第32章 第6話
仰々しいリムジンが大通りに止まる。
降りてきたのは桂小路と、そして……
「いらっしゃいませ~っ!」
元気な声で出迎える礼名と対照的にカウンターにいた麻美華と綾音ちゃんは棒立ちだ。
「パパ!」
「お父さま!」
グレーの背広にひょろりと細い桂小路に続いて入ってきたのは倉成壮一郎と桜ノ宮一馬、最後に南峰高の宮川校長だった。
自分の父親の突然の登場に麻美華も綾音ちゃんも固まったままだ。
「お待ちしておりました、こちらへどうぞ!」
四人を予約席に案内した礼名はカウンターに戻ると小さな声で。
「汚い手を使おうって訳だね、桂小路!」
「どう言うことだ?」
「多分、だけど……」
「メニューとお冷やはまだかのう!」
「はいっ、今すぐっ!」
慌ててグラスを運んでいく礼名。
僕は頭をフル回転させる。
目的は僕と礼名を引き裂くこと、それしかない。
「なあ倉成さん、学校にバイトの届けは出してるか?」
「出してるわけないでしょ! これは無料奉仕なのよ!」
「あたしも……」
横で青い顔をしているふたり。しかし、狙いはそこじゃないはずだ。
多分桂小路は僕と礼名に血の繋がりがないことを暴露するのだろう。
校長にそれを暴露して今のこの生活を終焉させる。
そして僕らから最大の支援者である倉成家と桜ノ宮家を引き離す。そうなると僕らは他の親類に泣きつくことも出来なくなる。なぜなら、両親が死んだとき、桂小路以外の親戚はふたり揃って受け入れることが出来なかったのだから。
もし桂小路がそれを狙っているのだとしたら……
礼名は戻ってくるとオーダーを伝える。
僕は麻美華と綾音ちゃんにカウンター内でのグラス磨きを頼むと、オーダーされたコーヒーを淹れる。
これから何が起きるのか?
僕の予想が正しければ桂小路は最後の手段に出たことになる。
直接自分の手を汚す、どんなに恨まれてでも連れて行く。
そんな手段。
だけど僕は妙に落ち着いていた。そしてそれは礼名も同じだ。
コーヒーをトレイに載せると礼名とふたりで挨拶にいく。
校長先生に、桜ノ宮氏と倉成氏に、そして桂小路に。
一通りの挨拶を済ますと校長が僕らの顔を交互に見て。
「ところで、君たちは本当の兄妹じゃないというのは、本当なのか?」
やっぱりだ。
「それはどう言うことでしょう? 僕たちは兄妹ですよ?」
「血の繋がりは無いじゃろう!」
「何を仰るんですか!」
横から口出しする桂小路に強い口調でそう言うと、礼名にカウンターに戻るよう促して。
「困ります。礼名はそのことを知らないんです」
「いつまでその演技を続けるつもりじゃ!」
「いや、礼名は僕を兄だと思ってますよ、本気で」
みるみる顔色が変わる桂小路。そんな彼を見ていた宮川校長は僕に目をやる。
「しかし、血縁がないのは事実なんだな」
「……はい」
「わかった。もういいよ」
暫くの後。
今度は麻美華と綾音ちゃんに声が掛かった。
「おい麻美華!」
「綾音、ちょっと来なさい!」
厳しい声におずおずと彼らに席に出向いたふたり。
そんなふたりに父親からの厳しい叱責が飛んだ。
「学校へ働く届けをしていないとは何事だ!」
「ごめんなさい、お父さま。しかしこれは……」
「言い訳は無用!」
「……」
「月曜すぐに届けを出しなさい!」
「麻美華もだぞ!」
「「えっ?」」
怒られているのは麻美華と綾音ちゃん。
だけど。
悔しそうに歯噛みしているのは桂小路だ。
「足手まといにならないように、しっかり手伝ってあげなさい!」
「綾音もな!」
