第27章 第2話
不自然なまでにふさふさな髪。
神経質そうに痩せた小柄なシルエット。
そう、彼こそ桂物産の総元締め、桂小路徳間。
「な…… 何をしに……」
モニサンの朝日さんやムーンバックスの月守さんの時でさえ丁重な姿勢を崩さなかった礼名が、拳を握りしめわなわなと震える。
しかしそんなことはお構いなしに、桂小路はズカズカ店に入るとカウンターに陣取った。
「いらっしゃいませ……」
僕はフリーズし掛かる脳細胞に必死にリブートをかけると慇懃に言葉を紡ぐ。
彼はメニューを眺め店で一番安いブレンドコーヒーを注文すると僕に向かってニタリと笑う。
「おしぼりはまだかな?」
「あ、はいどうぞ」
「恐ろしいほどのモテっぷりじゃの、悠也くん。ところでこちらのお嬢さん方は?」
カウンターに並んで座る麻美華と綾音ちゃんをちらっと見ながら桂小路。
いきなり隣の席の知らない女子の紹介を頼むとか、どんなエロじいだよ。
彼の問いにどう答えようか思案していると、礼名が先に口を出した。
「何しに来たんですか! 工事の進行状況でも確認に来たんですか? 心配しなくてもわたしたちは工事の妨害なんてしませんよ。正々堂々受けて立ちますよ。わたしたちのお店はウィッグなんかに絶対負けませんからっ!」
「いや、一周忌の時のことは儂も少し大人げなかった」
「えっ?」
意外な言葉だった。
礼名の戦意が削がれるのが見て取れる。
「今日はバレンタインデーじゃったか。これは凄いケーキじゃな。板チョコ一万枚の愛が詰まっていそうじゃないか。うむ、大きいことはいいことだ。悠也くんがこんなにモテるとは知らんかったよ」
「当たり前ですっ! お兄ちゃんはモテモテなんですっ! だってカッコいいし優しいし。だけど礼名を一筋に愛してくれてるんですっ!」
「おや? このチョコレートケーキはこちらのお嬢さんのプレゼントだったようじゃが」
「ぐぬぬ……」
礼名の右手がワナワナと震えている。必殺のリトルシスターブローが炸裂しそうで怖い。
「なあ悠也くん。この店でやっていくのもぼちぼち限界じゃろう? どうじゃ、そろそろうちに来ないか。あ、勿論君も桂小路の者として大切に迎えるぞ!」
「えっ?」
この前と態度が一変している。一周忌の時には、お前は勝手に生きてゆけ、みたいに言われたのに。この物言いは一年前に初めて話をしたときと同じだ。
僕が何と返答しようか悩んでいると、押し黙っていた礼名が復活した。
「何を企んでいるんですかっ! お兄ちゃんはわたしとこのお店で頑張るんですっ! あなたのご厄介になんかならなくても大丈夫ですっ! さあお引き取りください!」
「礼名そう焦るな。まだ注文したコーヒーも来てないぞ!」
カチャリ
慇懃にコーヒーを差し出す僕をジロリと見た桂小路はそれを一口啜る。
「うん、美味いじゃないか。ウィッグのコーヒー豆に変えればもっと美味しくなるんじゃがな」
冗談のつもりだろうか、ニヤリと笑う桂小路に、しかし礼名は真顔で噛みつく。
「変えませんっ!!」
「可愛い顔して厳しい孫じゃ。じゃがな悠也くん、よう考えてくれ。君らはまだ子供じゃ。高校を出て大学にも行きたいじゃろう。じゃが、ふたりだけでそんなことが出来るかな。大学は金が掛かるぞ。いずれどちらか一方は学校を諦めることになる、それでよいのか?」
「そこまで僕たちのことを心配するんなら、輸入食材店の工事を止めて貰えませんか?」
僕は勤めて冷静に言葉を紡ぐ。
「ふん。隣に輸入食材屋が出来たくらいでダメになるような店は、所詮ダメな店じゃ。そうじゃろう、礼名」
「当然ですっ! ウィッグごときの二軒や三軒、まとめて叩き潰してあげますっ!」、
冷静になれ礼名! ワナに嵌ってるよ!
「と言うことじゃ。なあ悠也くん。桂小路に来ても君の意思は尊重するよ。結婚に関してもな。こんなに大きなチョコレートに応えないわけにはいかんじゃろ?」
「ちょっ、ちょっと待ってください! お兄ちゃんは礼名と結婚するんですよ!
既に国会の承認も得ているんですよ! 絆の強さはチョコレートの大きさとは無関係なんですよ!」
「あら、何を言っているのかしら。ご覧なさい、麻美華の手作りによる超高エネルギー巨大チョコレートケーキを見る悠くんの嬉しそうな顔を。目尻は垂れ下がってヨダレが止まらないじゃない! チョコは大きさなのよ、物量がものを言うのよ!」
「ちょっ、ちょっと……」
ここで麻美華が参戦するのは予想外だった。
「違うわよ! チョコレートは大きさじゃないわ、味よ! ねえ悠也さん、綾音のチョコを一口食べてくださらない! きっと分かると思うわ!」
「いやあの……」
綾音ちゃんまで参戦してきた。
「味も大きさも見た目の美しさも礼名のが一番ですっ! お兄ちゃん、安心してくださいねっ! ちゃんと礼名がお兄ちゃん好みのスペシャル最上級チョコレート限定一名様生フィギュア付き特別バージョンを用意していますからねっ! 他のチョコに浮気なんかしちゃ礼名泣いちゃいますからねっ!」
収拾不能だ、勝手にしやがれ。
「じゃあ泣けばいいわ!」
「泣きません!」
「礼名ちゃんにもあたしのチョコを一口あげるわ。試してみてよ、美味しいから」
「百合チョコなんていりません!」
カウンターを挟んで繰り広げられる激しい応酬。
そんな僕にとっては見慣れた光景を桂小路は呆気にとられたように眺めていたが、やがて何を思ったかニヤリと口の端を上げた。
「のう礼名。悠也くんとは兄妹じゃよな」
「当然です!」
「じゃあどうして悠也くんの恋路を邪魔しているのかな?」
「えっ? 邪魔?」
意外な一言だったのか、礼名は一瞬でクールダウンする。
「こちらのお嬢さん方はどちらも見目も麗しく素晴らしいお嬢さんとお見受けする。悠也くんは幸せものじゃないか。ならばそれを応援するのが妹の務めではないかのう?」
「な…… 何を言ってるんですかっ! お兄ちゃんと礼名は兄妹ですけど恋人同士なんですよっ! 礼名は生まれた瞬間からお兄ちゃんと真っ赤な鋼鉄のワイヤーで結ばれて、離れるなんて物理的にも不可能なんですっ! だからわたしはお兄ちゃんと……」
「礼名がそんなわがままばかり言うから悠也くんは困っているのじゃないか?」
「そんなことは…………」
「果たして悠也くんの気持ちはどうなのじゃろうな、のう礼名よ!」
「…………」
珍しく反論せず桂小路を睨みつける礼名。
そんな彼女を桂小路はニヤニヤと笑って見ている。
やがて。
「悠也くん、素晴らしいお嬢さま方とのご縁は大切にするのじゃぞ。じゃわしはこれで」
桂小路は残ったコーヒーをグビッとあおると、テーブルに代金ちょうど投げ置いて席を立った。
「あ、ありがとうございました」
頭を下げる僕の横で礼名は言葉も発せず、ただ彼を睨みつけていた。
今まで、どんな客であろうと職務は果たしてきた礼名。
こんな彼女は初めて見た。




