第30章 第2話
「こちらからお並びくださ~い!」
開店までまだ三十分もあるのにウィッグの前には行列が出来ている。
僕らは三矢さんに貰ったチラシを隅々までチェックした。
確かにオープニング特価で色々安いのだが、先着何名様限定とか、そんな商品はない。
なのにこの行列。
「きっと無料試飲コーナーの場所取りだよ。だって今日はタダでバタークッキーが付くらしいし」
やはりタダより安いものはない。
タダ喰い、タダ飲み、送料無料。
みんなタダが大好きなのだ。
「お兄ちゃん、無料試飲コーナーって何席くらいあるのかな?」
「う~ん、ウィッグは結構広そうだからね。テーブルを十客くらいは用意してるかもね」
「それだとうちより収容力大きいよね?」
「残念ながらオーキッドは狭いからね」
そんなことを言いながら少し遠目に様子を伺う。
僕らも開店と同時に店内を偵察するつもりなのだが、行列には並んでいない。並ぶのは癪に障る。だれが並んでやるもんか!
やがて。
店の前に用意された赤白のリボンの周りにスーツや着物姿の紳士淑女が集まってきた。
月守さんもいる。
商店会会長の三矢さんご夫妻の姿もある。
「桂小路だよ! お兄ちゃん、桂小路がいるよ!」
見ると羽織袴姿の桂小路もそこにいた。
テープカットは桂小路と三矢さんご夫妻、そして僕の知らない県議会の女性議員さんとやらによって執り行われた。
生まれて初めて見る立派なオープニングセレモニー。
「ウィッグ中吉店、これより開店でございますっ!!」
「「「いらっしゃいませ~っ!!」」」
店員さんが左右で頭を下げる花道をお客さん達が我先にとなだれ込んでいく。
「お兄ちゃん……」
「大丈夫だよ、負けないよ。負けるわけ無いよ!」
* * *
平日だというのに店内はいきなり大混雑していた。
店を入ると長いコーヒー豆のショーケースが目を引く。横の棚に積み上げられたオープニング謝恩品のウィッグオリジナルブレンドコーヒーの袋が飛ぶように売れていく。
更に中に入っていくと紅茶のコーナーそしてコーヒーや紅茶の用具コーナーと続く。
「チョコレートとかクッキーもいっぱいだよ!」
店内は明るくて通路も広く、天井も高くて開放感がある。
うちの隣と裏の駐車場ってこんなに広かったんだ!
探していた無料試飲コーナーはチョコレートコーナーの奥にあった。
ふたり掛けのテーブル五客に十人ほど座れる大きいテーブルがひとつ。
立席用の丸テーブルもある。
どこも既にいっぱいだ。
「思った通りだね。こんなにたくさん席を用意しちゃって」
コーナーの横には試飲カップを提供する小さなカウンター。そして『心ゆくまでごゆっくりおくつろぎください』と書かれた案内板。
「お熱いですのでお気を付け下さい!」
買い物客に緑色のウィッグのロゴが入ったマグカップが渡される。
みんなタダのコーヒーで寛いでいる。
やっぱりタダは偉大だ。
やるせない気持ちでその様子を見ていると礼名が肩を叩いた。
「お兄ちゃん、二階にも行ってみようよ!」
階段の横に書かれた案内によると一階は飲料関係と菓子類、二階は輸入食材がメインらしい。 エスカレータで二階に上がると国際色豊かな調味料が並び、そしてチーズやハム、ジビエなどが詰まった冷蔵ケースがズラリと並ぶ。普段見ない輸入品ばかりだ。見ているだけでも結構楽しめる。
「繁華街にあるウィッグよりこっちの方が断然広いね」
「そうだな。二階もあるし品揃えも豊富みたいだな」
缶詰やレトルトのコーナーの向こうに広いスペースが見える。
「お兄ちゃん、あそこ!」
「うん……」
無料試飲コーナーは二階にもあった。
しかもそれは一階のよりも広くて席数も多い。
「ちょっ、これって! 一階と合わせると五十人は座れるよ!」
「やり過ぎだろ! これはさすがにやり過ぎだろ!」
春休み中の平日だからか、子供連れのお母さんがやたらと目に付く。そして子供達にはジュースまで用意していた。ジュースは小ぶりな紙コップだが勿論タダだ。子連れのお母さんにタダジュースは大好評のようだ。
「自慢のコーヒーをお試し下さ~い! いかがですか~?」
パートらしきおばさんが笑顔で声を掛けてくれるけど、僕は首を横に振って通り過ぎる。
「なあ礼名、これって想像以上だな」
「うん、あんなに試飲コーナーに力を入れるなんて。席数うちの三倍あるよ!」
「その上に立席もあるしな……」
今日はほぼ満席だけど。
こんなに広いスペース、客足が一段落したらどうなるのだろう。
ホントにゆっくり寛げそうだ……
僕らは店を出るともう一度その敵店舗を振り返る。
レジには長い行列が出来ている。
無料でポイントカードが作れるらしく、その手続きに店員が大わらわだ。
「なあ礼名、どう思う」
「う~ん、お客さんにしてみたら、いいお店かも……」
がっくりと肩を落とした礼名が小さな声で答える。
「いらっしゃいませ~っ! 新製品のマロンラテもご用意していま~す!」
通りの向こう、ムーンバックスから声が聞こえる。店の前に立つのは赤い眼鏡を掛け緑のエプロンをした女性。ムーンバックスの店長、奈月さんが自ら呼び込みをしていた。
「行ってみようか」
「うん」
ふたりは並んでムーンバックスへと向かった。




