第4章 第7話
金曜日の放課後、ダッシュで家に帰る。
僕らは明日からテイクアウトの販売を始めることにしていた
ムーンバックスに対抗するためには一刻も早く知名度を上げたい。
「さあ、最後の仕上げだ!」
この一週間は学校から帰ると、自分たちの手で店の改装を行った。
通りに面した窓に作った新設のテイクアウトカウンター。
その横にリサイクルショップで仕入れたコーヒーの保温機を設置する。
「お兄ちゃん帰り早いね。わたしも手伝うよ」
家に帰るやすぐさまジャージ姿に着替る礼名。
「じゃあ、この看板を描いてくれるかな」
「了解だよ、お兄ちゃん! 『カフェオーキッド・テイクアウトコーナー』って書いて、あと、わたしの好きな絵を描いていいよね」
「もちろん!」
「ちなみに、英国英語だと『テイクアウト』じゃなくって『テイクアウェイ』なんだけどねっ」
そう言うと彼女はペンキに筆を突っ込んで楽しそうにお絵かきを始める。
今週は桜ノ宮さんの家に行ったり、倉成さんとしばむらに行ったりして、月曜、火曜と帰宅が遅くなったけど、礼名も僕も頑張った。時計の針は連日十二時を回ったけど、あとは看板と商品のセッティングだけだ。素人の突貫工事だけど改装は完了目前だ。
「礼名、疲れてないか? 毎日夜は遅かったし朝は早いし」
「大丈夫だよ。早くテイクアウト始めて、ムーンバックス開店に備えなきゃ。わたし達のお店が一定の評判を得るには絶対時間が必要だもんね。一週でも早くスタートしないと!」
僕たちはムーンバックスのオープンまで、もう一ヶ月もないのではと予想している。その一ヶ月間にカフェ・オーキッドの評判を定着させないといけない。足元を固めておかないといけない。でないと、敵は世界のメジャーブランドだ。僕らの店なんかあっと言う間に吹き飛ばされてしまう。
「桂小路のおじいさんをギャフンと言わせてやろうよ! どんな卑怯な手段も正々堂々跳ね返してやろうよ!」
「礼名はホントに頑張り屋だな」
「だってお兄ちゃんが一緒だもん。お兄ちゃん大好きっ!」
「こらっ、礼名、ペンキがこぼれるぞっ!」
しかし礼名は僕の目をじっと見つめる。
「ねえお兄ちゃん覚えてる? 小さいとき、礼名をいじめっ子から助けてくれたの」
「あ、公園でのことかな」
「うん。わたしが悪ガキに無理矢理引っ張られて土管に押し込まれそうになったとき、お兄ちゃん五人も相手に殴り合いの喧嘩をしてくれたよね」
「ああ、酷い目に遭って負けちゃったけどね」
「負けてないよ! お兄ちゃん、最後は相手に噛みついて泣かしてたじゃない! それに、わたしは助かったんだよ。ありがとう、お兄ちゃん」
「そんな昔のこと、何を今更な話だろ」
だけど礼名は首を横に振る。
「ううん。それだけじゃないよ。いつもわたしが困っていたら助けてくれたのはお兄ちゃんだよ。そしてこれからもずっと、だよ」
「それは礼名の未来の王子様の役目だよ」
「それがお兄ちゃんなんだってば!」
上目遣いにその大きな瞳で僕をドキリとさせる礼名。
「さ、出来たよ看板。これでどうかな?」
木目を生かした看板には、オーキッドの花の下でコーヒーカップに口を付ける愛らしいペンギンの絵が。結構画才もあるんだな。
