第29章 第1話
第二十九章 再戦
ウィッグ迎撃の準備は整った。
新しいメニューをパソコンで編集していると目の前にお茶が差し出される。
「やっぱり照明の力って凄いんだね。ケーキがすっごく美味しそうに写ってるね」
モニターを覗き込みながら礼名が微笑む。
四月になると僕らの店を取り囲むように輸入食品館ウィッグが開店する。
僕らはそのタイミングに合わせて新メニューを投入する。
新メニュー開発に当たっては色んな人のお知恵も拝借した。
「フォアグラステーキと北京ダックのセットが食べたいわね。これ、案外一緒に食べるの難しいのよ。実現したら絶対話題になるわよ」
麻美華の提案だ。
確かにそうなのかも知れないが、一秒で却下した。
「ワッフルはどうかしら。仕入れの種類は変わらないわよ。あと、食事系ならハンバーガーもいいかもね。特製ソースで独自の味を作れば差別化も可能よ」
綾音ちゃんの提案は僕の考えに近かったけど採用はしなかった。
結局、新メニューはもっとありふれた変化になった。ある意味オーキッドのレパートリーは一切変わらない。
「そうねえ。思う存分甘いものが食べたいわ」
そんな細谷さんと太田さんの声に思いついたのが新メニューの切り札、欲張りデザートセットだ。
欲張りデザートセットはケーキとプリン、そしてアイスをまとめてガッツリ提供する。飲み物も大きなマグでたっぷりだ。それでいて嬉しいお値段八百円。ケーキはプティフォンティーヌからの仕入れだから原価率は高いけど、内容には礼名も太鼓判を押してくれた。
「こんな感じでどうかな?」
「とてもいいよ! 写真も綺麗で分かりやすいよ」
メニューには要所要所に写真を入れて分かりやすく配置する。
当初写真は麻美華から借りっぱなしの倉成光学製コンパクトデジカメで撮ったのだけど、今ひとつパッとしなかった。そこで麻美華に相談すると翌日、巨大な撮影用品一式が届いた。中身はデジタル一眼カメラと何種類かのストロボ、照明反射板、白い布などなど。倉成家御用達の写真屋さんもやってきて撮影のコツまで教えて貰った。
「写真って結局はレンズに入ってくる光を撮っているんですよ。だから光を上手に扱うことが重要なんです」
写真屋さんは店のテーブルに白い布を敷き、反射板とストロボを念入りにセットしてくれた。そうして用意した商品を写していく。撮影は全部僕がやらせて貰った。プロ指導の下だから僕でも大丈夫。実物以上に美味しそうな写真が撮れまくりだ。
「ちょっとは休憩したら? お茶、熱いうちにどうぞ」
「ありがとう礼名」
メニュー作りはほとんど終わった。
僕はキーボードから手を離すと礼名が淹れてくれたお茶を啜る。
一方礼名はアコーディオンを担ぐとまた練習を始める。
礼名の演奏を聴いていると何だかワクワクしてくる。オールディーズやジャズ、アニソン、楽しそうな曲を選んでは軽快なアレンジをしていく。弾き始めたのはディズニーアニメの名曲『いつか王子様が』。礼名のお気にらしい。
「もうすぐ春だね。春になると王子様がくるんだよ! 小鳥たちが祝福して誓いの鐘が鳴り渡って夢が叶うんだ!」
いつものブラコンを炸裂させながらジャズ風にアレンジして綺麗なアドリブを展開する。
そうなのだ。
ウィッグ迎撃の本当の切り札、それは新メニューの『欲張りデザートセット』ではない、礼名のこの演奏だ。
店の前、商店街に通じる道は結構広く、車もほとんど通らない。礼名はそこでアコーディオンの演奏をすると言う。勿論、オーキッドにウェイトレスはひとりしかいないから常にではない。多分一日一時間も弾ければ御の字だろう。それでも何もしないよりはいい。
ただ、それでお客さんが来てくれるかどうかは微妙じゃないかと礼名は言う。注目は集めるだろう、だけどそれで喜ぶのは敵、即ちウィッグかも知れない。集まったお客さんはウィッグにも吸い込まれるはずだからだ。
しかし、目の前で演奏をする礼名はとても楽しそう。そんな彼女を見る僕は来客が増えなくても構わないと思い始めている。礼名が喜んでやるんだ。それだけで充分だ。
パチパチパチパチ……
メロディアスなアドリブに拍手をすると礼名は演奏を続けながらにこり微笑んで頭を下げる。
と。
我が家でたった一台の携帯がメールの着信を知らせる。
僕はテーブルに置いてあった携帯を手に取ると差出人を見る。
