第6章 第4話
連休二日目の朝。
窓の外を覗くとムーンバックス店員が路上で試飲カップを配っている。
「敵が気合い入れてきたみたいだね。だけどわたしも負けないよっ!」
胸のリボンを整えて礼名がテイクアウトのカウンターに立つ。
「また来て戴いたんですねっ! 今日イベントホールは鉄道イベントですよね。警備のバイトも大変ですね!」
嬉しそうにお客さんの相手をする。
「働いている礼名ちゃんは輝いているよね~! でも、相手をして貰えないおじさんは寂しいよ。なあ悠也くん、礼名ちゃんのお客さんが途切れたらウェイティング一番目よろしく!」
『YES★礼名ちゃん』と描かれたTシャツを着た八百屋の高田さんが礼名の予約を入れる。こんなTシャツ着てて、奥さんに殺られないか心配だ。
しかし、高田さんの期待虚しく、礼名は朝からフル回転だ。
「いらっしゃいませっ! 先日の限定品買えましたか? わあっ! よかったですねっ! 実はわたしのお兄ちゃんも美少女フィギュアが大好きなんですよっ!」
僕の黒歴史は忘れてくれ。
ま、金さえあればもう一度買い集めるけどね。
「昨日のライブはどうでした? そうですよねっ、やっぱり生の臨場感はいいですよねっ。今日もホットで宜しいですかっ?」
ホントに一度来てくれたお客さんのこと、何から何まで覚えてるんだ。凄いを通り越して驚異だよ。やっぱ天才だな、礼名って。
からんからんからん
「よっ!」
鷹揚に手を上げて入ってきたのはクラスメイトの岩本だ。
彼は店内をぐるりと見回すとカウンターに歩いてくる。
「いい店じゃないか。こぢんまりとしてるけどアットホームな感じで。しかし、忙しそうだな、あっ、俺には気を遣わなくていいからな」
岩本はカウンターの端にあったメニューを自分で取る。今日は鉄道ヲタの旧友と鉄道イベントに行くらしい。俺は鉄ヲタじゃないけどな、って何度も言い訳していたが、否定すればするほど怪しい。今日はその待ち合わせまでの時間潰しに来たという。モーニングセットを注文した彼は僕が忙しいのを見て取ったのか、茶色のバックから一冊の文庫本を取り出し、読み始めた。
「ごめんな、せっかく来てくれたのにバタバタしていて」
「いいって。その代わり俺のご飯大盛りで頼む!」
「お前、フレンチトーストだっただろ!」
「じゃあ、そいつ大盛りで」
「そんなサービスねえよ」
「じゃあ特盛りで」
「いらっしゃいませ、岩本さんっ!」
そこへ、テイクアウトが一段落した礼名の嬉しそうな声。
「それ、何読んでるんですか?」
「小説だよ。ケ・ミゼラブル」
「ケ・ミゼラブル?」
「そうだよ、日本語訳は、ああ無毛」
「面白そうですねっ!」
礼名が目を輝かせる。本、好きだもんな。今は新刊買えないから学校の図書室一辺倒だけど、流行作は置いてないし、少し可哀想。
「ところで、岩本さんにお聞きしたいことがあるんですけど!」
「何でもどうぞ」
「最近のお兄ちゃんって変わったところありません? クラスでイチャイチャしたりとかデレデレしたりとか~ パフパフしたりとか~」
パフパフって何だよ、パフパフって!
