第6章 第2話
春の日差し溢れる連休初日。
カフェ・オーキッドは大盛況だ。
ぱたぱたぱたぱた……
テイクアウトのお客さんが途切れると、急いで台所からバスケットを持って来た礼名。
「お兄ちゃんサンドイッチだよ、合間に抓んでねっ!」
今日も忙しくなると見越した礼名が、朝から作ってくれた僕たちの昼飯だ。
でも、時計を見ると、もうお昼時はかなりすぎていた。
僕は玉子サンドをひとつ口に放り込む。ふんわりとして少し甘い卵焼きに元気が湧いてくる。
「あっ、いらっしゃいませっ!」
礼名はまた嬉しそうにテイクアウトカウンターに駆けていく。
「また来て戴いたんですねっ。先日のアイスコーヒーは甘すぎませんでしたか?」
一度来たお客さんの味の好みは全て覚えてると豪語した礼名、それは本当だった。正直驚きだ。大容量ハードディスクか、こいつ。
「礼名もサンドイッチ食べろよ」
お客さんが途切れると、食事を取るように勧めるけれど。
「その前にお冷や、っと」
時間があれば店内のお客さんへのサービスに精を出す礼名。よくそこまで頑張れるなと不思議にもなるほど本人は嬉しそうに働いている。華奢な彼女のどこにそんなエネルギーがあるのかな。
からんからんからん
「いらっしゃいませっ って、桜ノ宮先輩っ!」
「あっ、礼名ちゃん!」
ちょっとシックな白いシャツにチェックのスカート。
長身に赤毛のツインテールがよく似合う桜ノ宮さんは、いつもより大人びて見えた。
「繁盛してるじゃない、大丈夫? 神代くん」
彼女は笑顔でカウンターに腰を下ろす。
ぱたぱたぱた
慌ててカウンターに戻ってきた礼名は彼女のためにグラスを取り出すが、その瞬間テイクアウト窓口から若い男性客が顔を覗かせる。
「あっ、はいっ!」
ぺこり桜ノ宮さんに頭を下げて、そっちへ駆けていく。
「大忙しじゃない。どうして遠慮なんかするのよ!」
僕は沸騰したポットを少し覚ましてドリップを始める。
「大丈夫だよ、ちゃんと回ってるから。えっとメニューは…… ちょっと待ってね」
カウンターの隅にメニューがあるけどコーヒーの抽出を止めるわけにもいかない。
と。
「大丈夫よっ」
席を立つと礼名が置いた空のグラスにお冷やを注ぎ、ついでにメニューも手に取って自分の席に戻る桜ノ宮さん。
「ああっ、ごめん」
「何言ってるのよ、これくらいで」
そう言って彼女はメニューを開く。
「ねえ、神代くんのお勧めは?」
「お勧め、ねえ……」
そう言えば麻美華が来たときも『マスターのお任せ』って勝手なことを言って僕に任せてきた。彼女にプリンパフェを出したけど……
僕はちらりと桜ノ宮さんを見る。
長身で、出るところは凄く出て、締まるところは完璧に締まってる抜群のスタイル。そして、見る人を包み込むような優しい笑顔。礼名と麻美華が妹ならば、彼女は『お姉さん』を連想させた。
「じゃあ、ケーキセットはどうかな? 今日は苺のタルトがあるんだ。仕入れてるケーキ屋さんの一押し商品なんだよ」
「じゃあ、それ戴くわ」
「飲み物はコーヒーじゃなくって紅茶にしよう! アッサムにミルクがいいよね、きっとタルトに合うと思う」
「ありがとう。じゃあ、お願い」
僕はお湯を沸かして準備を始めた。
うちは紅茶をポットごとお出しする。
先ずポットを暖め茶葉を入れる。茶葉はミルクティーに合うようにアッサムのB・O・P(ブロークンオレンジペコ)を用意した。お湯は沸騰直後にポットに入れて帽子を被せたままお出しする。
「あと二分くらい蒸らしてどうぞ。ケーキもすぐ用意するね」
「お~い、悠也くん、ちょっといいかな!」
手を上げて高田さんが呼んでいた。追加オーダーかな。
「ちょっと待っててね」
桜ノ宮さんにそう言って僕はカウンターから飛び出した。追加のオーダーはハムサンドがふたつ。少しだけ世間話をしてカウンターに戻ると、礼名が先に戻っていた。
「えっと、三番テーブルにハムサンドふたつなんだけど……」
「ええっ! ハムはあと一人前しかなかったよ。三矢さんのお店に買いに行かなきゃ」
