第6章 第1話
第六章 ふたりのお店は絶対負けません(そのよん)
いよいよゴールデンウィーク、一年でも最大のかき入れ時だ。
「じゃあな神代、連休中の宿題、忘れるなよ!」
「人工知能の女性力をグッとアップさせるんですね、任せてください」
梅原先輩に手を上げるとコン研の部室を後にした。
明日からは三連休。そして一日登校すると、また三連休だ。
「神代くんっ!」
赤毛のツインテールを振り乱し、駆けてきたのは桜ノ宮さん。
「ねえ本当に大丈夫? 遠慮しなくてもいいのよ」
「大丈夫だよ、今度の人工知能には男の娘モードも標準装備してるから!」
「神代くんってやっぱりその手の願望があるんじゃ…… って、そっちの話じゃなくって……」
彼女は心配そうにその優しげな瞳で僕を見つめる。
「ああ、喫茶店の事かな。ありがとう、でも心配いらないよ」
僕は日曜日のことをコン研のみんなに話した。カフェ・オーキッドが突然大繁盛して忙しくなったこと、そしてその理由はネット等で誰かが宣伝してくれたからだと言うことを。みんなはその場でネットをチェックしまくった。僕の知らない間に『美味しい★カフェオーキッド☆可愛い』と言うスレッドまで立っていた。他にも色んな掲示板に書き込みがあったが、どれも僕らに好意的な感想ばかりだった。
「明日空いてるし、お手伝いしましょうか? こう見えてもあたし、接客とか接待とか買収工作とか伝票操作とか得意なんだよ」
政治家の娘として大変危険な言葉を口走りながらも、しきりに彼女は僕たち兄妹を心配してくれる。そう、僕だけでなく礼名もだ。
「礼名ちゃんって頑張り屋さんだから、逆にすっごく心配なのよ」
「でも大丈夫さ。ホントに小さい店だから」
不満げな桜ノ宮さんに軽く手を上げて僕は靴箱に向かった。彼女が言う通りネコ耳も着けたい、じゃなかった、猫の手も借りたい状態なのは確かだ。でも明日からも日曜並みに忙しいとは限らないし、忙しくても何とかなると思う。それに手伝いを頼むのは礼名が納得しないに違いない。彼女自身、自分の友達にも頼むことは絶対しないと断言している。
「お仕事頼むときは、バイト代ちゃんと払わなきゃだしね」
礼名の言葉だけど、その通りだと思う。
商売である以上、お客さんとのトラブルとかイヤなこともあるわけで。
そんなこと、タダで友達に頼めない。
「悠くんっ!」
校門を出たところで、また呼び止められた。
「倉成さん!」
振り向いた僕に長い金髪を揺らしながら駆け寄ってくる彼女。
「ちょっと歩きましょうよ」
いつもの上から目線でそう言うと、彼女は僕に並んで歩き出した。
「うん」
僕と彼女は大通りを曲がって人気が少ない道を選ぶ。夕方の住宅街。彼女は周りを見回すと、人目がないのを確認したのか、僕を見上げて言葉を紡ぐ。
「この先の公園に行きましょうよ、お兄さま」
口元を緩めて、切れ長の碧い瞳が少し甘えたように僕を見つめてくる。
どきんっ!
