第27章 第3話
閉店後、居間のテーブルにはチョコレートがずらり並んだ。
一番目立つのは高さ50センチはあろうかという麻美華の巨大なチョコレートケーキ。綾音ちゃんのチョコは週刊誌大のボックスに綺麗に詰められている。太田さんや細谷さん、高田さんの奥さんからも貰った。僕史上マックスに大漁だ。
「ヘンです! おかしいです! 今日は礼名の特製チョコカップケーキが主役のはずです! それがどうして、どうして……」
礼名は僕に大きめのカップケーキを作ってくれていた。大きいだけじゃなくチェリーやレーズンも入っているらしい。だけど大きさでは麻美華が作った進撃の巨大ケーキの圧勝だ。おまけに綾音ちゃんのトリュフチョコを一口食べた礼名は涙を浮かべ、美味しい…… 負けた…… と呟いていた。
「麻美華先輩と綾音先輩のチョコに挟まれると、礼名のチョコはうすぼんやりと存在感がゼロパーセントですね。ははっ。大きな口を叩いたのに、ダメですね礼名は。こんなんじゃお兄ちゃんのお嫁さん失格ですね……」
珍しく自虐的に滝の涙を流す礼名。
……って、そんなことで泣くなよ、おい!
今日、桂小路が帰った後、礼名は言葉少なになった。
父母の一周忌の後、桂小路の頭に飲み物をぶっかけた麻美華と綾音ちゃん。今日はそのことに一切触れずにいたけど、桂小路も何にも言わなかった。同一人物だと気付かなかったのだろうか。まあ気付かれると話がややこしいし、助かったけど。
「しかし凄い量だね、このチョコの山」
「なあ礼名、今日の晩ご飯はこのケーキにしないか。一日じゃ食べきれないだろうけど、僕は礼名のケーキから食べるからさ。美味しそうだよな、礼名のチョコケーキ」
僕は彼女が作ったケーキを眺めて笑ってみせる。
「やっぱりお兄ちゃんは優しいな。だけど本当のことを言ってもいいんだよ。麻美華先輩も綾音先輩も綺麗で優しくてお金持ちだもんね。好きにならない方がへんだよね……」
「何言ってるんだ。ふたりとはそんな仲じゃないし……」
「だけどふたりはお兄ちゃんの事が好きだよ。好きに決まってるよ。チョコの気合いが全てを物語ってるよ」
「……」
「それでもお兄ちゃんは礼名のケーキでいいの?」
「勿論」
礼名は愛想笑いを浮かべて立ち上がると台所からお皿と包丁を持って来る。
そうして麻美華の巨大なケーキを切り取り自分の前に置いた。
「はい、お兄ちゃんは礼名のカップケーキをどうぞ! 麻美華先輩の巨大チョコケーキは礼名がズッタズタに食べちゃうからねっ! ふっ、この程度のケーキ、お兄ちゃんへの愛で完食してやるんだからねっ!」
少し元気を取り戻した礼名の声に僕もフォークを手に持つ。
こうして、神代家の甘い甘い夕食が始まった。
「うほっ、礼名のチョコケーキ、すっげー美味い! ほどよく甘くて大人の味だな。うん。ブランデー入ってるし!」
「ありがとうお兄ちゃん、でもアルコールは飛ばしてるよ!」
そう言いつつ、礼名は麻美華のケーキを胃袋に納めていく。
しかし、元々大喰いではない礼名、麻美華の高エネルギー巨大チョコケーキの一片を前に悪戦苦闘している。
「無理するなよ、太るぞ。僕も手伝うからさ」
「この程度のチョコの山、礼名に掛かれば何と言うことは……」
僕は麻美華のケーキも切り取って食べてみる。
「うん、上品な甘さで美味しいじゃん!」
「美味しいんですか? やっぱり美味しいんですか? 礼名のよりも美味しいんですかっ??」
「あ、いや、どっちも美味しいよ。礼名のケーキは味の変化もあって僕は好きだよ」
「どうして麻美華先輩のは大きいだけで不味いって言ってくれないんですかっ!!」
実際、麻美華の高く黒光りする巨大チョコレートケーキは、ただ大きいだけじゃなくすっごく美味しかった。多分高価なチョコレートをふんだんに使っているのだろう、香ばしいカカオの香りが口の中に広がっていく。甘過ぎずビターすぎず、しかも使っている生クリームがしつこくなくてどんどん食べられる。
「くっ! こんな巨大な、大きいだけが取り柄なはずの麻美華先輩のケーキに味でも負けるなんて、そげんこつ、あるはずなかとばいっ!」
「礼名、どこで博多弁ば覚えたとね!」
九州とは無縁のはずの礼名のノリに便乗する。
しかしそんな僕の気遣いにも気付かないほど一心フランケンシュタインに食べまくる礼名。
「どうして、どうして、どうして、どうして…… こんなに美味しいの~っ!!」
だけど、それは仕方がないことだ。
麻美華は高級な材料を潤沢に使って、料理のプロ達の指導も受けながら作れる立場だ。調理道具だって何不自由ないだろう。もちろんそれは綾音ちゃんだって同じことだ。
それに比べて礼名の方は予算が限られている。激しく限られている。それだけじゃない。僕のチョコケーキは今日お客さん達に大量にばらまいた義理チョコカップケーキと基本的には同じ材料で作ったものだ。あれだけ大量のケーキを焼きながら僕のは特別に用意してくれたんだ。それだけでもありがたい。