「カフェ・オーキッドのコンセプトは『南国の南極』、英語で言うとホットアンドクールだよ。ぴったりでしょ!」
即興で作ったコンセプトを披露する礼名に僕も笑顔で首肯した。
「さあ、明日からテイクアウトコーナーのスタートだ!」
* * *
そして土曜日の朝が来た。
いよいよムーンバックス迎撃作戦の開始た。
「あっ、お兄ちゃん、おはよ! 起きるの早いね」
「うん、今日からテイクアウト販売開始じゃないか。早く目が覚めちゃって……」
僕はテイクアウト専用のカウンターに歩み寄る。
ふたり掛けのテーブルを撤去し、そこにあった窓を利用した簡単な窓口。
店の外に掲げた看板も礼名の手描きだ。
今日のテイクアウトメニューは『爽やかキリマンジャロブレンド』ホット、アイスの一種類のみ。ただしホイップクリームやシナモンのトッピングは無料だ。
「いい雰囲気出してるよねっ。さあ、朝ご飯食べよっ」
礼名が後ろから声を掛けてくれる。
「ありがとう礼名」
僕は食卓に戻りながら、今週の出来事を思い返す。
桜ノ宮さんの家に行ったり、倉成さんとしばむらに行ったり。
テイクアウトコーナーを作るため連日遅くまで日曜大工に精を出したり。
でも、この一週間はとっても充実していたし楽しかった。
何より嬉しかったのは……
「お兄ちゃん、何ニヤついてるの?」
「いや、礼名が桜ノ宮さんや倉成さんとあんなに仲良くなるなんて、思いもしなかったからさ」
「桜ノ宮先輩にはすっごくお世話になったよね。麻美華先輩にはすっごくお世話したけど。でもふたりとも危険人物には変わりがないよ」
そう言いながらも礼名は笑っている。
「今日は朝ワッフルだよっ」
「美味しそうだね。いただきます」
そしてもうひとつ嬉しかったのは、礼名への嫌がらせがなくなったことだ。
礼名の制服が体に合って、いじめの口実がなくなったお陰だ。しかし、本当の理由は他にあった。それは礼名が桜ノ宮さん、倉成さんと仲良しと言うことが知れ渡ったからだ。有名な代議士のお嬢さまや、巨大財閥のお嬢さまは敵に回したくない、と言うことらしい。
「さあ、いよいよだね。早くお店の名前を売って、ムーンバックス開店に備えなきゃだね」
「ああ、向こうが開店する前にお客さんをバッチリ掴んでおこう!」
きっとうまくいくに違いない。そんな気がする。
礼名の朝ワッフルで英気を養うと、僕は仕込みに入る。
白いワンピに赤リボン。礼名はいつもの衣裳に袖を通す。
「ムーンバックスには絶対出来ないサービスをするよ!」
そんなことを言っていた礼名。
僕はてっきり過激なコスプレに走るのかと思っていたが、どうやら違うようだ。
その礼名はネットで熱心に調べ物を始める。
「よしっ!」
やがてひとり肯くと、僕の横に来てサンドイッチの支度を始めた。
「今日はいいお天気だよ。それとイベントホールで同人誌の即売会をやるらしいよっ」
「へえ~、面白そうだな」
「そうだね。わたしは出店してみたい方、かな?」
もうすぐ七時、営業開始だ。
確かに朝からいい天気。お店も忙しくなりそうだ。
礼名は真新しい『テイクアウトカウンター』に立つと、頭上に取り付けたデジカメの電源を入れる。それは倉成さんに借りた広角ワイドなデジカメだ。動画を撮り続けるつもりらしいが、防犯カメラの代わりなのかな?