その会話に思わず礼名と顔を見合わせる。
「校長先生、申し訳ありません。娘にはすぐに届けをさせますので」
「ちょっ…… お嬢さん方はバイト代すら貰えずタダでこき使われているのですよ。しかも先ほどお話ししたとおりこの神代悠也はとてもけしからんやつで……」
「桂小路さん、あなたが仰るようにこうも忙しかったら勉学が疎かになるかも知れません。しかし校長先生のお話では、特に礼名さんは飛び抜けて優秀なのでしょう? だったら続けさせてあげましょう。もしもの時はこの倉成壮一郎が全て面倒を見ます」
「しかし、お嬢さん方が巻き込まれ……」
「娘の麻美華は子供じゃありませんよ」
口調は穏やかだが倉成壮一郎の眼光には凄みがあった。
「校長先生も彼らを支援してあげて下さい」
倉成壮一郎と桜ノ宮代議士に頭を下げられては校長もノーと言えるわけがない。
と。
店の扉がゆっくりと開く。
からんからんからん
「いらっしゃいませ。おひとりさまでしょうか……」
言いながら入ってきた紳士に目を向けた礼名の声が止まる。
「お、大友さん!」
「久しぶりだね、礼名さん」
濃紺の背広に銀縁の眼鏡。
鋭い眼光をすっと和らげ礼名に笑いかけたのは大友財閥の首領、大友倫太郎。
彼は倉成壮一郎に軽く手を上げるとその席に歩み寄った。
「お兄ちゃん、そこのテーブル!」
ふたり席のテーブルを彼らの席に並べ、大友氏を案内する。
「桂小路さんじゃないですか。久しぶりですな、こんなところでお会いするとは」
「大友さんが何故ここへ……」
「勿論礼名さんの演奏を聴きにですよ。噂になってますからね。うちの銀行とスポンサー契約結ばせて貰おうかな」
ちらり礼名を見て悪戯っぽく笑う大友倫太郎。
「大友さん、それはいけません。彼女のスポンサーにはこの倉成がなるのですから」
「おふたりとも何を仰るんですか!」
慌てる桂小路に大友がギロリ鋭い視線を投げかける。
「そんなことより桂小路さん、こんな事をしていて大丈夫ですか? 今度の株主総会、大友はあなたの側には付きませんよ」
* * *
「なあ、桂小路は何をしたかったんだ? 完璧に自爆して帰ったよな」
その夜、店を閉めると礼名に問いかけた。
「そうだね。木っ端ミジンコに粉砕したね。倉成壮一郎さんが桂小路の行動を逆手に、わたしたちを助けてくれたみたいだね」
「大友さんも倉成壮一郎が呼んだんだろうな」
店を出るとき、桂小路の顔は蒼白だった。
あの後知ったことだが、桂物産のメインバンクは大友で、大株主でもあるようだ。
一部上場の桂物産といえど倉成と大友に睨まれたらひとたまりもない。
「さあ、今日は『礼名風肉じゃが??』と大根の葉っぱ炒めだよ! 頑張ってお金貯めようね。わたしね、お兄ちゃんと同じ大学に行きたいんだ!」
礼名は晴れやかな顔で台所に立つ。
その目標は最初の、この店を始めたときの目標と寸分違わぬものだ。
僕はふとあの時の、礼名の言葉を想い出す。
両親が他界して二週間、金になるものは全て売り払い、礼名のピアノもなくなった家の中で、僕に向かって語った言葉。
「あのね、お兄ちゃん…… わたしお兄ちゃんの、お嫁さんになりたい!」
想い出すだけで顔が熱くなる。
「どうしたのお兄ちゃん? 礼名を見たまま真っ赤になっちゃって! 礼名まで照れちゃうじゃない!」
「あ…… 顔、赤いか?」
「真っ赤だよっ!」
そう言うと礼名はふっと笑って。
「今日の倉成壮一郎さん、すっごいカッコよかったねっ! さすがはお兄ちゃんの…… だよ!」