「なあ、この残りは明日食べよう。高田さんと三矢さんとこにお裾分けしてもいいしな」
「…………」
「礼名、ありがとう」
「えっ?」
「今日は嬉しかった」
「お兄ちゃん……」
去年のバレンタインはカフェ開店準備のため大忙しだった。
そんな中でも礼名は僕に小さなチョコを手渡してくれた。
そうだ。
去年貰ったチョコはふたつ。礼名のチョコともうひとつ。
「そう言えば、去年はホワイトデーにお返しを忘れて礼名に怒られたよな。お金がないのなら行動で返して、とか言って」
「あはっ、でもあの時は忙しかったからね! 礼名の愛は無償の愛だからねっ!」
あの時、僕は綾音ちゃんへのお返しも忘れていた。
だけど、彼女はそのことに全く触れなかったな。
完全に忘れていた。
「今年は何かお返ししなきゃだな。何がいいかな?」
「決まってるでしょ! 婚姻届にサインが欲しいっ!」
いつもの明るい笑顔を見せて、人差し指を突き上げる礼名。
さっきまで、少し沈みがちに見えた礼名の瞳に光が戻り、僕は少し安心する。
「だからそれは無理だって」
「無理じゃないもん! ヤればできるもんっ!」
「は、はははっ」
「えへへへへっ!」
暫くふたり笑い合うと、礼名はまた巨大なケーキと格闘を始めた。
第二十七章 完
第二十七章 あとがき
いつもご覧戴きありがとうございます。神代悠也です。
バレンタインデーのオーキッドを描いた短い章でしたが、いかがでしたか。
正直なところ、当面チョコは見るのもイヤなくらいに食べました。だけど、後が大変ですよね。そうホワイトデー。世間ではお返しは三倍返しだとか言うようですね。世の中にはそのお返しを期待してチョコを配る人もいるとか。どうしよう、まだ何も買ってないよ……
ところで、突然店にやってきた桂小路。
正月とは態度が変わっていたけれど、どうせ目的は礼名でしょうね。ミエミエで、見え過ぎちゃって困りますね。
とは言えウィッグの店舗工事も進んで僕たちも対策を進めなければいけない。チョコに浮かれている場合じゃないですね。
ではお馴染みの、今日のお便りです。
ペンネーム・「姫さまは悪役令嬢」さんからです。
悠也さんこんにちは。
……はい、こんにちは。
わたしは商社で働くぴちぴちのOL三年生です。
ぴちぴちですか…… パンツが?
さて、高一の時からわたしはバレンタインデーに投資した額と、ホワイトデーに回収した額をノートに付けています。いわゆるバレンタイン投資効率の確認ですね。
それによると高校、大学、社会人と順調に増えていったわたしのチョコ投資収益率(チョコROI)は社会人一年目をピークに一昨年初めて減少に転じました。
ピークの社会人一年目には二万円のチョコ投資に対して、ホワイトデーの回収価値は十一万円(即ち利益は九万円分)。収益率450%を記録したのに今年は投資三万円に対し回収価値はたったの九万円。収益率200%、もはや三倍返しと言う世間の平均でした。
来年はV字回復を目指そう思うのですが、そのためには今年の反省が必要です。
やはりチョコは金持ちに渡した方がお返しも期待できるのでしょうか? それとも童貞チェリーくんの方が張り切ってティファニーのオープンハートをくれるのでしょうか。
悠也さんはみんなに何を返しますか?
来年の投資計画の参考情報として教えてください。
……ってなお便りですけど。
僕って童貞チェリーの代表格なの?
えっと、僕の場合、お返しは三倍返しとか不可能です。
麻美華のチョコケーキは時価十万円は下らない一品。桜ノ宮さんだってすごい贅を尽くしてくれました。それに対し僕が考えているお返しはせいぜい五百円です。
えっと、貧乏人はお金がないから貧乏なんです。
ハッキリ言います、貧乏人に期待しないでください。
渡すんなら金持ち野郎でしょう。
だけど姫さま悪役令嬢さん、僕思うんです。あなたの回収率が落ちてきているのは、渡す相手の問題だけなのだろうかって。問題の本質は貴女自身の価値が社会人一年目をピークに減少に転じているから、ではないのかなって。
あっ、僕セクハラ言いました?
だけど、今のが日本中のモテない搾取され男子(作者含む)の心の叫びですよ。
遊ばれ弄られ捨てられる、可哀想なチェリー野郎どもの身にもなりましょうよ。
誰が三倍も返すもんか!
内祝いでもお香典でも相場は半額なんじゃい!
半返しじゃい!
すみません。気を取り直して次章の予告です。
いよいよ輸入食品館ウィッグの開店が目前に迫ってくる。
しかし何ら有効な対策を講じきれないオーキッド。
礼名の様子も何だか少しおかしくなってきて……?
次章「ホワイトデーなんて全然期待してないんだからねっ!」もお楽しみに。
神代悠也でした。
って、作者さん。次章タイトルが最近すごくいい加減ですけど、これ正しいんですか?