「ねえ誰から?」
礼名の演奏が止まった。
「えっと…… 倉成さんから」
「どう言う内容?」
このところ麻美華は店を手伝わせろと毎日執拗に迫ってくる。
僕は大丈夫だよと繰り返し断っている。
「いつでもオーキッドを手伝ってくれるって」
「しつこいよね! 大丈夫だからアキバの別荘で日光浴でもしてればいいのにね」
「アキバに別荘あるんだ……」
倉成家ならあっても不思議はないけど。
「お兄ちゃん、携帯貸して! わたしが徹底的に断ってあげるから! 完膚無きまでに断ってあげるから!」
僕の手からさっと携帯を取り上げた礼名は慣れた手つきでメールを打つ。
「……送信っと!」
「おい、なんて書いた?」
携帯を取り返すと送信履歴を確認する。
僕には愛する礼名がいるから大丈夫。
倉成さんは心配しないで八つ墓村の別荘で日光浴を楽しんでね。
神代
「誰が愛する礼名なんだ!」
「お兄ちゃんが」
「八つ墓村に別荘があるのか?」
「なけりゃ買えばいいじゃん。金持ちだし」
「で、八つ墓村ってどこだ?」
「インドとパキスタンの国境あたりにある寒村らしい」
などと礼名とやり合う暇もなく、手に持つ携帯が着信を告げた。
イヤな予感しかしない。発信元は勿論麻美華だ。
「わたしが出るよ」
礼名は携帯を引ったくるように奪う。
「はい、悠也さんの妻です」
「こらっ! 火に火薬を突っ込むな!」
案の定、電話の向こうから麻美華が爆発する声が聞こえる。
もう知らん。
麻美華も僕の大切な妹だ。
もっと上手にやっていきたいんだけど、最近礼名は「ふたりでやっていくこと」にやけに固執する。
今の状況はさすがに限界かな、と思った僕は先日麻美華に相談してみた。
そう、あれは放課後、学校の屋上でのことだ。
* * *
少し暖かくなって日差しが気持ちいい夕方だった。
「お兄さまから誘ってくれるって珍しいですね」
「えっと、実はさ。相談、なんだけど……」
屋上のドアを閉めると、いきなり本題を切り出した。
風が麻美華の綺麗な金髪を緩やかに揺らす。
「礼名に本当のことを話そうかと思うんだ。そう、僕たちには血の繋がりがないこと、そして僕と麻美華が兄妹であることを……」
暫し無言だった麻美華はやがて。
「お兄さまと礼名ちゃんの関係は、きっと礼名ちゃんも気付いてますからね。いいんじゃないですか。だけど、麻美華との関係は話す必要がないでしょう?」
「いや、そっちの方も重要なんだ」
このところ僕と麻美華が会うことを礼名は今まで以上に嫌うようになっていた。だけどそれは誤解だ。僕と麻美華が兄妹であることを知らないからだ。
礼名は信用できる。
聡いし心も正義感も強い子だ。
僕はもう、全てを打ち明けたい。
「そこはお兄さまの判断にお任せするしかないです。真実ですから。でも、全てを知ったら礼名ちゃん喜ぶでしょうね」
麻美華は真剣な面持ちで遠くの景色を見ながら語り続ける。
「礼名ちゃんは自分はブラコンのクセにわたしが妹だと知ったらライバルから脱落すると思うでしょう……」
僕もそう思う。
それを期待するからこそ打ち明けようかと思う。
ただその一方で礼名は僕の妹のままでいたいのかも、言う予感もある。
「だけどお兄さま、覚えていて欲しいのだけど……」
麻美華は大きく息を吐くと空を見上げた。
「私、倉成麻美華はお兄さまが大好きです」
「えっ?!」
「血が繋がっていてもそんなの関係ありません。好きです」
「ちょっ、ちょっと麻美華!」
「前にも言いましたよね。戸籍上お兄さまと私は全く繋がりがないんですから、法的にも結婚出来るんですよ」
「いや、だからって!」
慌てて横に立つ麻美華を見ると彼女はその切れ長の瞳に微笑みを浮かべた。
「ふふふっ。安心して下さい。麻美華は良識のある人間です。お兄さまが礼名ちゃんを選ぶのならばちゃんと祝福してあげますよ」
身を翻し僕の正面に立った彼女は、しかし少し拗ねたように。
「だけど礼名ちゃんはずるいですよね、お兄さまの恋人も妹も独り占めなんて。どちらかひとつくらいは麻美華が戴かないと納得できません!」
……と。
そんな学校での出来事を思い返していると、目の前で麻美華とミサイル弾を激しく撃ち合っていた礼名が勢いよくバシンと携帯電話を閉じた。
「まったく麻美華先輩ったらしつこいんだから。オーキッドはお兄ちゃんとわたしのお店なのにね」




