終章 前編
終章
六月後半。
活況が続く中吉商店街は今年も七夕セールの準備に余念がない。
「礼名ちゃん、今年もよろしく頼むよ!」
朝の通学路、三矢さんに声を掛けられる。
「はい、精一杯頑張ります!」
去年限定だったはずの中吉らららフレンズのステージも企画されている。
相変わらず商店街には景気がいい話が多い。
この先にある雑居ビル二階の空き店舗にはイタリアンレストランが出来るらしい。
ウィッグの嫌がらせとしか思えない営業方針もめっきりなりを潜めた。月守さんの最近の口癖は「俺はついてねえ」だ。会う度にそう言うと溜息を漏らす。
「お兄ちゃん、あのさ! 礼名、お兄ちゃんに謝らないといけないことがあるんだ」
前を向いて歩きながら礼名が神妙な声を出す。
「謝らないといけないこと?」
「うん。お兄ちゃん、ずっと苦しんできたでしょ? 悲しい思いを続けてきたでしょ? 礼名知ってたのに、ずっと前から気が付いていたのに、それなのにお兄ちゃんを苦しめてきた。だから今晩、償いをしたいの!」
何の話だ?
礼名が僕を苦しめた? そんなこと何ひとつないと思うけど。
彼女はまだ僕が知らない秘密を抱えているのだろうか?
それとも、礼名への衝動を必死に我慢していることがばれているのか?
僕らはまだ口吻さえ交わしていない。
「ともかく今晩のお楽しみねっ! 今日は先に帰るからねっ!」
急に笑顔を向けた礼名にその話題は打ち切られた。
もうすぐ学校に着く。
梅雨の最中だけど、昨日今日とは晴れ模様。
ちょっと蒸し暑いけど雨が降るよりは気持ちがいい。
「おはよう悠也さん!」
「ああ、おはよう綾音ちゃん」
長い赤毛のツインテールを揺らし、優しげに僕を見つめながら駆けてきた彼女。
「今日の放課後、コン研に来るわよね?」
「えっと、今日は……」
「ええっ、昨日もお願いしたじゃない! 絶対来てよね!」
ちらり礼名を見ると「仕方がないな」と言った表情を浮かべ。
「じゃあ六時半までには絶対帰ってきてね!」
僕は礼名に小さく肯くと綾音ちゃんに答える。
「わかった。あんまり遅くまでは居れないけど」
「じゃあ放課後ねっ!」
校舎に入り、ふたりと別れて自分の教室へ入る。
「よう神代! 例のOVA持って来たぞ!」
「ありがと岩本、楽しみにしてたんだ!」
今年も岩本とは同じクラス。3年連続の腐れ縁。
そして。
「あら悠くん、そのブルーレイは何なのかしら? 検閲してあげるわ」
僕の席の隣は相も変わらずこの人だ。
「どうして倉成さんに検閲されなきゃいけないんだ? 普通のラブコメだよ!」
「ふっ、仕方がないわね。じゃあ今日の放課後は生徒会室へいらっしゃい。それで許してあげるわ」
「放課後は先約があるんだけど……」
「ダメよ! これは命令よ!」
当然のように上から目線で好き勝手なことを言ってくる僕のもうひとりの妹。
こりゃ今日の放課後は嵐の予感だ。
かくして。
放課後になって。
麻美華の一方的な約束は無視してコン研のドアを開ける。
「誕生日おめでとう~っ!」
「おいおい鈴木! やめろよ田中! 山田も吉田も菊池も放せって! どうしたんだよ! こんなでっかいバースディケーキどうしたんだよ!」
「決まってるだろ、桜ノ宮さんだよ! 彼女の手作りだよ!」
「待ってたわよっ!」
背後からの声に振り返る。
そこには紙皿を手に持った綾音ちゃんの笑顔が。
「二年前、陰気で分裂寸前だったコン研がこんなに楽しくなったのは悠也さんのお陰だもんね。さあ、みんなで食べてねっ!」
