第5章 第4話
「ひどい……」
月守さんが去っても礼名は立ち尽くしていた。
僕も、掛ける言葉が見つからない。
暫く時間が凍り付く。
と。
「何、辛気くさい顔してるのよ。お客さまが逃げちゃうわよ!」
「ひやあゃっ!」
その声にビクンと仰け反る礼名。
テイクアウトカウンターの外から、長い金髪の美少女が礼名を上から目線で見下ろしていた。
「麻美華先輩!」
「遊びに来てあげたわよ、さあ、お客さまのご来店よ!」
礼名に少し微笑んで、彼女は堂々として入り口へ向かう。
からんからんからんからんからんからんからんからんからんからんからんからんからんからんからんからんからんからんからんからんからんからんからんからんからんからんからんからんからん……
「何度も開けたり閉めたりしないでよ!」
「あら悠くん。これ、いい音がするわね、面白いわ」
カツカツカツ……
ドアで遊ぶのをやめた倉成さんは真っ直ぐ僕の方へ歩み寄る。
慌ててメニューを持って駆け寄る礼名。
「いらっしゃいませっ! お好きなお席へどうぞ!」
「じゃあ、悠くんのとなり」
「はあっ?」
「聞こえないのかしら? 悠くんのとなりの席がいいわ」
「いや、聞こえてますけど、お兄ちゃんはお仕事中ですっ」
「だったら早く席に着いてよ」
「お兄ちゃんに席なんてありません!」
「じゃあ、悠くんの前」
「こちらに広々としたテーブル席もございますよ!」
「悠くんの目の前」
「あちら窓際の席は通りに面して、いい眺めですよ!」
「悠くんの一番近く!」
そう言うと彼女はカウンターに腰を下ろす。
赤いカーディガンにギンガムチェックのスカート、意外にも庶民的な服装でまとめた彼女だけど。煌めく長い金髪に類い稀なその美貌から放たれる圧倒的なお嬢さまオーラに店のお客さんが皆振り返る。
「先日買ったしばむらの服、凄くお似合いですね」
礼名は少し引きつった笑顔でメニューを差し出す。
「モーニングはサンドイッチとフレンチトーストからお選び戴けますよ」
「じゃあ、このロマンスティーセットをちょうだい」
「「えっ!」」
礼名と声が重なった。
先日、倉成さんのお父さんも注文しかけた『ロマンスティーセット』。
カップル向けに開発した当店で一番値段が高いその商品は三種類のケーキにお好きなパフェとお好きなパンケーキを全て二人分、飲み物は当店のメニュー全てが飲み放題、ラストオーダーまで三時間と言う、ハッキリ言ってノリと冗談だけで作った商品。未だに一度も売れたことがないのが何よりの自慢なのだ。
この商品の一体何が倉成親子を惹きつけるのだろう?
「あの、こちらの商品はお二人様向けの商品でして……」
「いいじゃなの。私と悠くんで戴くわ」
「ちょっ、ちょっと、麻美華先輩! 何度も言いますが、お兄ちゃんはお仕事中です!」
「じゃあ今から休憩時間よ」
「勝手に決めないで下さい!」
「礼っちは融通が利かない子ね」
「ええ、わたしの石頭はダイアモンドの十倍ですからねっ」
「チッ!」
諦めたのか、倉成さんはもう一度メニューを見る。
「じゃあこの、マスターのお任せ、で」
「そっ、そんなメニューありません!」
「お任せしたわよ、悠くん」
その碧い切れ長の瞳が上から目線で僕に命令する。
「ちょっとちょっと麻美華先輩、うちは寿司屋じゃないんですからお任せなんてないんですっ!」
しかし倉成さんは礼名を無視して涼しい顔をしている。
「お任せね!」
仕方がない、ここはノリだけで乗り切ろう。
「じゃあ、プリンパフェをお作りしますね」
「ふっ。さすが悠くん。この私が食べたいものを一発でズバリ当てたわね。拍手よ、礼っち」
当たったのか?
単に今食べたいメニューを言ってみただけなんだけどな。
「今日はわざわざ来てくれてありがとう。これからどこかにお出かけなの?」
「いいえ、他に用事がある訳じゃないわ。目的地はここよ。バスに揺られてひとりで来てあげたのよ」
恩着せがましく曰う倉成さんにジト目でお冷やを出す礼名。
「しかし、お客さん少ないわね。すぐそこのムーンバックスは満員御礼だったわよ」
「そうだね、残念ながらその通りなんだ……」
プリンパフェを作りながらチラ見した彼女はやはり上から目線で。
「なんなら、この私がお手伝いしてあげましょうか」
「えっ?」
「聞こえなかったかしら。この私が毎週ここで無償奉仕してあげてもいい、って言っているのよ」
僕と礼名は思わず顔を見合わせる。
「いや、そういう訳にはいかないよ。僕たちのお店はお客さんからお代を戴いてちゃんとした商売をしているんだ。働いて貰うんならちキチンとバント代は払う。でも今はそんな状況じゃないんだよ」
「ふっ。そう言うと思ったわ」
「あのさ倉成さん、ひとつ聞いてもいいかな?」
「当然よ、私と悠くんの仲だもの」
「倉成さんはどうしていつも僕に、そんなに気を使ってくれるの?」
「それは、席がとなりだからよ」
「ごまかさないでよ。席は岩本と無理矢理席替わっただけじゃないか!」
「ふっ、甘いものが食べたいわね……」
黙って僕が作っているプリンパフェに目をやる倉成さん。
カタッ
「お待たせしました、プリンパフェです」
僕は出来上がったパフェを彼女の前に置く。
彼女はすぐにスプーンを持つとクリームに絡めてプリンをすくう。そしてその小さな口に頬張ると、上品に口元を手で隠す。
「美味しいわ。バニラがとってもいい香り」
「うん、喜ぶかなと思って特別にバニラを掛けてみたんだ」
「私のためのオリジナルなのね、百点満点よ」
「ちょっとちょっとお兄ちゃん、何をいい雰囲気になってるんですか! まるで恋人同士のようなイチャラブした会話は慎んで下さいっ!」
「だって私と悠くんは席が隣同士なのだし」
「ねえ麻美華先輩、さっきのお兄ちゃんの質問に答えて戴けませんか? どうしてそんなにお兄ちゃんに絡んでくるんですか?」
「それは…… ねえ悠くん」
「……」
「今度ふたりだけでお話がしたいのだけど」
「ちょっとちょっと麻美華先輩! またこのわたしを除け者にしようとしていますね。そうはいきませんよっ。わたしも絶対一緒ですからねっ!」
「ダメよ。私は悠くんとふたりだけでお話がしたいのよ」
「ちょっとそんなの礼名が絶対……」
「あの、ごめんなさい……」
と、その時。
テイクアウトカウンターに中年主婦風のお客さんが顔を覗かせる。礼名は未練がましくも慌ててそちらに向かう。
「そういう訳で、今度私に付き合って頂戴ね」
「どうしてなのさ、何の話なの」
「鈍感な男ね、だから悠くんはいつまで経ってもチェリーボーイなのよ」
「……」
「聞こえなかったかしら? だから悠くんはチェリー……」
「あ、あああ、分かった、分かったから、その先は言わないで!」
「約束よ、悠くん」
ゆっくりプリンパフェに舌鼓を打った倉成さんは、お土産にとアイスコーヒーをテイクアウトして帰って行った。




