女とは単に席が隣ってだけだ」
「それ、倉成さんと同じ言い訳だな。お前、最近彼女と何だかいい感じだよな」
「そんなんじゃないって!」
「いいっていいって。別に言いふらしたりしないしさ。じゃあ、俺は先に帰るわ。邪魔者のようだしね」
絶対勘違いしているだろ、岩本。
僕はそんな彼を玄関まで見送ると、また礼名の部屋に戻る。しかし……
「大丈夫ですっ。明日には元気になりますから!」
「何言ってるの、絶対安静なんでしょ。この連休は寝てなさいな。ちゃんとあたしが神代くんのお手伝いをするから」
「何を言っているのかしら。真っ先に召還されるのはこの私よ。悠くんと誓い合ったんだから」
明日からの三連休についての話らしい。
しかし、礼名は絶対安静。そうなると、僕の選択肢はひとつだ。
「あのさ、明日からの三連休は臨時休業にするよ」
「「「何言ってるんですかっ!」」」
三人から同時に怒られた。
「いいですか、お兄ちゃん。この三連休は大切な三日間なんですよっ! ムーンバックスとの決着が付く三日間なんですっ!」
「そうよ。今こそ契約を完遂する時よ。悠くんと麻美華でお笑い漫画喫茶を始めるのよ! おまけコーナーもあるわ」
「何その、お笑い漫画喫茶って!」
「ねえ、お店がピンチの時は真っ先にあたしがお手伝いするって約束したわよね。約束破ったら神代くんがあたしの赤ちゃん産むのよねっ!」
「だから、産めないって! 保健体育の教科書をしっかり読もうよ」
「大丈夫です。明日になったら礼名が大復活リニューアルオープンするんですから!」
「「「寝てなさいっ!」」」
そこは三人の意見が一致する。
不服そうに頬を膨らます礼名を尻目に、今度は桜ノ宮さんと麻美華の言い争いが勃発する。
「私は悠くんと席が隣同士だから、悠くんのお店を手伝う義務があるのよ。ええ、それは運命であり宿命であり大本命なのよ」
「悪いけど麻美華は料理も給仕も献金集めも出来ないでしょう! 足手まといになるだけだわ。屋敷の中にある礼拝堂で神代くんとあたしの幸せを祈っていればいいのよ」
屋敷の中にあるんだ、礼拝堂。
「何を言っているの! 私が一声かければ全国五十万人の倉成グループ社員がこの店に行列を作るのよ」
やめて! 商店街を壊さないで!
「あたしだって一声掛ければポチが駆け寄ってくるんだから!」
桜ノ宮さん、犬、飼ってたっけ?
と。
「わたし、大丈夫ですから……」
少し青い顔をした礼名の声。
その瞬間、ふたりは何かを悟ったらしく、申し合わせたかのように廊下に出た。
そしてたったの一分後。
部屋に入ってきた二人は礼名に向かって小さな声で。
「じゃあ、礼っち、お大事にね。ちゃんとゆっくり寝てるのよ」
「そうよ、無理しちゃダメよ、礼名ちゃん」
そう言うと、ふたりで僕の腕を引っ張り部屋を出る。
「悠くん、明日はふたりで手伝いに来るわ」
「礼名ちゃんは絶対休ませるのよ」
「えっ、そんなの悪いよ……」
「悠くん!」
「神代くん!」
ふたりに凄まれた。
「開店時間には来るからねっ」
「分かったかしら?」
僕の反論は一切許されなかった。
「「じゃあ、明日は三人一緒に頑張ろうねっ!」」
そう一方的に言い残し、彼女達は夕暮れの商店街に姿を消した。
「はうっ……」
参ったな。
あのふたりと、ちゃんとやっていけるかな……
夕暮れの空を少し見上げる。
「でも、やるしかないか!」
独りごちて家に戻ろうとすると、目の前に小柄な女の子が立っていた。
「あのう…… 神代さんのお宅って……」
「うちだけど、あなたは?」
「はい、すみれ、田代すみれです。礼名さんのクラスメイトです」




