第30章 第4話
いよいよ対決の日がやってきた。
「いらっしゃいませ~っ!」
我がオーキッド朝一番のお客さまはいつも通り高田さん…… ではなかった。
「この私を一日中好きに使ってもいいのよ。ああ何という贅沢でしょう!」
「あたしも楽しんでやってるからね。遠慮しないで使ってよ!」
そう、開店と同時にやってきたのは麻美華と綾音ちゃん。
しかしふたりは客として来たつもりはないようで、勝手に家の中に上がり込んで店の制服に着替えようとする
「何してるんですか! お手伝いなんていりませんよ! お兄ちゃんとわたし、黄金のカップリングでお客さんをグッと惹きつけちゃいますから! ちなみに礼名は受けですよ!」
「意味が分からないわ礼っち。風の噂ではアコーディオンを手に入れたそうじゃない。あなたが弾いてる間、お店はどうするのよ?」
「そうよ。どうして遠慮するの?」
麻美華と綾音ちゃんの質問は極めて真っ当だ。
「何言ってるんですか! 演奏はヒマになったときにするんですよ! だからおふたりはゆっくりパフェでも召し上がり下さいっ!」
「あら、演奏中にお客さんが入ってきたらどうするの?」
「即刻演奏中断しますっ! 礼名がすぐさまお店のナンバーワンに変身ですっ!」
「あら、今日のナンバーワンはこの麻美華なのだけど」
「勝手にわたしたちの店で働かないで下さいっ!」
エキサイトする礼名をなだめるように綾音ちゃんが声を掛ける。
「無理しなくていいのよ、礼名ちゃん! ねえ。いいわよね、悠也さあん!」
「いや、その、あの…… 今日はふたりには……」
「お兄ちゃん! 綾音先輩の巨乳に惑わされないで下さいっ! 惑うんなら礼名の胸にして下さいっ!」
「あら、悠くんって貧乳好みなの? ぺったんこ党?」
「一寸の胸にも五分の魂が詰まってるんですっ!」
一致団結してウィッグに立ち向かうべきこんな時に、仲間割れするオーキッドチーム。
しかし。
「ともかく! ウィッグとの勝負はお兄ちゃんと礼名、ふたりの戦いなんですっ!」
礼名の激しい剣幕に麻美華も綾音ちゃんも溜息をついてカウンターに座った。
と、それを待っていたかのように店のドアが開く。
からんからんからん
「いよっ! 今日は美女三人組がお揃いかい! ホント悠也くんが羨ましいよ! 一日でいいからうちのかーちゃんと誰かを交換してくれないかい? えっ、うちのかーちゃんなんかいらないって? そりゃそうだよな。昨日もタダでお譲りしますって大根と並べて置いてたんだけど、誰も持っていってくれなかったしな……」
ボコられフラグをビンビンに立てながら入ってきた高田さん。勿論、彼の背後には奥さんの鋭い牙がギラリと光る。
「高田さん危ないっ!」
礼名の忠告虚しく、奥さんのフライングニードロップを喰らい宙を舞う高田さん。
「うぶぐげぼごがはっ!!」
床に突っ伏し頭を抱える高田さんに奥さんの大根足落としが放たれる。
「いらっしゃいませ~っ!!」
ふたりの間に割って入り、身を挺して高田さんを守る礼名。
「はあはあ…… 高田さん、奥様、何になさいますか?」
「はあはあ…… いつもごめんね礼名ちゃん。わたしはモーニングよろしくね」
「うぐびぐごばっ……」
「はい、かしこまりました。マスター、高田さんご夫妻にモーニングふたつ!」
はて?
高田さんは「うぐびぐごばっ」と言ったようにしか聞こえなかったが……
ともかく。
勝負の朝は始まった。
滑り出しは普段通りだ。
パチンコ出撃前の太田さんと細谷さんも来てくれて新メニューの欲張りデザートセットを頼んでくれた。食べて貰った評価も上々だ。
「いいじゃないこれ。ケーキも美味しいし、大きいプリンにアイスがダブル。食べ応えあるわね! 太らないかが心配だけど、その時は悠也くんが私を貰ってくれるわよねっ!」
「いえいえ、僕じゃなくても世の中には色んな趣味の人がいますから……」
太田さんは食べたら食べただけ体重で表現するタイプだ。一方細谷さんはどれだけ食べても太らないらしい。そんなふたりがいつも仲良しというのはなかなか面白い。
「だけどね悠也くん、展示場の先にスイーツバイキングのお店あるでしょ? あそこ4月から50分コースが出来て食べ放題1000円なんだって。オーキッドももっと頑張らないとかもよ!」
「ええ~っ! そうなんですか!!」
展示場の先にあるスイーツバイキングの店は制限時間内であればケーキやゼリーやドリンクやあとスパゲティとか焼きめしが食べ放題と言うお店だ。味はたいしたことないのだが種類は豊富だ。
欲張りデザートセットの値付けはそのスイーツバイキングの値段を多分に意識した。
今まで向こうは90分で1580円だった。
うちの新メニューは800円、絶対勝てると思ったのだけど。
それが50分1000円コースが出来るなんて想定外だ。
そんな情報知らなかったよ。これは作戦練り直しかも……
やがて。
朝のピークが落ち着いた十時前、礼名はアコーディオンを肩に店を出る。
遂にオーキッドの秘密兵器が出撃だ。
「伴奏よろしく。曲は「恋するフォーチュンチョコ」で」
「どうして麻美華先輩がステップを踏みながらMYマイクを持ってるんですか! そう言う趣旨じゃありません!」
礼名は麻美華を制止して店を出る。
やがて聞こえてきた曲は「君の瞳に恋してる」。
誰でも聞いたことがあるアップテンポのオールディーズに心が躍る。
カウンターに立ったまま礼名の演奏を窓から眺める。通りを行き交う人がみな足を止める。後ろ姿しか見えないけれどさすがに緊張しているのだろう、礼名は店の前に立ったまま動きが少ない。
「店を出て見て来たら?」
「そういう訳にはいかないよ、営業中だし」
麻美華の言葉に首を横に振る。
曲が終わる頃には数十人程度の人垣が出来ていた。礼名が頭を下げると拍手が起きる。
「ありがとうございま~す、カフェオーキッドで~す! 美味しいコーヒーはいかがですか~!」
だけど。
聞き終わった人達はどこへともなく霧散した。
開店したばかりのウィッグへと流れる人も多いようだ。
なのに、うちには誰も来てくれなかった。
やがて。
からんからんからん
礼名が戻ってくる。
「さすが礼っち。わたしの伴奏を任せてもいいレベルだわ」
「ホント凄いわ。礼名ちゃんにそんな特技があったなんて」
麻美華と綾音ちゃんの言葉にも礼名は愛想笑いを浮かべるだけ。ゆっくりカウンターに入り僕の横に立つとぽつり呟く。
「やっぱり誰も来てくれなかったね」
「けどさ、ほとんどの人が足を止めてたじゃないか。向こうの通りからわざわざ聴きに道を渡った人も多かったぞ」
「意味ないよ。お店の宣伝なのに……」
礼名の演奏は人を集める。だけどその人達は演奏を聴きたいのであって喫茶店で一服したいわけじゃない。だから人は集まっても売り上げには繋がらない。最初から分かっていたことではあるけど……
「わたしの演奏を聴いてくれた人、たくさんウィッグへ行っちゃったね」
悔しさが涙になって礼名の頬を伝った。