バースディーケーキと言うよりもウェディングケーキに近い巨大サイズのケーキをみんなで頬張る。勿論僕もガッツリ食べる。彼女のケーキは素晴らしく美味しくて、食べ物が美味しいと会話も弾んで時間も進む。
「ありがとう悠也さん。お陰であたし毎日が本当に楽しいわ。これで悠也さんがあたしだけを見てくれたら言うことはないんだけど、ね」
僕の横で微笑みながら前を向く彼女は僕らの秘密を全部知っている。
「あたしね、高校出たらパリへ留学しようと思うんだ。デザインの名門校に一石さんが推薦してくれるって」
「えっ?」
「あっ、その前に試験もあって、合格しなくちゃだけどね」
そうなんだ。
みんなちゃんと将来のこと、自分のこと、考えてるんだ。
と。
会話を遮るようにスピーカーが喋り出す。
ピンポンパンポ~ン
下校の時間になりました。
よい子の皆さんは速やかに下校しましょう。
「あれっ? まだ五時前なのに早いな」
「ホントね。放送間違ってないかしら?」
ピンポンパンポ~ン
今日はいつもより早いですが、下校の時間です。
本当です。ウソじゃありませんよ。
分かったらよい子の皆さんはとっとと帰りやがれ。
「今日は何かあるのかしら?」
「じゃあ、みんなで片づけて帰ろうか」
予定より早いけど仕方なくコン研の部室を後にする。
すると。
廊下の向こうから僕を手招きする長い金髪の少女。
「どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたも決まってるでしょ! さあ生徒会室へ行くわよ!」
有無を言わさず手を引かれ生徒会室へと連れ込まれた。
ガチャリ!
何故か鍵を掛けられる。
生徒会室には僕と麻美華、そしてもうひとつ。
さっき見た巨大ケーキに負けず劣らずでっかいケーキが鎮座していた。
「お兄さま、お誕生日おめでとうございます!」
手の平を返したように妹モードになる麻美華。
「あ、ありがとう。だけど、さっき下校のアナウンスが流れてただろ! 早く帰らないと……」
「ああ、あれは私が流したんですよ。コン研のある四階だけに」
「ちょっ、それって!」
「だって、ああでもしないとお兄さま来てくれないじゃないですか! さあ、ふたりきりのパーティーを始めましょう!」
麻美華は嬉しそうにケーキナイフを手に持つ。
まあ、仕方がないかな。
僕のためにしてくれたんだ、怒るのはやめよう。
「ところで、お兄さまは聞きましたか? クーデターの話」
「クーデター?」
ケーキを切り分けながら麻美華が語り出す。
「ええ、桂物産のクーデター。桂小路会長が代表権のない相談役に退いて、会長は空席。イエスマンの社長も退いて、桂小路何とかって言う専務が社長に昇格したって話」
「桂小路信司、か?」
「ああ、そんな名前だったかしら。パパの話では同じ桂小路姓だけど遠い親戚の入り婿で経営方針は全然違うんだって。事実上のクーデターらしいわよ」
だからか!
月守さんが『ついてねえ』と溜息を繰り返すのは。
いつか、八つ墓村支店へ冷やかしに行ってやろう。
「それからね。昨日お母さまがお兄さまのことを聞いてきたんです。どんな人かって。勿論激しく誉めておきましたよ。きっとお父さまがお兄さまを迎える準備をしてるんだわ」
「えっ?」
そう言えば前にも認知とか、似たようなことを言われた気がするけど。
「いや、いいよ。今のままで」
「どうして! どうしてそう意地ばかり張るの! 大学は遠いわよ! お金もいるのよ! あのお店だけではやっていけないかもよ!」
「分かってる。でも大丈夫だから。お父さんにも伝えておいてよ、気持ちは凄く嬉しいです、ありがとう、って」
「お兄さま……」




