第4章 第1話
第四章 ふたりのお店は絶対負けません(そのに)
月曜日の朝、一週間の始まり、礼名の明るい笑顔が弾ける。
「さあ、お兄ちゃん、今日も礼名の美味しい朝食タイムだよっ!」
水色のワンピに白エプロンが眩しい礼名が爽やかに言い放つ。
今日の朝食はパンケーキとオムレツ。
昨日はお客さんが少なくて、卵がたくさん余ってしまった。
だから今週は「たまご消費強化ウィーク」になるらしい。
「昨晩が親子丼で今朝がオムレツ、そして今晩は茶碗蒸しにするね」
フォークにパンケーキを突き刺して礼名が微笑む。
「うん、礼名の茶碗蒸しは凄く美味しいから、今からとっても楽しみだよ」
「えへへっ、照れるなっ」
少しはにかむ礼名だが、やおらズンと胸を張ると人差し指をピンと立てる。
「ピンポンピンポン! そんな優しいお兄ちゃんに問題です。今日のお弁当には卵料理がみっつ入っています。それは何でしょう? みっつとも正解すると素晴らしすぎる豪華な景品が、今か今かと待ってますっ!」
「ひとつ聞いていいか? その豪華な景品って何だ?」
「はい、よくぞ聞いてくれました。それはハワイ旅行より楽しくって、最新鋭のスポーツカーよりも取り扱いが簡単で、現金百万円よりも希少性が高い女の子なんです」
「もう読めた……」
「そう、その豪華な景品はお兄ちゃんが大好きな、このわたしですっ!」
「はいはい」
「さあ、お兄ちゃん。この素晴らしい景品に俄然やる気が出て来たでしょう。クイズの答え、みっつの卵料理、さあ、答えてくださいっ!」
「ごちそうさま。じゃあ歯を磨いてくるよ」
「あっ、ちょっと待ってよお兄ちゃん! 答えてくださいよ~っ 景品要らないんですか~っ! わたしなんですよ~っ! 今なら撮り下ろし生写真が何と十枚も付いてきますよ~っ! 期間限定ですよ~っ! お~い! お兄ちゃ~ん……」
背後から聞こえる騒がしい声を流れるようにスルーして、僕は洗面台に立った。
「お兄ちゃんはそんな態度に出るんですねっ! もう知りませんっ! クラスメイトでも部活の女でも好きな女の人と勝手にやってくださいっ! あとでやっぱり礼名がよかったなんて言っても手遅れなんだからねっ!」
食卓からの声を平然と無視して歯を磨く。
「あの、ごめんなさい、ごめんなさい、もう一度ごめんなさい。礼名、言い過ぎました。調子に乗りすぎましたっ。クラスメイトとか部活の女に、よそ見するとか摘み喰いするとか浮気をするとか、そんなのイヤです。やっぱり礼名がいいと思いませんか? ねえ、お兄ちゃん…………」
髪型と身だしなみを整えた僕は食卓に顔を覗かせる。
「あっ、お兄ちゃん!」
「卵焼きと卵サラダと、ニラ玉、かな?」
「ブッブ~! 惜しかったです。ふたつだけ正解です。でも今日は春の特別大サービス期間中なので、特別に全問正解にしちゃうよっ。さあ、この豪華な景品をどうぞっ!」
急に元気付いた礼名が両手を広げて僕を待っている、ようだが。
「じゃあ着替えてくるね」
「あっ、お兄ちゃん! 景品受け取ってよっ! 豪華な景品なんだよ! 直前キャンセルはキャンセル料が発生しますよ~っ 受け取り拒否は違法だよ~っ! 賞味期限切れちゃうよ~っ あっ、でも、わたしの旬はもう少し先かも知れませんけどね~っ」
まだ何やら騒いでいたが、それを無視して僕は二階への階段を上った。
そうして自分の部屋に戻った頃にはさすがの礼名も静かになっていた。
「ふうっ」
礼名のブラコン攻撃にはほとほと参るけど、でも、彼女のあの笑顔が僕を救ってくれている。あとでちゃんとおだてておかなくっちゃ。
僕は制服を手に取ると、今日の予定を頭に浮かべる。
えっと、色々あったよな。まず今日はコン研にいかなきゃいけない。梅原先輩と人工知能の仕様打ち合わせを約束した日だ。せっかく作るんだからみんなにウケるものを作らなきゃ。それが終わったら早く家に帰ってムーンバックスに対抗するテイクアウトメニューの開発もしなくちゃ。天候や時節にあったコーヒーを創り出す。簡単そうだけど難しい課題だ。今は春のど真ん中だし、この爽やかな季節には爽やかな酸味のキリマンジャロをベースにしてみようかな。お値段もそう高くはならないはずだし……
そんなことを考えながら制服に着替える。
「そう言えば……」
倉成さんには何て言おう。
隣の席の倉成さん。
土曜に彼女のお父さんが来てくれたこと、言った方がいいのだろうか。あの時彼は自分を倉成壮一郎だと名乗ったわけではない。やっぱり知らなかったことにしておこうか。
「はうっ」
溜息をついて教科書を鞄に詰め込む。
しかし。
目の前に出来るカフェ、ムーンバックスには本当に勝てるのだろうか。テイクアウトコーナーを自分たちで改装して作ることにしたけれど、その準備も必要だ。これは僕らの死活問題、手を抜くわけにはいかない。
「今週は忙しくなるぞ……」
そんなこんなを考えていると、いつもより余計に時間が経ってしまった。
僕は着替え終わると、また一階に戻る。
静かな居間に入ると礼名は鏡の前に立っていた。
セーラー服に身を包む自分の姿を鏡に映して、それをじっと見つめたままで、さっきまでのはしゃぎようが全く嘘のように、静かに静かに立っていた。
「どうしたんだい、礼名……」
言葉に出して、しまったと思った。
「あっ、お兄ちゃん……」
振り向いた礼名は泣いていた。ホロリと一滴が床に落ちた。
「何でもないよ、あれっ、鼻水かな?」
急ぎ足で立ち去る礼名。
やがて。
「さあ、今週も元気に頑張ろうねっ。ムーンバックス撃退プランを実行しようね!」
「……」
「あっ、もうこんな時間だ。そろそろ学校行かないとね!」
「うん。じゃあ、行こうか」
「行こう行こうっ!」
さっきの豪華な景品の受け取り拒否がいけなかったのか。
でもあれは礼名も冗談でやっていたはずだけど……
いつもの元気さを取り戻し、いつもの笑顔を振りまく礼名に、僕は涙の理由を聞くことが出来なかった。