まるで別人だった。
女王様然とした、凛としたオーラを放つ今までの彼女とは到底思えない。
元々整った美貌の持ち主ではあるが、今の彼女は柔和でとても愛らしかった。
「倉成さん、もしかして、校門で待っていてくれたの?」
「ねえ、誰もいないんだから名前で呼んでよ。腹違いとは言え、麻美華はお兄さまの妹なんですよっ」
「急にそんなことを言われても……」
「お兄さまは嬉しくないの? 麻美華は嬉しかったわ。パパのしたことはママにも弟たちにも絶対内緒の話だし、複雑な気持ちもいっぱいあるけど、悠くんがお兄さまって言う事は本当に嬉しかったの。でもやっぱり、悠くんには迷惑なの?」
「そんなことないよ」
何故だろう。
彼を、倉成壮一郎を父だと思う気持ちは少しも湧いてこない。
だけど、彼女が妹だと知ってから、大切にしなきゃって思う僕がいた。嬉しいって思う僕がいた。ワクワクする僕がいた。
「じゃあ、名前で呼んでよ」
「分かったよ…… 麻美華さん」
「どうして『さん』付けなのよ。礼っちのことは呼び捨てにしているくせに。麻美華は本当の妹なんですよっ!」
拗ねたように僕に噛みつく彼女の顔には、凛と気高い、いつものオーラは微塵も感じられない。
「じゃあ、麻美、ちゃん?」
「疑問形で呼ばないでください! けど、まずはそれでいいです。麻美ちゃん、か。えへへっ」
破顔して嬉しそうに笑う彼女。こんな笑顔初めて見た。
「そんな笑い方もするんだ。うん、いつもよりそっちの方がずっといいよ」
「嬉しいです、お兄さまっ!」
突然、僕の腕を掴んで肩を寄せてきた倉成さん。
「あの、聞いて貰えますか?」
僕が前を見たまま「うん」と肯くと、彼女は語り始めた。
「わたしの母は名家の出身で立ち居振る舞いも言葉使いも完璧で、それを麻美華にも求めたの。わたし、とても厳しく育てられたわ。麻美華には弟がふたりいるんだけど、弟たちには甘いのよね。だけど娘のわたしにはとても厳しかった。わたし、両親のことを母の前では「お父様、お母様」って呼んでるのよ、笑っちゃうでしょ」
誰もいない小さな公園に辿り着いたふたりは、木陰の古びたベンチに腰を下ろす。
彼女は大きくひとつ深呼吸をして。
「だからね、麻美華は名門倉成家の娘として、いつも堂々と振る舞っているつもりなの。きっと傍から見たら滑稽よね。偉そうだとか、高ビーだとか、上から目線女だとか陰口叩かれているのも知ってるわ。でもねっ!」
彼女はベンチから立ち上がるとくるりと身を翻す。そして沈みゆく夕日を見上げ晴れ晴れとした笑顔を浮かべる。
「きっと今のわたしが本当のわたし。どうしてかしら、お兄さまの前では気分が軽くなるわ。ああ、とっても気持ちがいいっ!」
「麻美華……」
「あはっ、呼び捨てで呼んだ! 麻美華のこと、呼び捨てで呼んでくれたっ!」
自然と声が出た。彼女は僕を、きっと僕を信頼してくれている。そう感じたから。
「麻美華と仲良くしてくださいね、お兄さまっ!」
「うん、勿論」
「そうそう、生徒会で聞いたんだけど」
彼女はベンチの横にあった鉄棒に飛び乗って。
「お兄さまのお店、大変なことになってるんでしょ。麻美華、お手伝いに行くわよ。勿論バイト代なんていらないから。ねえ、いいわよね」
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ迷ったけど。
でも、答えは決まっている。
「その心配はいらないよ。大丈夫だから」
「どうして? 麻美華は妹なのよっ、お兄さまを心配するの当たり前じゃない!」
「だけど、僕は礼名の兄でもあるんだ」
それが今日の本題だったのだろう。彼女には何度も何度も食い下がられたけど、こればかりは僕も首を縦には振れない。僕と麻美華が兄妹であることは、彼女の父以外には誰にも知られてはいけないことだ。店を手伝って貰う理由を説明できない。
「ごめん麻美華。でも分かってくれるよね……」
「分かりません! それなら麻美華をお兄さまの恋人にしてください! うそでもいいです! それなら礼っちも諦めてくれるはずですっ!」
「無茶言うなよ」
「無茶じゃありませんっ!」
「無茶だって」
「妥協して、婚約者でもいいですからっ!」
「ハードル上がってるし!」
結局。
僕は首を縦には振らなかったけど、もし人手が足りなくなったら、真っ先に麻美華に頼むと指切りさせられた。
約束を破ったらカフェ・オーキッドは倉成グループに併合される、らしかった。




