第27章 第1話
第二十七章 バレンタイン狂想曲
ウィッグの新店舗工事は着々と進んでいた。
まるで僕らの店を周りから追い詰めて、じっくり真綿で締め上げるように。
それでも、礼名はいつもの笑顔で開店準備を整える。
「天気予報は雨だったのに晴れ間が見えるよっ!」
今日は二月十四日。
世間ではバレンタインデーと称し節操無くチョコレートが乱れ飛ぶ日だ。
「いらっしゃいませ~っ! 高田さん、お待ちしてました~!」
朝一番はいつものように八百屋の高田さん。
礼名は早速お冷やを持っていく。
「いつもありがとうございます。はい、これは感謝の気持ちですっ!」
「おっ、チョコレートケーキ! 嬉しいねえ! どれどれ……」
小さな袋に入った、小さな手作りカップチョコケーキ。
昨晩礼名が大量に焼いたものだ。
営業用の義理チョコだけどひとつひとつ可愛くラッピングされて、礼名の気持ちが見えるようだ。
「余ったら全部お兄ちゃんにあげるね!」
「僕には余り物か……」
「そうじゃないよ! お兄ちゃんには大きいのもあるよっ!」
頬を膨らました礼名に、僕は冗談だよと笑った。
お客さんへの義理チョコ作りも大切な仕事だ。昨日、僕も一緒に作ると申し出たが、ホモチョコになるからと礼名に断られた。
「おやっ、このチョコケーキは手作りかい?」
「はい、礼名の感謝の気持ちですっ!」
「嬉しいねえ! 礼名ちゃん手作りチョコケーキだなんて! おじさんはさ、チョコは「何を貰うか」より「誰に貰うか」が大切だと思うんだ。だから礼名ちゃんの手作りとなりゃ、こりゃもう国宝級だよ! うちのかーちゃんのゴミチョコとは大違いだ!」
「ふ~ん、そうなの。このわたしのチョコはゴミなの! ふ~ん、分かったわ」
「げっ、お前! いつの間にっ! うぎゃあっ! うごぶぎげばっ!」
奥さんの筋肉バスターが見事に決まりゴミチョコパンチが乱れ飛ぶ。
がちっ! ベキボキッ! べこっぼこっばこっぐぼっ!!
そんな恒例の惨劇を必死に制止する礼名。
「お、奥さまいらっしゃいませ!」
「あ、礼名ちゃん、いつもごめんね。今日もサンドイッチのモーニングね」
いつもと変わらぬ朝のスタート。
僕は早速モーニングの準備を始める。
からんからんからん
「いらっしゃいませ~っ!」
それからもお客さんが来る度に礼名は満面の笑みで小さなカップケーキを差し出す。
「いいの? 三十路と言えど、わたしたち一応女よ?」
「日ごろの感謝の気持ちですっ。是非食べてみてくださいっ!」
男女問わず手渡していく礼名。
百合チョコはいいのか?
しかし、太田さんも細谷さんも満更ではない様子だ。
「うん、美味しいわ! おかわり欲しいわ!」
「はい、どうぞっ!」
バレンタインチョコのおかわりってありか、太田さん?
立派な体格をしている理由が垣間見えるよ。
「神代おひさっ!」
聖應院の連中もやってくる。
「久しぶりだな高杉。しかも今日は団体連れで!」
聖應院の高杉が友達を五人引き連れてきた。
「あとで大友も来ると思うよ。しかし今日も繁盛してるね」
「はいっ、おかげさまです! こちらメニューと…… はい、いつもありがとうございます!」
「おっ、チョコケーキじゃん! なんかすっごい得した気分だな!」
来る人来る人、みんな笑顔で帰って行く。
「大丈夫かな。チョコ足りるかな……」
「大人気だもんな。太田さんなんかひとりで6個も喰ってったしな」
結局、昼前にはカップケーキの残りが少なくなり、礼名は追加を焼きはじめた。
からんからんからん
からんからんからん
からんからんからん
からんからんからん
からんからんからん
からんからんからん
「いらっしゃいませ…… って麻美華先輩! 扉の貼り紙が見えませんでしたか?」
「貼り紙?」
手に持った巨大な箱を近くのテーブルに置くと、怪訝そうに麻美華はもう一度外に出て大声でその貼り紙を読み上げる。
「本日・南峰高校女子生徒の立ち入りを禁じます。 店主の嫁…… って、何よこれ!」
「はい、読んで戴いたとおりです。今日はわたしの宿敵…… じゃなかった、南峰の女子生徒はそこはかとない理由により入場をご遠慮願っています」
いつそんな張り紙したんだ、礼名!
