第6章 第5話
「お兄ちゃん、ふたりの朝だよっ!」
連休三日目。
目を覚ますと礼名が僕を見下ろして笑っていた。
壁の時計を見る。目覚ましを無意識の内に止めてしまったのかな。
「昨日は遅かったしねっ」
「ふああ……」
あくびをしながら背伸びをすると、布団から這いずりだして身支度を調える。
そして一階に下りると食卓にはもう朝食が並んでいた。
「さあどうぞっ! 今朝は礼名の二階建てフレンチトーストだよっ!」
ぎくっ!
「大盛りで兄妹の愛情を確かめ合おうよ!」
ぎくぎくっ!
昨日、大盛りフレンチトーストで岩本の口を封じたの、バレてる?
「お兄ちゃん、学校でやましいことしてないよねっ!」
ぎくぎくぎくっ!
「あ、当たり前だろ、やましい事なんて何ひとつ……」
麻美華にせがまれ週に一回、放課後の公園で待ち合わせすることになったなんて、言えるはずもない。
「よかった。礼名、心配だったんだよ。じゃあ、いただきますっ」
ほっ。よかった。信じてくれた。
「…… あれっ?」
安心したのも束の間、礼名がフレンチトーストに箸を突き刺し固まっていた。やがて間違いに気が付いたのか慌てたように席を立つ。フォークとナイフを取りにいったのだろう。
「さあ、お兄ちゃん、今日も元気に頑張ろうっ!」
しかし、礼名の両手にはどちらもナイフが握りしめられていた。
そんな二刀流、聞いたことないよ……
* * *
その日も青空に恵まれて喫茶店は大盛況、お陰で僕らは大忙し。
テイクアウトだけじゃなく、店内も満席の状態が続いた。こりゃホントにバイト採用が必要になるかも。
「お兄ちゃん、二番さん、モーニングふたつですっ」
「モーニングはどっちだ? サンドイッチ? フレンチトースト?」
「あっ、えっと、ごめんなさい!」
パタパタパタパタ……
慌てて注文の再確認に行く礼名。
しっかり者の礼名にしては珍しい失態だ。まあ、忙しすぎるからなあ……
からんからんからん
「いらっしゃいませ~ あっ、三矢さんっ」
肉屋の三矢さんはのっしのっしと歩いてくると、ゆっくりカウンターに腰を下ろした。
「はい、どうぞっ」
礼名はメニューを差し出……
「礼名、何してるんだ!」
「何してるってメニューを……」
「よく見てみろよ!」
礼名の手には雑誌『女性ヘブン』が握られて。
「あっ、ごめんなさい。えっと女性ヘブンじゃなくって週刊文潮でしたっけ?」
「メニューだよ、メニュー! すいません三矢さん、はい、こちら」
「はははっ、今日の礼名ちゃんは面白いね」
真っ赤な顔をして去っていく礼名を笑って見送る三矢さん。
「ところで悠也くん、このところムーンバックスの宣伝攻勢は凄いよね」
「ああ、そうですね」
「あれってカフェ・オーキッドを意識してるよね」
「そうですかね? ムーンバックスにとってはうちみたいな弱小喫茶店なんか、きっと眼中にないですよ」
「それがね……」
三矢さんの話では、昨夜ムーンバックスが閉店したあと、建物から怒鳴り声が聞こえたらしい。目の前のちっぽけな喫茶店の客も奪えないのか! 店長は何してるんだ! って。それは凄い剣幕だったそうだ。奈月店長も大変だな。
「まあ、僕たちは悠也くんを応援してるけどさ」
うわあっ!
と。
テイクアウトカウンターから礼名の叫び声。
何事かと駆け寄ると、お客さんの足元にコーヒーカップを落としたようだ。
「大丈夫ですか!」
僕は店を飛び出してお客さんの元に駆け寄る。
「大丈夫ですよ。ほら」
「礼名、おしぼり!」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
幸い、靴が濡れた程度だったし、優しいお客さんだったからよかったけど。
礼名、どうしちゃったんだろう。やっぱり寝不足なのかな。
僕もちょっと寝不足だし。明日は四日ぶりの学校だ、今夜は早く寝るように言わなきゃ。
* * *
その日、店を閉めるとカレーを食べる。今朝、礼名に出前を取ろうと提案したんだけど、その時には既にカレーを仕込んでいた。高田さんからじゃがいもと人参を安く仕入れたらしい。そう言えば昨日はクリームシチューだったっけ。
「三連休は疲れただろう、今日は早く寝ような」
「そうだね、お兄ちゃん」
礼名はデジカメで録画したお客さんの映像を再生しながらカレーを食べている。
「なあ礼名、明日は学校から帰って商店街の洋食屋さんで晩ご飯を食べよう」
「えっ、もしかして『洋食屋ドンファン』で?」
「ああ、家族でよく食べに行ったよな。礼名あそこのハンバーグが好きだろう」
「うん、そうしよう。たまにはいいよね。わあ~いっ!」
嬉しそうに僕を見上げる礼名。
「そうだ、明日はお気に入りの青いワンピを着ていこう!」
「いや、普段着でいいから」
「お兄ちゃんから愛の告白とか、あるかもだしっ!」
「ない!」
「お兄ちゃんからの求婚とか、あるかもだしっ!」
「レベル上げんな!」
「楽しみにしてるからねっ!」
「ともかく、今日は早く寝るんだよ。わかったね」
「はあ~い!」
その夜、僕らはいつもより早く自室へ入った。
* * *
お兄ちゃん、おはよ。お兄ちゃん、おはよ。お兄ちゃん、おはよ。お兄ちゃん、おはよ。お兄ちゃん、おはよ。お兄ちゃん、おはよ……
朝、よく喋る目覚まし時計を止めると窓の外を見る。
どんよりと今にも崩れそうな天気。
今日は四日ぶりの登校日だ、僕は一階に降りる。
カチャカチャ……
礼名は朝食を用意していた。
「おはよう、礼名」
「あっ、おはよう……」
テーブルにはサンドイッチが載った皿。そしてティーポットから紅茶を注ぐ礼名の姿。
「お兄ちゃんごめんなさい、今日はお弁当もサンドイッチなんだ」
「礼名の作ったものは何でも美味しいから全然OKだよ」
「ありがとう、お兄ちゃん……」
ふたり食卓についてサンドイッチを頬張る。
けど、何だろう、いつもの味じゃない……
「あれっ、何かな。今日のは美味しくないよね。あれっ」
理由はすぐに分かった。下地のマーガリンが塗られていないからだ。礼名もすぐに気が付いたようで。
「あっ、お兄ちゃんごめんなさい。美味しくないよね。今、作り直すね!」
「大丈夫だよ、十分美味しいって」
「ごめんなさ……」
それでも立ち上がる礼名が、ゆっくりと傾いて…… えっ?
ドサッ!
「礼名どうした、しっかりしろ! れいな! れいなあ~~っ!」