「そうだなあ…… 別にないけど」
「誰か女の人と親密にしてるとか~?」
何を言い出すんだ礼名。僕の学校での行動を探ろうってのか? 僕は岩本のフレンチトーストを焼きながら聞き耳を立てる。
「う~ん、倉成さんとは仲よさそうだけど、そう言えば最近あまり会話してるの見ないな」
「えっ、そうなんですかっ! やっと仲違いしたとか?」
チラリ僕に目をやる礼名。
「う~ん、そんな感じはないな。何て言うのかな。逆にさ、言葉なんか交わさなくても目と目で……」
「礼名! そうだ、忘れてた! 高田さんがお待ちかねだぞ!」
危険な予感がした。僕は話を遮る。
「えっ! あ、分かりました。じゃあ続きはあとでねっ、岩本さん!」
未練がましく岩本を見ながら礼名は高田さんの席へ向かう。
「おい、岩本、ヘンなこと言うなよ。特別にフレンチトースト二枚盛りにしたからさ」
「どうして? 別にいいんじゃないの、悪い話じゃないんだし」
腑に落ちない、と言う顔をしながらも、特製大盛りフレンチトーストをテーブルに置くと、男の友情が成立する。
「分かったよ。黙っておいてやるよ」
「感謝するよ、岩本」
「しかしさあ、お前の妹さん、相変わらず凄い可愛いけど…… ちょっと、やつれてないか?」
「えっ、そうかな。全然分からないけど。毎日見てるからかな……」
高田さんの席に礼名の姿を探す。しかしそこには突然姿を現して怒り狂う高田さんの奥さんと、子犬のように震え上がる高田さんの姿。そして奥さんの必殺技炸裂を必死で阻止する礼名の姿があった。
「今の礼名はすっげー元気そうだけどな」
「ああ、確かにそうだな。ってか、何だ、あのバイオレンスな状況は?」
岩本はその様子を見ながら目をパチクリさせていた。
* * *
「「ありがとうございました~!」」
礼名と並んで最後のお客さんを見送る。
今日の売り上げは昨日を超えた。新記録達成だ。イベントホールの鉄道イベントで人が増えたからだけど、その分僕らは超多忙を極めた。
「疲れたな礼名、ピザとか取ろうか!」
「大丈夫だよ、ちゃんとクリームシチュー仕込んどいたし」
いつものように台所に立つ礼名。岩本の言葉も気になったし、少しは礼名の負担を減らしてあげたいけど、彼女は今日も倹約に勤しむ。
そして。
「おやすみなさい。礼名はお兄ちゃんの告白をキリンさんみたいに待っているよ」
そう言い残し、デジカメを片手に自分の部屋へ戻っていった。僕は居間でパソコンを立ち上げるとコン研の宿題の続きを始める。
カタカタカタカタ……
カタカタカタカタ……
昨日は結構捗ったから、今日で開発は完了しそうだ。
「はあ~っ!」
終わった。
やり遂げた充実感に僕は大きく息を吐く。時計を見ると深夜一時はとっくに回っていた。早く寝なければ…… と、その前に。
静かに家の外に出ると、二階を見上げる。
そこには煌々と光が漏れる礼名の部屋の窓が見えた。
「やっぱり!」
僕は戸締まりを済ませて二階に上がると、礼名の部屋のドアに聞き耳を立てた。
「……髪の毛が少し可哀想な黒縁眼鏡のお客さんがシロップふたつで、お子さんが五歳っと…… と言うことはまだ三十代かな。髪の毛に騙されないように注意、っと!」
何かぶつぶつと声がする。学校の宿題とは思えない。
僕はゆっくりとドアノブを回す。悪いとは思っても礼名のため……
見ると礼名は机に座って一生懸命にノートを取っている。彼女の耳にはイヤホンがかかり、そのコードは机の上のデジカメに繋がっていた。デジカメの画面にはテイクアウトのお客さんの様子が。
「あっ! お兄ちゃん!」
気配に気が付いた礼名が驚いて声を上げる。
「お兄ちゃん、勝手に覗いちゃダメだよっ! ここは乙女の部屋だよ、ひどいよっ!」
「ごめん。だけど、こんな夜中まで何してるんだ! もしかして礼名」
「そうだよ! 礼名は頭が悪いから、復習しなくちゃ覚えきれないんだよ。今日のお客さんのことを、もう一度見て覚えてるんだよっ」
「部屋に入るよ」
僕はゆっくりと歩いて行く。彼女はもう何も隠そうとはしなかった。
びっちりと書き込みがされたノート。最上段には『お客さまカルテ』の文字。そしてその下にはお客さまの特徴や好みの味などが克明に書き込まれていた。
「礼名、もしかして毎日こうやって覚えてたのか……」
「そうだよ、このデジカメには本当に助けて貰ったよ。麻美華先輩に感謝だね」
そうだった。礼名は驚くほどの頑張り屋だったんだ。それを天才だな、とか軽く考えてしまって……
「ごめん礼名、礼名にこんなに頑張らせて。でもさ、今日はもう寝ようよ」
「あと少しだけ、あと少しで終わるから」
「じゃあ、僕も一緒にやるよ」
「お兄ちゃんっ!」
その日、僕が布団に入ったのは深夜三時を回っていた。




