第30章 第5話
お昼になった。
ウィッグは十時開店。今のところ店に大きな変化はない。
と言うか、普段からこの時間はお客が少ない。
だけど。
「あれじゃ、お客さん来ないわよ!」
外の様子を見てきた綾音ちゃんが言う。
曰く、オーキッドの入り口のすぐ横にウィッグの店員が無料試飲カップを持って立っているらしい。すぐ横と言ってもそこはウィッグの店の前、文句は言えない。
それでも今、オーキッドには二組の常連さんが来てくれている。
からんからんからん
からんからんからん
からんからんからん
からんからんからん
からんからんからん
からんからんからん
一時間前に店を出て行った麻美華も戻ってきた。
「このお店は賑やかね」
「賑やかって? 誰かさんのドアベルがうるさいだけだろ! 店はご覧の通りテーブルの半分も埋まってないよ?」
「あら、充分に流行ってるわ。ムーンバックスに比べたら、だけど」
彼女は商店街をぶらぶらと見て回ったらしい。
今日はいつもより通りの人が多めだと言う。
「商店街のお店はどこも活況を呈していたわ。高田さんなんか忙しそうで私が手を振っても気がつかなかったし。だけどムーンバックスは悲惨よ。もう、見事なまでにガラガラ。さっきまで座ってラテ飲んでたのだけど、三十分間誰も来なかったわ」
「深刻な状況になってきたな」
僕の言葉にぽつり礼名が応える。
「だね……」
「だけど、このままムーンバックスが消えたら悠也さん達は助かるんじゃないの?」
「僕たちは共存共栄を願ってるんだ。だからちっとも嬉しくないよ」
綾音ちゃんに明言する。
これはいいカッコをしている訳じゃない。凄く本心だ。
実際、一年近く掛けてムーンバックスとオーキッドは棲み分けが出来ていた。
ムーンバックスに対抗して始めたテイクアウトも特徴ある南国スイートコーヒーに特化した事もあって味は被っていない。むしろここに来ればふたつの店から好きな物が選べると評判にすらなっている。ある意味WinWinの関係だ。
「店長の奈月さんにもよくして貰ってるんです」
礼名の言葉に表情を暗くする麻美華。
一方綾音ちゃんは不思議そうな顔をして。
「礼名ちゃんってお付き合い上手よね。宿敵だったムーンバックスとも上手くやってるし。なのにどうして桂小路さんとは上手く行かないの?」
「そ…… そんなの礼名にも許せない事はあるんです! 悪なんです。桂小路は24時間360度、いつどこから見ても悪なんですよ!」
「そう、だったわね…… だけどその桂小路さんはどうしてこんな事をするのかしら。きっと他にも方法はあるわよね?」
「えっと、それは……」
礼名がちらり僕を見る。
「他に方法って……」
僕たちが彼女への答えに窮していると救いの神が現れた。
からんからんからん
「あっ! いらっしゃいませっ!」
「よっ! 神代久しぶり! 腹減ったからメシ喰わせろよ! 俺、チャーシュー麵」
「ねえよ!」
友達を連れて入ってきた聖應院の高杉の出現に、僕たちの会話は中断された。
* * *
夜、その日の売り上げを集計した。
結局、普段の土曜に比べかなりのマイナスになった。
店内は常連さんのお陰もあって小さなマイナスで済んでいるけど、テイクアウトは大打撃を受けた。
「これじゃ生活していくのも危険だね。貯金なんてとても出来ないね」
電卓片手に呟く礼名。
「隣でタダの試飲カップ配られたらキツイよな」
レジを締めながら僕は答える。
新メニューの欲張りデザートセットは結構好評だった。
だけどデザートバイキングの店が始めた値下げの影響はきっと出てくるだろう。
正直いきなり躓いた。
それよりも。
一番期待していたオーキッドの切り札、礼名の演奏は全く売り上げに貢献しなかった。
演奏はいい。
とてもいい。
身内が言うのも何だが、センスもあるしテクニックも抜群、聴いていて惚れ惚れする。
だけど、その演奏は注目を集めはしても売り上げには繋がらなかった。
いや、逆にウィッグの売り上げに貢献していた。
礼名は最初からこの結果を予想していたようだ。
分かっていて手を打たないなんて普段の礼名からは考えられない。
「何か策を考えなきゃ!」
僕の言葉に無言で肯く礼名の表情は硬いまま。
「なあ礼名、倉成さんとか桜ノ宮さんに応援頼まないか? そうすれば礼名が演奏している横でテイクアウトの販売も出来るし、礼名に並んでお客さんの案内も出来るし、きっとあのアコーディオンが売り上げに繋がると思うんだ。いい考えだと……」
「ダメだよ!!」
その強い語気に僕は言葉を止める。
「オーキッドはお兄ちゃんと礼名のお店、ふたりで頑張らなきゃ! ふたりで乗り越えなきゃ! そうじゃないとダメなんだよ!」
「だけど、他に手があるのか?」
「無いことはないよ…… 多分……」
しかし翌日の日曜日、売り上げは更に悪くなっていった。




