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お兄ちゃんとの貧乏生活を守り抜く99の方法  作者: 日々一陽
第三十二章~終章 お兄ちゃんとの貧乏生活を守り抜くたったひとつの理由
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第32章 第2話

 その夜。

 礼名は飽きることなくアコーディオンの練習に余念がない。

 僕はコルクボードを使って新しい商品案内版を作っている。

 店の外に出す新しいメニュー版だ。


「お兄ちゃん少し休んだら? はいどうぞ」


 目の前にお茶が差し出される。


「礼名こそ少しは休んだらどうだ?」

「ありがとう。もう少しやったら休憩にするよ」


 あの後、麻美華と綾音ちゃんが帰って暫くして僕らもムーンバックスに出向いた。

 広い店内にお客さんはたったの五組。残念ながら客足は全然戻っていなかった。

 僕たちはホットコーヒーを手に持つと窓際の席に座る。


 やがて。


「先ほどは中吉らららフレンズのおふたりも来てくださったんですよ。こちら新商品の抹茶マロンストロベリーショコララテです」


 無意味にフレーバーてんこ盛りの新商品サンプルをトレイに載せて奈月さんが挨拶に来てくれた。


「ありがとうございます」

「いえいえ。こちらこそとても嬉しいです。ご覧の通りの状況ですからね」


 店内を見回し苦笑する奈月さん。


「色々手は打ってるんですが、この有様で。お客様が多いのは朝七時から十時までだけ。ウィッグが開店する十時以降はずっとこんな状態なんです。今日は本部からの視察も来て、このままじゃホントに………… あ、ごめんなさいね。ごゆっくりなさってね」


 心なしか顔色が悪い奈月さんは試飲カップを配るため外へと出て行った。


 目の前では礼名がまたアコーディオンを担いで馴染みのある旋律を紡ぎ始める。


 Fly Me to the Moon


 しっとりと美しいメロディを軽快に奏でる礼名は時折僕と目が合うとにこり笑顔を見せてくれる。


 僕たちの作戦はかなり無謀な作戦だ。

 成功する保証はどこにもない。

 そんなことを考えていると礼名が申し訳なさげに。


「お兄ちゃんごめんなさい。無茶なお願いばかりして」


 心を読まれたか?


「何言ってるんだ。大丈夫だよ、絶対大丈夫」

「わたしのわがままでお兄ちゃんにばかり苦労を掛けちゃうね……」

「それはこっちのセリフだ。僕が不甲斐ないばかりに……」

「えへへっ!」


 急に笑いだした礼名はさも嬉しそうに。


「礼名はね、お兄ちゃんと一緒だったら苦労なんてないんだよ。だって礼名の願いはたったひとつ、お兄ちゃんと一緒に暮らすことだから」

「いや、目標は高く持とうよ」

「すっごく高いよ!」


 礼名はアコーディオンを降ろすと昔の記憶を語り始めた。


          * * *


 深夜。

 ひとり自分の部屋で机に座り、窓の外に夜空を眺める。


 心理学には「幼少から同じ生活を送った異性相手には恋愛感情を持ちにくくなる」と言う仮説があると聞く。


 だけど僕は違った。

 そして礼名もそうだったのだろうか。

 彼女は小さい頃の母との想い出を語ってくれた。


「お母さん、このお花、お兄ちゃんに貰ったんだよ! ねえ、わたしお兄ちゃんのお嫁さんになれるかな? それとも、やっぱりお兄ちゃんは好きになっちゃダメなのかな?」


 昔すぎて覚えてないけど、僕は空き地に咲く花を摘んで礼名にあげたらしい。

 彼女の言葉に一瞬驚いた母は、しかし思いがけない答えをしたという。


「好きかどうかは礼名の気持ち、誰も変えることは出来ないわ。確かに兄妹は結婚出来ないけれど、自分の気持ちに正直になるのは大切ね。お母さん、応援するわよ」


 結婚出来ないと言いながら応援すると言った母の言葉はとても不思議で、その出来事は鮮明に彼女の記憶に残っていたらしい。


「だからね、お母さんもきっと祝福してくれるよ!」


 そう言う礼名は少し笑って。


「本当は礼名、ずっと疑問に思ってた。どうして礼名はお兄ちゃんにドキドキするのかなって。そしてその答えのすぐ近くまで辿り着いてた。だけど誰にも聞けなかった。誰にも話せなかった。だって、怖かった……」


 遠い昔を見つめていた礼名の大きな瞳が僕に向けられる。そんな彼女は愛おしく、僕は立ち上がり彼女を抱きしめた。


「お兄ちゃん!」

「ごめん礼名。少しだけこうさせてくれ」

「ううん、嬉しい。あ、お兄ちゃんの鼓動が聞こえる。礼名の音も聞こえてる?」

「僕の心臓がうるさくて分からないや」

「礼名、頑張るね。礼名の一番大切な、この生活を守るため頑張るね」

「絶対大丈夫だよ」

「ねえお兄ちゃん。ずっと礼名を離さないでね」

「もちろんだ」


 負けるわけにはいかない。

 僕たちはこの店で、カフェ・オーキッドで勝たなきゃいけない。

 料理も掃除も洗濯も、学校では副会長も頑張って頼りになるお店のナンバーワン。そんな礼名の体は細く繊細で、大切に抱きしめないと壊れてしまいそうだった。優しく甘い礼名の匂いが僕の胸を熱くする。僕を見上げる彼女の瞳のきらめきはどんな宝石にも例えようがなく、僕の魂を吸い取っていく。こんなにも可憐でこんなにも艶やかで……


「お兄ちゃん……」

「礼名……」


 礼名の瞳がゆっくり閉じられようとする、その時だった。



 チャンチャ~チャチャ~

 チャチャチャ~ チャチャチャ~

 チャチャチャ~ チャチャチャ~ チャ~

 チャッチャ チャッチャ チャッチャ チャチャ



 けたたましく鳴り響く携帯の着メロ。

 誰だ、こんなアニソンを勝手に設定したのは?


「…………はい、神代です」

「そんなこと言わなくても分かってるわよ、悠くん」

「って、倉成さん! どうしたのさ?」

「夜のパトロールよ。不純異性交遊監視の巡回中よ!」


 まるで見ていたかのような麻美華の闖入ちんにゅうにふたりの純潔は守られた。


「はははっ」


 思い出し笑いが漏れる。

 さっきはウザイと思った麻美華の電話、だけどあれで良かったのだと思う。


 窓から見える夜空に月の姿はなく、星の光も見えない。

 吸い込まれそうな闇。

 だけど礼名と一緒なら少しも怖いと思わない。

 あのあと、僕の携帯を奪い取った礼名は麻美華に向かって言い放っていた。


「不純なんてどこにもありません、ふたりはずっと家族ですから!!」


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