「……あっ、ホントだ。じゃあちょっと行ってくるから、その間頼むよ」
「すみませ~ん!」
しかし、テイクアウトコーナーに学生らしいグループが待っていた。
「はい、今すぐっ!」
慌てて駆けていく礼名を見ると、桜ノ宮さんがジト目で睨んだ。
「ねえ神代くん、人手全く足りてないじゃない! わたし、その三矢さんのお店にハムを買いに行くわ。商店街の肉屋さんの事よね」
「お客さんにそんなこと頼めないよ。それに紅茶が冷めちゃうよ」
「大丈夫よ、ハムはロースハムでいいのよね」
そう言うが早いか、彼女は席を立っていた。ツインテールを振り乱し、僕が呼び止めるのも聞かずに店を飛び出す桜ノ宮さん。
「悪いことしちゃったな」
独りごち、僕はハムサンドの準備を始める。桜ノ宮さんはものの三分も経たないうちに戻ってきた。
「はあはあ…… お使い綾音ちゃんが戻ってきたわよ! はい、これ」
いつも仕入れているロースハムを僕の前に置くと、彼女は自分のティーカップにミルクを注ぐ。
「あっ、紅茶入れ直すから、ちょっと待ってよ」
「大丈夫よ、わたし濃いめが大好きだから」
「でもさ、渋みも出てるし、少し冷めてるし」
「そんなの全然気にしないわ」
お出しして五分以上は放置された紅茶を注いだ彼女は、僕に笑顔を向ける。
「苺タルト、まだかな?」
「あっ、用意してたのに忘れてた。はい」
「うわあっ、美味しそうっ」
彼女の家で食べたクッキーはミルクティーによく合うと思った。だからミルクティーとそれに合うタルトを勧めてみた。多分、彼女の舌は肥えているはずだ。高級店のケーキをいつも食べてそうだし。でも、この苺タルトもなかなかのもの。きっと満足してくれるはず……
タルトを上手に割って、口に運んだ彼女は顔をほころばす。
「ん、美味しいわっ。これでセット六百円は良心価格ね!」
「そうでしょ、わたしもこのタルト、大好きなんですよっ」
カウンターに戻ってきた礼名が嬉しそうに相槌を打つ。
桜ノ宮さんは、ぺろり苺タルトを平らげて。
「だけどね礼名ちゃん、あなたのお兄さんってばウソつきなのよ。礼名ちゃんがこんなに忙しいのに、お店の手は十分間に合ってるって言うのよ!」
「あっ、それは、今たまたま忙しく……」
「神代くん、お肉屋さんが言ってたわ、神代兄妹は働き過ぎだって。あたしがお使いにきたって言うと、そんなに忙しいのかって心配してたわよ」
「あははは……」
「どうして遠慮なんかするのよ、お手伝いさせてよ!」
礼名はちらりと僕を見る。
困ったな、と言う表情だ。
しかし、ここはお断りの一手だ。麻美華との約束もあるし。
「ほらっ、今、違法就労とかブラックとか厳しいだろ。だけどうちはちゃんとバイト代払えるほど安定してないしさ」
「あたしを誰だと思ってるの? 何かあったら全部もみ消すわよ!」
「は、ははは……」
「お~い、悠也く~ん!」
僕はお客さんに呼ばれてカウンターを外した。パソコン無線接続サービスのお手伝いをして戻ってみると、桜ノ宮さんが不満げな表情で待っていた。
「あなたたち兄妹は本当に強情よね、過労で倒れたって知らないわよ!」
「たははは……」
礼名も頭に手をやり苦笑していた。
「お兄ちゃん、これ桜ノ宮先輩の携帯番号とメルアドだよ。困ったときは真っ先に先輩にお願いするって約束しちゃった!」
「ええっ!」
「わかった? 神代くん。遠慮なく連絡するのよ。絶対よ。約束破ったら、あたしの赤ちゃん産んで貰うからねっ!」
「はいっ?」
「あたしの赤ちゃん産んで貰うからねっ!」
「いや、聞こえてるけど理解出来ないよ」
「桜ノ宮先輩、ちょっと待ってください! そんな約束はしてません! 確かにお兄ちゃんは赤ちゃんを産めますけど、お兄ちゃんは礼名の赤ちゃんを産むんですよっ!」
産めるのか? 産めるのか、僕!
「約束を破ったらの話よ。ね、礼名ちゃん。何かあったらすぐに連絡してよね」
彼女は礼名に微笑むと、濃すぎるはずのミルクティーに口を付けた。




