第32章 第1話
第三十二章 お兄ちゃんとの貧乏生活を守り抜くたったひとつの理由
よく晴れた水曜日の昼下がり。 扉には本日定休日の札が下がっている。
そんな店の中で、麻美華、綾音ちゃん、そして礼名のためにコーヒーを淹れ
る。
「お兄ちゃんも座ってね! それで、ですね……」
先週の土日はウィッグに完敗した。
売り上げは食べて行くのが難しいレベルにまで落ち込んだ。
その上、ウィッグの営業内容に対する変更要望案も商店会に拒絶された。
追い詰められた状況。
だけど礼名の表情は晴れやかだった。
「そういう訳でおふたりの力を貸して欲しいんです。お願いします!」
ふたりは驚いている。
それはそうだろう。
僕が礼名の作戦を聞いたときもそうだった。
一昨日の夜、礼名が話してくれた打倒ウィッグの打開策。それはあまりに自由奔放で想像の遙か斜め上をいくものだった。本当に上手くいくか、勝利は確信できなかった。ただ、彼女の作戦は麻美華と綾音ちゃんの力を必要としていた。そこが嬉しかった。彼女が僕とふたりきりに固執しなくなった理由、それはきっとふたりの絆を確信したからだろう。
僕は礼名の横に座ると麻美華と綾音ちゃんにコーヒーを勧めて。
「礼名のアイディアはちょっとぶっ飛んでるけど、ふたりの力が必要なんだ。ムシのいい話だけど頼れるのはふたりだけなんだ。上手くいくかは正直わからない。だけどお願いだ、力を貸して欲しい!」
「ふふっ、面白そうじゃない礼っち。やってあげるわよ」
「勿論あたしもやるわよ! ああ腕が鳴るわね!」
僕らの無謀とも思えるアイディアに乗ってきてくれたふたり。僕と礼名は視線を交わすと揃って頭を下げた。
「それはそうと礼名ちゃん、急にあたしたちに協力を求めるってどう言う心境の変化なの?」
少し意地悪い顔をした綾音ちゃんの言葉。
「はい、それはですねっ。礼名も大人になったと申しましょうか、心が健やかになったと申しましょうか……」
待ってましたとばかりに語り始めた礼名。
全くイヤな予感しかしない。
「そうなんですっ! ついにお兄ちゃんとわたしは愛を確かめ合ったのですっ! こ・ん・や・く・ですっ!! ご覧下さい、お兄ちゃんがわたしに向けるこの白く冷めた眼差しを! あっ、でも、婚約と言っても結納とかの儀礼的な事はしてませんし、婚約指輪もまだですけど、でも心は婚約です! ふたりの心はひとつになったんですっ!」
「待ちなさい礼っち! 何を言っているのかしら? あなたたちは兄妹で……」
「そうよ! それにまだ高校生なのにいきなり婚約なんて……」
「心配はご無用ですっ! お兄ちゃんとわたしは兄妹ですけど結婚出来るんですよっ! イッツマジック! イッツトリックスター! ああ、お兄ちゃんなのにマイダーリン!」
「ちょっと礼っち! 全部独り占めとかズルイにも程があるわよ! 妹役は私が代わってあげるわよっ! ねえお兄さま、お砂糖はおいくつ?」
おい、何を言い出すんだ麻美華!
しかし礼名も負けじと僕の腕を取って。
「お兄ちゃんはコーヒーにお砂糖を入れません! 麻美華先輩のご協力には感謝しますけど、それとこれとは話が別ですからねっ!」
「ねえ麻美華! このあとそこのム~ンバックスで一緒にお茶しない?」
ヤバイ。
綾音ちゃんは麻美華と僕の仲を疑ってたんだ。
「いいわよ。共同戦線を張るってのもアリね」
やがて。
麻美華と綾音ちゃんはバッグを持つと立ち上がった。
「じゃあ今日は帰るわね。次の土日はちゃんと来てあげるけど……」
麻美華は礼名に目を向け。
「不純異性交遊は生徒会長のこの私が絶対認めませんからね! 悠くんも分かってるわよね!!」
そう言い残すと、ふたりは帰って行った。
「おい礼名! あのふたりに婚約したとか結婚出来るとか、無駄な想像力をかき立てる事を言うなよ!」
僕の抗議に、しかし礼名は全く悪びれる様子もなく。
「だっていつかは分かっちゃうんだよ! だったらいいじゃない! それに麻美華先輩は知ってるんでしょ? わたしたちが結婚出来ること」
そう言いながら窓からムーンバックスを眺める。
「あのふたり、ホントにムーンバに入っていったね。何の話をしてるのかな?」
「ああ、多分……」
隠しても仕方がない。
麻美華と僕は、実は兄妹ではないか? と綾音ちゃんが疑っていたことを話した。
「そうなんだ。綾音先輩、勘が鋭いからね。礼名は全く気付かなかったよ。倉成壮一郎さんとお兄ちゃんって似てるとは思ってたけど」
そう呟いた礼名は、アコーディオンを肩から提げると練習を始めた。




