第1章 第2話
その夜。
「今日は礼名特製『肉じゃが風のじゃがいも煮込み』だよ」
ごはんを装いながら、にっこり礼名が僕を見る。
「要は、肉のない肉じゃがだな」
「そう言うと身も蓋もないよ。『礼名風肉じゃが??』 って名前にしようよ」
「なんだその最後の疑問符は。しかもふたつも」
以前は時々にしか台所に立たなかった礼名だけど、この三ヶ月で料理の腕を劇的に上げた。それに彼女は『残り物の魔術師』。少ない予算で見事にやりくりしてくれる。
「大根の葉っぱ炒めも美味しいよ。栄養抜群だし」
礼名がいつも八百屋の高田さんから破格値で仕入れる大根の葉っぱ。気が付くと我が家の味と化していた。
「うん、礼名の料理は凄く美味いよ。礼名の未来の旦那さんは世界一の幸せ者だ」
「それ、お兄ちゃんだからね」
「ないない。僕たちは実の兄妹だから」
葉っぱ炒めをご飯に載せて頬張りながら。
「ところでさ」
「ああ、この封筒ね」
僕と礼名はテーブルの上にある青い封筒に目を落とした。
* * *
その日、店が終わる時間に例の男性客はやってきた。
礼名は閉店した店内に彼を迎える。
「わたしはこのお仕事で生計を立ててるんです。平日は学校がありますし、折角ですけど無理です」
僕はカウンターの中でその会話に聞き耳を立てた。
有名芸能事務所『モーニングサン』社長の朝日さん。あの後ネットとかで調べたが、どうやら本物らしかった。
そうと知っても勧誘を断る礼名、しかし朝日さんも食い下がる。
「礼名さんは絶対に人気が出ますよ、私が保証します」
「えっ、どうしてわたしの名前をご存じなんですか?」
「実はこのお店に可愛い子が働いているって信頼できる筋からの情報があって。申し訳ないけどちゃんと調べてあるんです」
「えっ? その信頼できる筋って?」
「それは企業秘密でして、ここでは言えません。しかし驚きましたよ。ルックスは勿論、表情豊かでお喋りも上手で、それにとっても芯が強そうだ。アイドルとして言う事なしです」
「でも、わたしには、明日の夢より今日のご飯、なんです」
「うちに来て貰えればデビュー前でもお給料を出しますよ。何なら、そちらのお兄さんのお仕事も考えましょうか?」
「ええっ! 兄のことまで調べてあるんですか?」
「当然です。信頼できる情報筋の情報ですから」
朝日さんは僕を見て会釈する。
しかし。
「ごめんなさい。わたし、アイドルなんて出来ません。指揮者がいないと歌えません!」
「もしかして、コーラス部ですか? 何ならセンターに指揮棒を振らせてもいいですよ」
「それじゃ、ほとんど学芸会です」
はははっ、と軽く笑いながら。
しかし朝日さんも諦めない。
「でも、女の子なら一度は華やかなステージに憧れませんでしたか? なあに、返事は今すぐでなくてもいいですよ。これ見ておいてください。絶対いい話だと分かって貰えると思いますから。じゃあ、また来ますね」
A4版の青い封筒を礼名に手渡すと、彼は席を立った。
「何度来られても一緒です。学芸会に興味はありません!」
「失礼ですね、芸能界ですよ。まあ、ゆっくり考えてください。あ、これはふたり分のコーヒー代」
「注文も戴いてないのに。お代は受け取れません!」
「はははっ。しっかりしたお嬢さんだ。ますます気に入りました」
そう言い残すと、朝日さんは結構爽やかに店を出ていった。
* * *
「学芸会なんて興味ないけどねっ」
世の芸能界の皆様方を全力で敵に回しながら礼名は青い封筒から書類を取り出す。
がさがさがさ……
きちんとクリアフォルダに挟まれた書類はモーニングサンオフィスのパンフレットと礼名に対するオファーの文書だった。それらをテーブルに広げる礼名。
「お兄ちゃんも見ていいよ」
僕らは銘々それらの書類に目を通す。
「ふうん、お給料ってこんな感じなんだ」
じゃがいもを口に頬張りながら書類に視線を落とす礼名。
普通に考えたら頭を下げてでもお願いしたい好条件が並んでいた。
「東京新宿にセキュリティ万全のマンション寮完備、すぐ入居可能……って」
デビューの確約とか、新しいユニットのセンターオファーだとか、そんな華々しい文字が踊る文書には目もくれず、礼名は手に持ったその書類を破り捨てる。
「木っ端みじんこっ!」
びりびりびりびり……
「ああっ! いいのか、破っちゃって!」
「興味ないし、わたしがここを離れるなんてあり得ないもん。それより、誰が密告したのかが気になるよね」
書類をゴミ箱に放り込むと礼名はまたじゃがいもを口に運ぶ。
「ところで、どう、『礼名風肉じゃが???』は。意外と美味しいでしょ?」
何となく疑問符の数がみっつに増えている気がするけど。
「うん美味しい。不思議と肉の味がするし」
『礼名風肉じゃが???』は確かに肉の味がした。中身はじゃがいも、人参、こんにゃくに玉葱、それからゴボウとネギも入っている。しかし肉の姿は欠片も見えない。
「タネ明かしをするとね、三矢さんに余ったラードを格安で分けて貰ったんだ」
三矢さんは商店街の肉屋さん。勿論うちの常連さん。
なるほど、これってラード味なのか。どおりで肉の風味がするわけだ。
「これで暫く、肉はなくても肉風味が楽しめるよ、豚汁風の味噌汁とかねっ」
「凄いな礼名。日々貧乏に磨きが掛かってるな」
「でしょでしょっ。えへへっ」
とっても嬉しそうな礼名から、僕にも笑顔が伝わってきた。