やがていつものように常連さんがやってくる。
「あっ、高田さん、いらっしゃいませ~っ!」
「よっ、礼名ちゃん。今朝もすこぶる別嬪さんだね! 今日からテイクアウトもやるんだって?」
「はい、もうすぐ出来るムーンバックスには負けられませんからねっ!」
「礼名ちゃんは頑張るねえ。でも、おじさんは礼名ちゃんをテイクアウトしたいな。代わりにうちのかあちゃんを置いとくからさ」
「ははは……」
「ま、邪魔だったら燃えないゴミの日にでも出して貰えばいいしさ。間違っても『燃えるゴミ』、じゃないからね、もう萌えないし」
「あ、あの……」
「そうそう、燃えないけど危険物だから、火気は厳禁だよ」
「どこの誰が萌えない爆発ゴミ、なのかしら」
「げっ、お前いつの間に! だ、だじげで~っ、げぼぶほっ」
●★△?♂はぎっ★◎♀ぼかっ
奥さんのフライングニードロップからの危険物ゴミ固めを必死で止める礼名。
「はあはあはあ…… お、奥様もいらっしゃいませっ」
「はあはあはあ…… いつも悪いわね、礼名ちゃん。今朝もモーニング宜しくね」
いつもの光景、いつものスタート。
さあ今日も頑張ろう。
朝から店内はいつもの賑わいだ。
しかし。
「テイクアウトのお客さん、全然来ないね」
開店一時間も経つのに、礼名が待つテイクアウトカウンターには、まだ誰も来てくれない。礼名はしきりにカウンターを気にしながら店内の仕事をしている。
「礼名ちゃん、今日もパチンコ必勝祈願特製モーニングふたつ、宜しくねっ」
「あっ、太田さん、細谷さん。はい合点承知しましたっ! おにいちゃん、プリンとアイス付きの特製モーニングふたつっ」
「はいよ、了解っ!」
と、その時。
「あの~」
テイクアウトコーナーから声がした。
「いらっしゃいませっ!」
オリンピック短距離スタート並みの素早い反応を見せる礼名。
テイクアウトコーナー初めてのお客さんは二十代くらいの若い女性ふたり組だった。
「こちらメニューですっ!」
礼名はふたりの注文にテキパキと対応する。
「今日はイベントホールで同人誌即売会があるんですよね」
「はい、実はわたし達、今からそこに行くところなんですよ」
「うわっ~、楽しそうですねっ。何かお目当てとか?」
「ええっと『赤子のバスケ』の二次創作ものとか、好きな作家さんがいたりとか」
「いいお買い物が出来たらいいですねっ!」
礼名がやたらと嬉しそう。
「行ってらっしゃいませ~!」
パチパチパチパチ……
お客さんが去ると、僕は小さく拍手をした。
「お兄ちゃん、売れたよ! 初めてのお客さんだよっ!」
「よかったな。この調子で頑張ろう」
「うんっ!」
しかし。
その後もテイクアウトのお客さんは、忘れた頃にぽつり、ぽつりと来る程度。
「やっぱり宣伝が足りないのかな?」
「大きな看板がある訳じゃないしね」
残念だけど、僕たちの淡い期待は完全に外れた。
からんからんからん
「いらっしゃいませ~っ」
「よっ、礼名ちゃん」
お肉屋さんの三矢さんだ。
恰幅がいいその大きな体をのっしのっし揺らしてカウンター席へ腰を下ろす。
「いらっしゃいませ、三矢さん」
「あ、ブレンドでね。それより悠也くん、見たかい?」
「見たって、何を、ですか?」
「ムーンバックスの開店日だよ」
「えっ、開店日が出てるんですか?」
「そうだよ、来週の金曜日だって」
「えっ! そんなに早くっ!」
僕は思わず大声を上げてしまった。
ガシャン! パリンッ!
運んでいたグラスを床に落とす礼名。
「あっ、ごめんなさい……」
割れたグラスを片付けようとする礼名の手が震えている。
「いいよ、片付けは僕がするから、礼名は先に三矢さんにお冷やを」
「あ、はい。ごめんなさい、お兄ちゃん」
そんなに早く開店するのか、ムーンバックス。
あまりに急だ。
それじゃ、うちの、カフェ・オーキッドのテイクアウトを軌道に乗せる時間がないじゃないか。
カタッ
「いつも色々教えて戴いて、ありがとうございます」
三矢さんの前にお冷やを置くと、ペコリと頭を下げて礼名はテイクアウトカウンターに立った。
「こんにちは…… いらっしゃいませ……」
そして道行く人に愛想を振りまく。
しかし、そう簡単にお客が増えるはずもない。
「強引な客引きは長い目で見て逆効果だしねっ」
そんなことを言っていた礼名が、必死に窓から笑顔を振りまいている。
「あっ、いらっしゃいませっ! 今日はいい天気ですねっ」
やがて、来店したのはサラリーマン風の中年男性。
「今日もお仕事ですか? お疲れさまですっ。クリームはホイップにも出来ますけど…… あっ、ブラックですね。かしこまりましたっ」
アイスコーヒーを手に持つと、男は軽く手を上げ去っていく。
そしてまた誰も来ない時間。
「なかなか、うまくいかないね……」
「そうだね……」
結局。
その日、テイクアウトのお客さんは目標の三割にも満たなかった。