と言う僕の心の叫びはふたりに軽く無視される。
「こんなの無効よ! だいたい店主の嫁って誰かしら? 悠くんのハートはこの麻美華ががっちりキープしてるのよ!」
「違います! あのアインシュタインの一般相対性理論も予言しているんです。お兄ちゃんと礼名が合体すると重力波が発生するんです! 方程式を解くとそうなるんですっ! そしてそれはもうすぐ実証されるんです!」
世界中の物理学者達が本気で怒鳴り込んできそうなことをサラリと曰う礼名。
「あら、礼っちの質量はブラックホール級なのかしら」
「違います! 礼名の魅力がブラックホールなんですっ! お兄ちゃんと言えどもそこから抜け出すことは永遠に不可能なんですっ!」
礼名はどうだとばかりに小さな胸を張る。しかし、そんな言葉などお構いなしに麻美華はカウンターに歩み寄ると手に持った巨大な箱を僕に差し出した。
「はいこれ。悠くんに、あ・げ・る(はあと)」
「ちょ…… ちょっと麻美華先輩聞いてます? 今日、麻美華先輩はこの店に進入禁止なんですよ! 違反切符切りますよ?」
「どうぞご自由に。あら可愛らしいカップケーキがたくさんあるじゃない? 営業努力乙って感じなのかしら?」
カウンターから追加で作りかけのチョコケーキを見つめる麻美華。
「違いますっ! これは心がこもったわたしの可愛い分身達ですっ! 営業努力乙とか言わないでくださいっ!」
と、マイリトルシスターズ(複数形)が恥も外聞も身も蓋もない口論を繰り広げていると、またお客さんが入ってきた。
からんからんからん
それは真っ赤な髪をツインテールに纏めた女性らしいシルエット。
「あっ、いらっしゃいませ綾音先輩! って、綾音先輩も入り口の貼り紙見ました?」
「入り口の貼り紙?」
もう一度外に出てまた戻ってきた綾音ちゃん。
「本日・ブラコン礼名の立ち入りを禁じます。 店主の嫁…… って書いてあるけど」
「何ですって~っ!! どどどっ……」
瞬間移動で玄関の貼り紙を確認するマイリトルシスター。
「誰ですかっ! 勝手に書き換えた金髪の高慢チキチキ女はっ!」
しかし、礼名の叫びを犯人は聞いちゃいなかった。
「あら綾音、何しに来たの?」
「何しに来たって決まってるでしょ! はい、悠也さん。これ、お口に合えば嬉しいわ!」
綾音ちゃんは紙袋から真っ赤な包みを取り出す。
「えっと、ありがとう…… 綺麗なラッピングだね」
カウンターには麻美華がくれた巨大な箱と綾音ちゃんがくれた真っ赤な包み。
開けてみてよと言う麻美華のリクエストに箱を開けると、それは巨大なチョコレートケーキだった。
「ふっ。この麻美華が作った世界最高レベルの高エネルギーチョコレートケーキよ」
「喰ったら一瞬で太りそうだな」
「ねえ、あたしのも開けてみてよっ!」
対抗するかのように開封を迫る綾音ちゃん。中身はトリュフチョコのアソートだった。
「綾音がレシピ考えてみたのよ。甘さは控えめだから…… 悠也さんにも喜んで貰えると嬉しいな」
「おふたりとも何してるんですか~っ!! お兄ちゃんにチョコを渡していいのは世界広しと言えども礼名ただひとりなんですよっ!」
カウンターに戻ってきた礼名がふたりを威嚇する。
勿論、麻美華も綾音ちゃんもその程度で怯むタマではない。
「はいはい、礼っちは早く義理チョコ作りなさい。聖應院のボンボンどもが大喜びで行列作るわよ」
「あっ、その義理チョコあたしも欲しいな~」
「仕方ありませんね…… はい、綾音先輩!」
と、三人が仲良く喧嘩していると、また店のドアが開いた。
からんからんからん
「いらっしゃいませ…… って!!」
「凄いモテまくりじゃのう悠也くん!」
入ってきたその人を見て、僕らは言葉を失った。




